第二章 裁判

「ライル!ライル=カーバイン!私の質問に答えなさい!」

 もう何度言われたかわからないセリフ、女検事のキリキリ声が狭い取調室に響く。

 ライルは、ぼんやりと数日前に自分を捕まえた異邦人の男のことを思い出していた。彼はライルを警察署に突き出した後、「また来る」とだけ言って去った。

「あなたは、曲剣の月8日、夜二時頃、王都中央区で武器商人を営むグイド=ローゼシア宅に正当な理由なくして侵入し、同人の保管していた金の延棒30本ほか宝石等25点を窃取し、その後同人宅通用口を破壊して逃走した、そうですね!?」

 検事の甲高い声に耳が痛い。ライルはわざとらしくしかめ面をして耳の穴を指でほじった。両手首にはめられた手枷、魔術の一切の行使を封じる「封魔の手枷」がかちゃかちゃと音を立て、目の前の女検事、サラとか言ったか、の額に青筋が浮かぶ。黙っていれば綺麗な顔立ちなのにな、とライルは思う。

「・・・あなたには黙秘権があります。もちろんそうやって何も言わずにいるのもあなたの権利です。ですが、この状態を知れば裁判官はどう思うでしょうね。反省も何もしていないと思われるんじゃないかしら。あなたに不利になるだけですよ」

 今度はそういう攻め方か、とライルは冷めた頭で思う。彼の取り調べは、逮捕・勾留後連日行われ、三日目に突入していたが、ライルは黙秘を貫いていた。こうした取り調べを受けるのは初めてだったが、何か喋れば不利な材料が増えるだけだ、と彼は考えていた。

 そして、ライルの犯行を示す物的証拠が乏しい中、それはあながち間違いではなかった。ライルは女検事の言葉を聞き流すことにし、異邦人の男について考えを戻した。

 「異邦人エルフ」とは、別の世界からやって来たと言われている人間のことだ。彼らは絶対魔法防御と呼ばれる特殊能力を持ち、魔法の一切が通じず、長命で、こちらの人間の十倍は生きると言われている。なぜ彼らが「こちら」にやって来たのか、それは彼ら自身にもわからないという。彼らはその特殊能力から、捕らえられ非人道的な研究の対象とされたり、また彼らの生き血を飲めば不老不死の力が得られるなどの俗信によって、その多くは不幸な死を遂げたと言われている。

 しかし、生き残る者もいる。最も有名な異邦人は、先の戦争の相手方、エグジット帝国最初にして最後の皇帝、「異邦の悪鬼」シンだ。彼はおよそ300年前、どこかからかこのラングバルト大陸にやって来て、当時隆盛を極めていた剣の教会を国教とするエクスカリバー王国を滅ぼし、エグジット帝国を一代で立ち上げた。

 当初、エグジット帝国は周囲の国々と平和条約を結び、シンのカリスマ的な治世によって国情は安定し、ラングバルト大陸に住む人々は、実に250年余にわたる平穏な日々を送ることとなった。しかし、のちの歴史家に「帝国の凪エグジッツ・カーム」と呼ばれることとなるその平穏は、突如として侵略戦争に舵を切ったシンの暴挙により破られた。

 それまで「異邦の賢帝」と呼ばれ、崇拝を集めていたシンは、しかし大陸統一を掲げて他国に侵攻、三十年戦争と呼ばれる激しい戦いを繰り広げた。最終的には、ユグドールの第三王子エリクシル=フォン=ユグドール、通称「放蕩王子」とその仲間たちによって討ち取られ、エグジットとの和平がなって五年前に戦争は終結したのだが、一人の異邦人が、一つの国を滅ぼし、また国を興して戦争を引き起こし、多くの命を奪った事実は、異邦人という存在を伝説化し、畏怖させるに十分だった。異邦人は今、この世界においてアンタッチャブルな存在になっている。

 その異邦人がなぜ、俺を捕まえるんだ。そもそもこの国に異邦人なんていたのか?そういえば、放蕩王子の仲間の一人が異邦人だったって聞いたことがあるな・・・。

「・・・もう今日はこれで結構です。でも忘れないでくださいね。あなたの罪を知る人は、あなただけじゃないってこと」

 いつの間にか今日の取り調べは終わっていたようだ。疲れ切った顔をした女検事は、しかし最後にそんな捨て台詞をのこし、ドアを思いっきり音を立てて閉めて出て行った。取り調べに同席していた記録役の警察官が苦笑してライルに話しかけてくる。

「お前もよくやるね、三日もあの「鬼検事」相手に。俺なら一時間でゲロっちゃうなー。あの女、ああ見えて担当した裁判では有罪率99%らしいぜ?「検察のエース」とか呼ばれてるってよ」

「じゃあ1%は勝率あるってことですね」

「・・・大したガキだぜ、全く」

 ライルの言葉に、警察官は呆れた顔で応じた。

 そう言ったライルだったが、女検事の最後の言葉は、やはりショックではあった。仲間の中に、俺を売った奴がいる。おそらくそいつの証言だけでも、俺は有罪になるだろう。ライルは冷静にそう考えていた。

 俺の罪は過重窃盗、良くて刑務所、悪くすれば縛り首だ、と同房の男がニヤニヤしながら聞きもしないのに教えてくれた。子供の犯罪に凄腕の検事を送り込んできたのも、ライルにさんざん出し抜かれて、メンツを潰されて頭にきている警察上層部のご意向だとか、背後に被害に遭った武器商人どもによる圧力があるんだとか何だとか、好きなことを言っていたっけ。

 ユグドールの治安は悪い。戦後急ピッチで復興が進んでいるとは言え、家を焼け出され、あるいは頼るべき親族を失い、仕事を失った人々が街には溢れ、ひったくりやスリ、空き巣に強盗等々が日常的に繰り返されているからだ。この時代、ユグドールでは誰もが犯罪に怯え、不安が街を支配していた。

 そして警察当局に逮捕された被疑者は、七日間と言う短期間での取調べを受け、起訴されることとなる。短期間の取調べと捜査で十分な証拠や証言を収集することはできず、多くの被告人はわずかな証拠や証言により有罪とされることが常だった。犯罪が跋扈する王都においては、冤罪の恐れよりも、社会の治安維持が優先されていたのだ。


  *


「68番ライル=カーバイン。面会だ」

 勾留されて五日目、ライルは看守に呼ばれて牢を出た。面会?

 この五日間、誰も捕まったライルに会いに来ることはなかった。あんなによくしてやった孤児仲間も、誰一人として顔を出さない。しかし、ライルはそれもそうだろう、と諦めてもいた。捕まった俺に会いに警察に来るなど、共犯として逮捕してくださいと言っているようなものだ。風向きが変わったのだ。

 ふと、また来る、と言っていた異邦人の男の顔が頭をよぎった。自分を捕まえた男なのに、不思議に悪感情が湧いてこないのはなぜだろう。むしろ俺はあいつが来るのを期待しているような・・・。

 しかし、面会室に行くと、待っていたのは場違いな笑顔で、若草色のワンピースを着た見知らぬ若い女だった。

「待ってたよーライルくん!」

 面会室のガラス越しに立ち上がり、ぶんぶんと手を振ってくる。しかしライルの目は彼女の胸に釘付けになってしまう。でかい。揺れている。何なんだ、アレは。

 連行してきた看守を横目で見ると、彼の目も釘付けになっている。男というのはしょうがない生き物だ。

 気を取り直し、ちょっと赤くなってしまった顔を見られないように横に向けて、ライルは席についた。

「せっかく来てくれて悪いんだけど、えっと、誰?」

「あっ、ごめんごめん。私は先生に言われて来たんだー。ミオって言います。よろしくね!」

 そう言ってミオを名乗る女も座り、屈託なくにこにこ笑った。年齢は20そこそこってところか。大きな瞳に丸いメガネがよく似合っている。エメラルドグリーンの髪は長く、二つに分けて横で三つ編みになっている。しかし、先生・・・?

 顔に疑問符が書いてあったのだろう、ミオが口をひらく。

「先生とは、この間会ってるはずだよ。あなたを捕まえた人」

「あの異邦人・・・!」

「そうそう。私たちは先生って呼んでるんだ。先生だからね!」

 説明になっていないような説明を、しかしなぜか胸を張って言うミオ。何なんだこの人。

「で、先生が忙しくてなかなか来れないから、私が代わりに来たってワケ!これでも私も先生なんだよ!」

 ますますわけがわからない。先生って、なんだっけ。ライルの頭の中で先生という概念が崩壊していく。

「さっき警察の人から聞いたんだけど、ライルくん、ずっと黙秘してるんだって?あんまり頑張んなくてもいいよー。なにせ、君の裁判には、先生が弁護につくからね!」

「え、それってどう言う・・・」

「先生からそれを君に伝えてくれって頼まれてきたんだー。先生の頼みならミオなんでもやっちゃう!うえへへへへ」

 自分で言って自分で照れている、しかも照れ方が気持ち悪い。ほんと何なんだこの人。しかし俺の弁護に、あの人が・・・?

 ユグドールにおいては、罪を犯した子供も大人と同じように裁判を受けることになる。そして検事が彼の罪状を裁判の場で明らかにするのだが、その手続きにおいて彼の権利を守り、検事に対立するのが弁護士と呼ばれる人々だ。

 あの人、弁護士だから先生って呼ばれてるのか・・・?しかし、目の前のこのおっぱいの人は弁護士にはとても見えないけど・・・。

「あっ、もうこんな時間!最後に一つだけ聞かせて。「あなたは今、誰かを憎んでいる?」」

「憎む?・・・いや、誰も、憎んでいないよ」

「・・・そう。それだけ聞いてこいって言われてたんだ。ありがとね。じゃあ、次は「院」で会おうね!」

 そんなことを言い、ミオは慌ただしく帰っていった。イン?インってなんだ?

 しかし、不思議な質問だった。誰かを憎んでいるか、か。そしてそれに対して、俺は誰も憎んでいないと答えた。特に悩むことなく、心の中から自然に出てきた言葉だった。捕まった時こそ、俺は裏切り者を憎んでいた。しかし、それも仕方ないことだと、すぐに思い直した。あいつらは、俺たちは、自分の身の安全が第一だ。風向きが変われば、己の保身のために態度は変わる。そうしなければ、この街で孤児が生き残るのは難しい。それだけのことだ。

 

  *

  

「開廷します。被告人は前へ。ライル=カーバイン、13才。間違いありませんね」

 ユグドール裁判所、第一法廷に裁判官の声が響き渡る。裁判所の中で最も大きな法廷には、遂に捕まった「炎賊」の姿を一目見ようと多くの都民が傍聴に詰めかけ、傍聴席は立錐の余地もない有様だ。

 ライルは一人、被告人席から立ち上がった。

「間違いありません」

 王都に名を馳せた炎賊として無様は見せられない、冷静にいよう、と思ったのに、やや声が上ずってしまう。今日この日、自身の運命が、生死が決まるという事実に、心臓がバクバクと音を立てる。

 ユグドールの裁判は一発勝負で決まる。今日の判決が全てであり、検察側も、被告側も、その決定に異議を唱えることはできない。戦後の混乱期で治安は悪化し、一人の罪人に長い時間をかけて裁判をする余裕がない、というのがその主な理由だった。

「ではサラ検事、彼の罪状を」

「はい」

 裁判官に促され、彼の右手、検事席に座っていたサラが立ち上がる。こちらは憎らしいくらいに落ち着き払っている。

「被告、ライル=カーバインは、王国暦593年長剣の月3日、夜1時頃から2時頃までの間、王都中央区在住のミーア=トリュック宅に侵入し・・・」

 検事がよく通る声で淡々と彼の罪を挙げていく。ライルは取り調べでは最後まで黙秘を貫いたが、サラの挙げる罪状は全て彼の犯した事実に相違なく、裏切り者は一から十まで洗いざらい警察に話しているに違いなかった。

 おそらく、裏切り者は何かヘマでもやらかし、警察に拘束されたのだろう。ライルの罪を話せば、自由の身にしてやるとでも持ちかけられたのかもしれない。あるいは金でも握らされたか。

 俺たちは結局孤児という共通項のみを縁に集まり、俺たちに厳しい社会に、大人に恨みを募らせ、復讐がしたかっただけのガキにすぎなかったんだ。家族でもなんでもない。そんなものは俺がただ、求めていた幻想、妄想にすぎなかった。

 ライルの脳裏に、仲間と過ごした日々が浮かぶ。組織からゴミみたいに扱われ、水路に捨てられた仲間の遺体を弔い、怒りに震えた冬の日。戦利品を手にバカみたいにはしゃぎ、美味くも感じない酒を飲んで倒れた夜。武勇伝を語って聞かせる俺に対する後輩たちの羨望と尊敬の眼差し・・・。

「以上、13件の侵入盗、騒乱により都民の安眠を妨げ、王都を不安の渦に陥れたその罪は重く、被害額は甚大であり、被害者たちはライルに厳罰を求めています。検察としては、被告ライル=カーバインに死をもって償うことを求めます」

 傍聴席がざわつく。何も子供にそこまでしなくても。いや、あれだけのことをやったんだから、子供だって責任を取る必要がある。

 ライルはしかし、やっぱりか。と思っただけだった。大人はいつもライルにとって「最悪」のことしかしなかった。彼らに期待することは間違いだ、ということを、彼は両親の死後何度も学ばされた。

 両親が戦死したのは8年前、ライルはまだ5歳になったばかりだった。戦争は最終局面を迎え、王都近郊にまで進軍してきた帝国軍を迎え撃つべく、彼らはカーバインの旗を立て、一軍を率いて戦い、敵軍に痛撃を与えつつも討ち取られた。カーバイン家は幼いライルが継ぐはずだったが、万一のためにと一人戦に出ず、父からライルの後見を託されていたはずの叔父アルバは、しかし両親の訃報に接すると態度を豹変させ、自らをカーバイン家の跡取りと称してライルの放逐に動き始めた。叔父曰く、ライルは母がどこぞの平民と不貞をなした末の子であり、カーバインの血を継ぐ者ではないとのことであり、ご丁寧にも父の遺言状を偽造し、声高に周囲にそのことを触れ回った。叔父に対抗して、庇護者であった両親を失ったライルを庇おうとする者は誰もおらず、ライルは独り、屋敷を追い出され、棄てられた。

 幼いライルは、それまで優しかった叔父をはじめとする、周囲の大人の態度の急激な変容に打ちのめされた。それまでカーバイン家の一人息子として、両親に深く愛され、周囲から敬意を持って接せられていたライルは、両親の死を悼む間もなく、頼る者もない王都で一人で生きていかねばならなくなった。戦に出る前、何があってもこれだけは無くすな、と父から託された魔導書一冊が彼の唯一の財産だった。

「わかりました。罪状について、被告人は何か反対意見がありますか?」

 裁判官の声がライルを法廷に引き戻した。

「ありません」

 ライルは即答した。意外に冷静な声が出せた。諦念が彼の心をじわじわと浸食していた。改めて検事の口から聞かされるまでもなく、俺のやったことは多くの人々に大きな迷惑をかけた。その罪は重く、そして、どうせ俺にはもう帰る場所も、待つ人もいない。俺がいなくなっても、誰も悲しまない。

「では、弁護人はいかがですか」

 ライルの左手、それまで目をつむり、罪状を黙って聞いていた男が立ち上がる。あの異邦人だ。思わずそちらに目が行く。何を言うのか。冷えた心臓がことり、と音を立てる。

「ありません」

 それだけだった。

 ・・・それはそうだろう。

 何かを期待していた自分がバカみたいに思え、ライルは口の端を吊り上げて自虐的に笑った。俺はこんなに悪事を働いてきた。何のために弁護に出てきたのか知らないが、護るべき何物も俺にはない。大人に期待しても裏切られるだけだ。そんなことはとっくにわかっていた、悟っていたはずなのに・・・。

「ただ、彼にはまだやり直す力がある。犯した罪を背負い、償い、生きていくだけの能力と、意志がある。彼の命を奪っても、何も始まらない。被害者が失ったものはもう二度と戻らず、一人の未来が無為に失われるだけだ。彼に対して怒りを抱く者が多いことはわかる。しかしそれに彼の死をもって報いるのは最善と言えるのか。彼自身に、その怒りを彼自身に向き合わせ、償わせる機会をいただきたい」

 異邦人の男はしかし、続けてそんなことを言った。朗々とした声が法廷に響き、傍聴席が一瞬静まり、そしてまたざわつき出す。

 なんだ、あいつは。あれだよ、丘の上の。あの「要塞」の?ああ、ショーネンインとか言ったかな。前もこうやってガキの弁護に立って、同じようなことを。

「裁判長、このライルにはやり直す力などはありません。罪を償おうという意思もない。勾留中、彼はこちらの質問に対し一言も発せず、自らの罪と向き合おうともしなかった」

 サラが即座に反論する。

 それは違う。俺は・・・。

「それは違う。彼が言葉を発さなかったのは、何を言おうと取り返しのつかないことだと諦めていたからだ。そして、周囲に、世界に絶望し、自らの生さえもどうでも良いと思い始めていたからだ」

 男の声が、ライルの思いを代弁する。なんだこいつは。なぜ俺の気持ちを。一度も俺に会いに来なかったくせに。異邦人は、心が読めるのか?

「ただ、それは間違いだ。取り返しのつくことだってある。彼は幸いにして誰も傷つけず、人を殺めることもなかった。奪われた財物は、彼の未来が弁償していく」

 男は真剣に訴えていた。サラの表情が険しくなっていく。

「あなたはいつもそう言う!証拠はあるのか!彼が償える、償うという確たる証左が、どこにある!」

 サラが激昂し、検事席から弁護人を指差しながら叫ぶ。いつも・・・?

「証拠はない。ただし、可能性はある」

「可能性・・・?」

「子供たちは、可能性の塊だ。俺が、彼を教え、導く。償いに向けて」

 男は確信に満ちた顔で、声で、そう言う。

 俺を、あいつが、教える?

「ですから裁判長、彼を私に預けてください。弁護側は、彼に少年院送致処分を求めます」

 そう言って男は、裁判長に向かって深々と頭を下げた。

 ショーネンインソウチ・・・?そんな処分は聞いたことがない。

 少年院送致だってよ、聞いたか?ああ、最近なんか法律が変わってそんなのが・・・。あの放蕩王子の肝煎りだとかなんとか・・。じゃああの異邦人は・・・。

 傍聴席がまたざわつき出す。サラ検事は唖然として弁護人を見ている。

「可能性だと・・・?そんなものが、犯罪者にあってたまるか・・・」

 サラは口中にそう呟く。

「裁判長、この男の口車に乗せられてはいけません!このライルを生かしておけば、また第二第三の被害者が出る!ライルは生来の盗人、悪党、犯罪者です!」

 サラが喚く。当初の冷静さはなりを潜め、彼女は必死の形相だった。何が彼女をそこまでさせるのか。ライルは訝しむ。

 異邦人の男が検事に向かって口を開く。

「証拠はあるのか?彼がまた再び罪を犯すと言う、証拠が」

 ぐっ、とサラが詰まり、怨嗟のこもった目で男を見る。

「双方の言い分はわかりました」

 裁判長が言う。

「ライル、あなたはどう思いますか。お二人の話を聞いて、何か言いたいことはありますか」

 俺・・・?俺は・・・。

「・・・俺は」

 傍聴席が静まり、ライルの言葉を待つ。

 サラ検事が睨みつけるようにライルを見る。

 弁護人席に立つ男も、ライルを見ている。厳しい目だ。しかし、その中に何かを感じる。今までライルを見てきた大人の目にはなかった何か。温かさを感じる何か・・・。その温もりが、ライルの心にも伝わる。冷えていた思いが、諦念が、溶け出していくのをライルは自覚する。

「俺は、生きて償いたい。俺の身勝手だってわかってる、けど・・・。俺のしでかした不始末は、誰かにかけた迷惑は、俺の手で解決したい!俺に、償わせてください!」

 溶けた諦念から出てきた思いは、何のことはない、「生きたい」という純粋な願いだった。8年前、家族だった者達に裏切られ、街に棄てられてもなお消えなかった願い。このままでは終われない、終わらせないという怒りにも似た思いだ。その思いが、ライルをここまで運んできたのだ。

 そして同時に、ライルは、自分の目から、思いが涙となってこぼれるのを感じた。

 泣くなんて、何年ぶりだろう。両親が死んでから、家を放逐されたあの日から、俺は泣くのをやめた。俺は強くありたかった。誰よりも強く。どんな逆境にも笑っていられるように、涙など絶対に見せたくはなかった。それがなぜ、今・・・。

 そんなライルを、異邦人の男がすこし柔らかくなった、どこか満足そうな目で見ている。

「・・・わかりました。では、判決を言います」

 その場にいる全員の視線が裁判長に集まる。

「被告ライル=カーバインを少年院送致処分とします」

 傍聴席がどよめく。サラが唇を噛んでうつむく。弁護人は、再び深く裁判長に頭を下げる。

「いいですか、ライル。あなたの今の言葉、そして涙に、私も可能性を感じました。でも、今のあなた一人では、償いなど到底不可能です。この人のもとで、学びなさい。そして、償いとは何か、考えなさい。あなた達子供には、その時間がある」

 最後に裁判長は優しくライルに語りかけた。その目にも、先程異邦人の男の目に見た何かが宿っている。遠い昔、両親がまだ生きていた頃、彼らが自分に向けた眼差しにも似た暖かい光。

「・・・はい・・・!」

 ライルは強くうなずく。そして彼らの目に宿るもの、冷え切っていたはずの自分の心に温もりを与えたものの正体に気づく。

「ショウさん、ライルのこと、頼みましたよ。」

「お任せください。私が、私たちが、彼を必ずたたき直す」

 裁判長が異邦人の男に話かけ、ショウと呼ばれたその男は、揺るぎない自信を持ってそう応じた。

 彼らの目に宿るもの、それはライルがずっとほしかったもの、そして与えられることがなかったもの。「信頼」と呼ばれる光だった。

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