第一章 炎賊

「はっ、はっ、はっ、はっ・・・!」

 月明かりの中、王都に張り巡らされた水路を一人の少年が走っている。背格好からして齢13、4といったところか。暗赤色のローブを羽織り、フードを目深にかぶったその姿は、夜陰に紛れて視認されにくい。

「くそったれ、どこでしくじった・・・⁉︎」

 荒い息の中に、悪態がまじる。声変わりを迎える直前特有のハスキーな声。大人でも子供でもない中途半端な時代を彼は生きている。

「うおっ!」

 水路の水草に足をとられたか、少年がバランスを崩す。その拍子にフードが外れ、夜目にも鮮やかな赤毛が水面に映えた。

 ライル=カーバイン。それが彼の名前だ。後の宮廷魔導師その人である。しかし、今は。

 頭上に人の気配を感じ、ライルは慌てて水路の壁に貼り付いた。

 王都ユグドールは、峻厳なユーリル山脈の東端を背に建設された王宮を中心とし、放射状に発展してきた都市である。ユーリルから流れ来る清く豊かな水を生活用水として活用するため、網の目のように水路が張り巡らされることとなったが、都市の拡大に伴い、水路は複雑さを増し、さながら迷路のようになっている。水路の丈はちょうど今のライルの身長程度、季節は春、雪解けの増水も落ち着いた頃で、水かさもライルの膝下までしかない。追跡者から隠れ、逃げおおせるには絶好の経路と言えた。

 息を殺し、人が去るのを待つ。もうかなりの間逃げ続け、追跡者も撒いたはずだ。緊迫感のかけらも感じない呑気な気配は、夜気でも吸いに散歩に出てきたこのあたりの住民というところか。ちょうど月も雲に隠れた。気配を殺せば察知されることはない。

 待ちながら、ライルは今夜の状況を思い返す。

 いつものように、ターゲットの家屋周辺に時限式の「爆裂球バーストボール」を仕掛け、爆音と閃光の混乱に乗じて家内に侵入、あらかじめリサーチしてあった金庫を破壊し、ごっそり溜め込んでいた金品を頂戴する、そこまでは良かった。

 しかしライルが悠々と裏口から脱出しようとした時、そこは既に王都警察の警官隊に包囲されていた。早すぎる展開だった。あらかじめライルがそこに侵入盗に入るのを、そして裏口から脱出するのを奴らは知っていたようだった。

 なぜバレた?「リサーチ」を依頼した連中が裏切ったのか?

 そんなはずはない、彼らは、あいつらは俺の「家族」なんだ。俺たちは運命共同体、俺がしくじればあいつらも一緒に破滅する。そんなはずはない・・・!

 ライルは思わず首を振る。しかし、彼の計画を知るものは、彼と、「あいつら」しかいない。誰かが裏切ったとしか、思えなかった。

 ライルは孤児だった。この時代、長く続いた隣国エグジット帝国との戦争、いわゆる「三十年戦争」の戦禍によって、多くの戦災孤児が王都に溢れていた。ライルの両親も、王都でも指折りの炎術の使い手、カーバイン家の一族郎党を率いて参戦し、幼い息子を一人遺して討ち死にしていた。

 戦後、王国が運営する孤児院が彼らを保護したが、エグジットとの和平からはまだ五年、戦禍からの復興は未だ遠く、王国の財政状況は逼迫しており、孤児たちの生活は厳しかった。彼らは、飢えと病気に日々苦しめられ、そして弱った者から順に死んでいった。

 孤児達が浮浪化し、王都で犯罪に手を染めるようになったのも無理はないことかもしれない。盗賊ギルドをはじめとする非合法な組織にとって、孤児達は使いっぱしり(あるいは使い捨て)の駒として有用な存在だった。

 しかし、ライルはその状況を良しとしなかった。彼は組織に属さず、国民の多くが貧しさに喘ぐ中、戦争によって荒稼ぎをし、王国の中心部で豪奢な生活を送る武器商人をターゲットとして選び、その恵まれた魔導の才をもって侵入盗を繰り返すようになった。ライルは孤児たちをターゲットの「リサーチ」役とし、商人宅のおよその間取り、警備の状況、一家の生活リズムなどを綿密に調べさせた上で、実行するときは冷静かつ大胆に行動した。さらに、盗んだ金銭は孤児たちや、貧しく生活に苦しんでいる都民に惜しみなくばらまいた。

 ライルの行動は、すぐに多くの貧しい都民から歓迎されるようになり、彼が盗みに入ったニュースは、警察当局を出し抜き、戦争犯罪人たち(少なくとも貧困に喘ぐ都民から見れば)が痛い目にあう痛快事として都民の口の端に登るようになっていった。

 結果、ライルは都民から「炎賊」の二つ名を頂戴し、その活躍は戦後の王都において一つのトピックスとなっていた。

 ・・・頭上の気配が消えた。ライルは疑念を頭から追い出し、また走り出した。今は逃げなければ。しかし、どこへ。都内に複数あるライルのねぐらは、おそらくあいつらの裏切りによって、既に警察にマークされているはずだ。

 あいつらが信じられなくなった今、俺の居場所は、帰るべき場所はどこだ。

 絶望感に駆られながら、目的もなくがむしゃらに走りつづけ、曲がりくねった水路を抜けた先、複数の水路が合流する広いスペースに出たライルは、その中心にぽつんと立つ人影を見た。月は雲に陰り、黒い影にしか見えないが、体格から見て大人の男だ。両の手に武器らしきものはなく、鎧やローブも着込んでいない。平服のように見えたが、警察の制服でもない。

 なぜ今、こんな時間に、兵士でも魔導師でも、警官でもない男がここにいる。その影はこちらを向いているように見えた。影の視線がライルを射抜いているのを感じる。ライルは鳥肌が立つのを覚えた。

 盗みに入っても、誰も傷つけないのが炎賊ライルの信条であり、彼の人気の理由の一つでもあった。彼の計画は、そして行動はいつだって完璧で、人を傷つける必要もなかったのだ。

 しかし、今、ライルは、この影に明確な恐怖を感じていた。思わずその場に立ちすくむ。

 こいつは、何者なんだ。なぜ何も喋らない。なぜ俺を見ている。そして、こいつは、何か、本質的な何かが俺たちとは「違っている」。ライルの動物的な勘がそう告げていた。

 次にライルの心中に生じたのは、どうしようもない怒りだった。仲間に裏切られ、身一つで無様に逃げ続け、そして影一つに無様に怯えている自分。子供のように震え出しそうになっている自分に対する怒りだ。

 俺は炎賊ライルだ。あの日から、この街に棄てられたあの日から、俺はどんな困難も俺の力で乗り越えてきたんだ。やってやる。

 彼は口中で呪文を唱え、両の手に魔力を集めていった。

「やめておけ」

 不意に、影が口を開いた。よく通る男の声だ。ライルの肩が震える。

「もう火遊びは終わりだ。俺と一緒に来い、炎賊。いや、ライル」

 こいつ、なぜ俺の名前を知っている。なぜ俺がここを通ることを知っている。やはり誰かが裏切りやがった、誰だ。誰だ誰だ誰だ誰だ誰だ。

 ライルは既に冷静さを失い、歳相応の子どもに戻っていた。怒りが彼の胸中をどす黒く染め、その矛先は目の前の影に向かった。

「そこを、退けえぇぇぇぇ!」

 もはや不殺の信条も関係なかった。彼の両手に集約した最大限の魔力は、二柱の絡み合う業火となって影に向かって進路の水を蒸散させながらほとばしり、影に直撃した。爆音が闇夜に響き、水蒸気が霧となって周囲に立ち込める。

 やってしまった。ライルの知る最大級の炎術、両親から唯一ライルに遺された魔導書に記されていたカーバイン家秘術「火竜の双腕」。直撃すればどんなモノでも消し炭になる。魔法防御のない平服であればなおさらだ。

 ライルは背を向けてその場から逃げ出す。やってしまった。人を殺してしまった。

 しかし、いずれいつかはこうなっていたのではないか。と、ふとライルは思う。

 いつか、俺の罪はどこかで露見し、誰かに追い詰められ、そして俺はその前に立つ者を己が魔力で殺してしまっていたのではないか。遅いか早いかの違いでは・・・。

 その時、彼の腕が後ろから掴まれた。ライルが振り返ると同時に足が払われ、ライルは顔面から水に突っ込むことになった。首の後ろをつかまれて起こされると、掴まれた腕がねじられ、ライルはただ悲鳴を上げた。

「俺と一緒に来いと言った、ライル。お前の罪を背負いに行くぞ。」

 先ほどの声と同じ主だった。

 馬鹿な、「火竜の双腕」が直撃したはずだ。生きていられる人間はいないはずだ。

 ライルは首をなんとか後ろにねじり、相手の顔を見た。その時、雲間から出た月明かりが、ちょうど相手の顔を照らした。

 傷ひとつない、齢三十前後の男だった。黒い髪に、茶がかった黒い瞳がライルをひたと見据えている。鼻筋は通っており、融通の効かなそうな唇はへの字に結ばれている。そして、その耳、自分たちとは違う先が尖っていない耳を見て、ライルは得心した。相手が秘術を受けてなお火傷ひとつ負っていないわけを。

異邦人エルフ・・・!」

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