魔導王国の法務教官 1

T

プロローグ

「やれやれ。」

 後ろ手に執務室の扉を閉めながら、その初老の男は思わず呟いていた。

 今やラングバルト大陸の大半をその勢力下に置く、魔導王国ユグドール。その宮廷魔導師として新たに就任が決まったその男は、肩先まで無造作に伸びた真紅の赤毛をかき上げながら、己が使用することになる執務机へと向かう。

 齢六十を超えても、未だ壮健な足取りは衰えを知らず、宮廷魔道士の正装たる大仰なローブと、その上に羽織った真紅のマントの下には鍛え上げられた肉体があることを示している。

 まっすぐに前を向いた眼光は男の強い意志を宿して鋭く、鼻は高く、唇は薄い。雑な頭髪に比して、丁寧に整えられた赤い口髭は、相応に身なりにも気をつかう男の細やかさか。

 と、その時、執務机の陰から小柄な人影が一つ、転がるように飛び出てきた。

 「何者か!」

 間髪入れず男は右手を前にかざす。炎の魔力がみるみる右手に集約し、男の髭面を赤く染めるとともに、現れた人影を照らし出す。 

 「ままま待ってくださいライル様!私は王都新聞の記者です、殺さないで!」

 そう叫び、記者証を前にかざしたその姿は、眼鏡をかけた華奢な体躯の若い女だった。目が大きく童顔で、愛嬌のある顔立ちをしている。

 その振る舞いに殺気はまるで感じられず、暗殺者の類ではなさそうだ、と判断したライルと呼ばれた男は、しかしなおも火球を伴う右手をかざしたまま女に質問をする。

 「どうやってここに入った。目的はなんだ。」

 落ち着いた声色だが、有無を言わせない厳しさがあった。右手の火球は一級品の魔道具でさえも到底防げない致死的な魔力が込められている。

 しかし女はそこでニヤッと不敵に笑った。

「もちろん、ライル様の突撃取材です。あの「剛魔の赤竜」が冒険者稼業から一転、ユグドールの宮廷魔導師に就任!今最もホットなニュース!国民の注目の的です!おっと、侵入方法は企業秘密ってことで!では早速、なぜ今、この時期に宮廷魔導師に⁉︎誰かの推薦ですか⁉︎それとも自ら王国に申入れを⁉︎」

 女は一気にそうまくしたて、懐からメモを取り出し大きな目を輝かせてライルに詰め寄る。

 まだ若いのになかなか豪胆な記者だ。王宮の厳重な警備を潜り抜けてここまで侵入した手腕といい、案外王都新聞のエースなのかもしれん。先ほどの会見に王都の記者がいなかったのはこういうことか。ライルは数分前までの喧騒(狂騒と言ってもいいかもしれない)を思い出し若干顔をしかめた。

 ライルは右手の魔力を霧消させると、目を輝かせる女を横目に執務机についた。机上には、引継書の類か、現在の王都の懸案事項か、書類が山と積まれており、これから始まる慣れない「お役所勤め」の未来が決して心躍るものではないことを暗示していた。

 ユグドールの宮廷魔導師は、単に魔導をもって王宮を守護するのみならず、その見識をもって王政を補佐する摂政の役割も果たさねばならない。理解していたつもりではあったが・・・。

「ちょっとちょっとライル様!無視ですか!どうすんですかあたしは!せっかく苦労してここまで来たのになんなんですかもう!」

 女が顔を真っ赤にして怒っている。まるで子供だ。ライルは苦笑する。

 警備兵を呼んで速やかにお引き取り願うことも可能だが、頑張った子供にはご褒美が必要だろう。

「わかった。ここまで来た君の苦労に敬意を表して、取材を受けよう。ただし、質問は一つだけだ。」

 ライルは自身がこの状況を楽しんでいるのを感じた。これからの暗雲立ち込める仕事を前に、一服の清涼剤を得たような、そんな感覚があり、自然にこの女記者に好感を抱いている自分がいる。あるいは、単身この執務室に乗り込んだ彼女の豪胆さに、かつて苦楽を共にした冒険仲間の姿を重ねたのか。

「え・・・⁉︎本当ですか!で、でででは・・・、なぜスリルと宝物を求め、第一線でド派手に活躍していた冒険者のあなたが、「剛魔の赤竜」の異名をとり、あの「不還(かえらず)の迷宮」を攻略し、名誉も一生遊んで暮らせるだけの財も得たあなたが、これまでの道と180度異なる、地味で堅実な宮廷魔導師の道を選んだのか、それを教えてください!」

 女は喜びを隠すこともなく、しかし先ほどの記者会見でも散々質問された事項を尋ねてきた。さっきは面倒だったので「それも悪くないかと思った」としか答えなかったが・・・。

 その質問に答えることは、実に容易い。一言ですむ。しかし、その言葉の意味するところを正確に伝えるには、己の生い立ちから、自分の今を運命付けた「あの人」との出会いから、全てを語る必要がある。言葉が時に一人歩きし、様々な誤解を生じ、要らぬ紛争を生むことをライルは知っている。正確に自らの思いを他者に伝えることのなんと難しいことか。

 しかしこの節目の日、これまでの六十年余の歳月を振り返るのも悪くないかもしれん。ライルはふとそう思った。自分ももう過去の栄光を後進に偉そうに語る老境に至ったということか。

 自嘲気味に思ったのも束の間、ライルは過去の記憶を辿り、語り出そうとしている己の唇を自覚した。

「少し、長い話になるぞ」

 そしてそれはもちろん、「少し」では終わらなかった。

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