第九章 侵襲

 その夜。ピィィィーッという高くけたたましい音にライルは眠りを破られた。初めて聞く音だが、それは何かの警報のように聞こえた。身を起こすと、同室のゼイン、アルも何事かと起きて辺りを見回している。

「みんな!無事か!すぐにホールに集合!」

 緊張感を帯びた当直のレンの声が寮内に響く。

 ただ事ではない雰囲気に、ライルはすぐに布団を跳ね上げ、ホールへ向かう。眠い目を擦りながら、それでも全員が灯りのともされたホールに集まってくる。

「11、12、13・・・。よし、みんないるな。いいか、よく聞いて。何者かがここに侵入したようだ。目的はわからないが、こんな夜中にこっそり入ってくるんだ、良い事でないことだけは確かだ」

 侵入者・・・!子ども達が顔を見合わせ、困惑する。

「ショウ先生とサルマンが対応している。君たちは僕が守る。ここで僕の指示を良く聞いて、事が収まるまで落ち着いて座って待っているんだ、いいね」

 レンは笑顔だが、隠そうとしても隠しきれない緊迫感がその声音に宿っている。子供達は不安そうに身を竦め、それでもその場に腰を下ろし始めた。

「レン先生、白愛寮の方は・・・?」

 ライルが聞く。エリスのことが心配だった。

「あっちはミオ先生が守ってくれている。大丈夫だ」

「でも、みんな一緒にいた方がいいんじゃ・・・。修練場なら頑丈そうだし」

 ライルは食い下がる。彼女を守らなきゃ、俺が守りたい、という思いがそうさせた。

「ライル。敵はもう侵入してきている。闇の中、君たちをあそこまで移動させるよりも、この寮内にいた方が安全だ」

 レンが有無を言わせぬ口調でそう言う。

 敵・・・!その言葉に、ライルは緊張感を新たにする。明確な敵意を持つ何者かが、ここに・・・?昼間の襲撃と何か関係があるのか・・・?

 そう思ったのも束の間。

「伏せて!」

 レンの言葉と、ドオン、という爆発音とともに、寮の入口でもあるホールの扉が内側に向かって吹き飛ぶのは同時だった。

「くっ!」

 レンは飛んで来たドアを風の魔術で押し留める。その向こう側、爆煙からぬっと現れる姿があった。

「こんばんは〜、可愛いボウヤ達」

 それは道化の姿をしていた。緑と赤の縞縞模様の道化服から、ぴたりとした白い布地が覆うひょろりと長い手足が伸び、黒いシルクハットをかぶっている。白粉が塗りたくられた顔に赤い紅が毒々しく光る口。性別も年齢も不詳の異形に、子供達が短い悲鳴を上げる。

「・・・何者だ、なんのためにここに来た」

 レンがいつもと違う、低く抑えられた声でそう問う。

「あらやだ。いい男じゃなーい。初めまして、アタシはロージィ。「マッド・ピエロ・ブラザーズ」のロージィよ。よろしく〜」

 そう言い、道化は恭しくお辞儀をした。

「今宵はアタシ達の阿鼻叫喚、幽玄地獄のショーへようこそ。お代は無料、ただしお行儀の悪い子は、その魂を代わりにいただいちゃうわよ」

 そう言って顔を上げ、ライル達にウインクして禍々しく笑う。悪夢のようだ、とライルは思った。

「猛気風龍!」

 名乗り口上の間に詠唱を終えていたのだろう、レンが風の魔術をロージィを名乗る道化に放つ。あの時、暗殺者達を吹き飛ばした高位魔術だ。しかし、荒れ狂う風の奔流がロージィを捉える寸前、ロージィは素早く飛び上がってホールの天井に蜘蛛のように貼りついた。暴威を振るう風は開け放たれた寮の入口から猛烈な勢いで流れ出て行く。

「あらあら、困った子ね。おいたはダメよ〜」

「くっ・・・」

 天井に張り付いたまま、「逆さ」にこちらを見下ろし、余裕の笑みを浮かべるロージィ。

風刃ウインドカッター!」

 レンが天井に向けてかざした両手から、目に見えぬいくつもの風の刃が、かまいたちのようにロージィに殺到する。 

 次の瞬間、天井からロージィの姿が消えたように見えた。

「本当にいけない子。どうしてくれようかしら」

 一瞬の後、レンの背後に降り立っていたロージィの両手には、半円状の刃を持つ双剣があり、その一つはレンの喉元に突きつけられていた。速い・・・! 

「レン先生から離れろ!あなたは一体、どういう目的でここに来たんだ!」

 怯える子供達の中から、キズナが立ち上がり、気丈にもそう叫んだ。

「・・・あら。ここにも可愛い子。いいわ、教えてあげる」

 ロージィがレンに刃を突きつけたまま、真っ赤に塗られた唇を吊り上げて笑う。

「アタシ達は、こんなところに閉じ込められたあなた達かわいそうな子供達を開放しに来て上げたの。籠の中の小鳥達を大空に解き放つ、自由の使者ってところかしら。それとも、囚われのお姫様を救い出しに来た王子様がいいかしらね。うふふふふはははは」

 解放・・・?俺たちを?しかし、何のために・・・?

「そんなわけだから、みんなすぐにここから出ていってね?今なら外へと通じる秘密のトンネルが絶賛無料解放中だから、そこを通っていけば、晴れて自由の身よん」

「ふざけたことを、抜かすな!」

 気合と共にレンの周囲に暴風が吹き荒れ、ロージィは弾かれたように飛び退る。

「あらあら、まだやりたいの?風の魔術師さん、あなたがどんな使い手でも、特にこの屋内では、アタシには絶対に敵わない。さっきのでわかったでしょ?」

 ロージィは余裕の笑みを浮かべる。

 確かに、レンの風の魔術は屋外でこそ本領を発揮できる性質のものだ。俺たちもいるこのホールでは、広範囲を巻き込むような大規模な魔術も使えないだろう。

 レンもそれをわかっているのか、いつもと違う余裕のない表情で、ロージィを睨み付けている。

 俺が、やらなきゃ・・・!

 ライルは、立ち上がってレンの方に向かう。

「あら・・・?あなた・・・?」

 その様子を見てロージィが目を細める。

「ライル、座っていろ」

「レン先生、あいつの動きを封じて。俺がやる」

 制するレンに、早口にそう伝える。

「馬鹿な、何を言って・・・!」

「あいつを止めるにはこれしかない。お願い、俺を信じて」

 ライルの真剣な眼差しに、レンが口をつぐむ。

「あなたがライル君?うふふ、ターゲット、みぃつけた」

 ロージィはそう言って、ライルを見て心底嬉しそうに笑った。

「あなただけは残念ながら解放できないの。あなたは特別。でも大丈夫、アタシがたっぷり苦しめて殺してあげるから」

 ロージィが舌舐めずりをし、ライルはおぞましさに鳥肌が立つのを感じた。

 こいつは、俺のことを知っている。俺を殺すことも今回の襲撃の目的の一つというわけだ。以前の暗殺者の襲撃といい、俺に生きていて欲しくない人がどこかにいるようだ。それは、誰だ・・・?

縛圧風プレッシャーウインド!」

 その時、レンがロージィに向け、広範囲に風の圧力をかける魔術を放つ。

「・・・!?」

 ロージィは飛び上がって避けようとするが、全方位に迫る向かい風を避けきれず、風圧にその身が捕らえられる。今!

火線竜ドラゴンズライン!」

 ライルの右腕から赤くか細い線が高速で伸びる。その線は糸のようにロージィの右腕に巻き付く。

「何!?」

「爆発!!」

 ドゴォン!という音とともに、線に巻き付かれたロージィの右腕が爆発する。

「グアァアアア!」

 ロージィの絶叫がホールに響く。

「やった!」「すごい!」

 ライルの背後から子供達の歓声が聞こえる。

 いや、やっていない。火線竜は速度と精密さが命、確実に急所を捉えなければ、致命打にはならない。そう、魔導書に書いてあったのに。

「・・・うふふ、うふふふふふ。ちょっと、油断してたわね・・・。ガキだと思って、侮っちゃったわ。いけないいけない、またお兄ちゃんに怒られちゃう」

 爆煙の向こうから、ぬらり、とロージィの顔が覗く。その表情は憤怒に歪んでいる

「・・・怒られちゃうじゃない。よくもアタシの右腕を、この、クソガキがぁあああああ!!」

 一瞬の間にロージィに間合いを詰められ、ライルは思い切り蹴り飛ばされていた。

「ぐはっ!」

 したたかにホールの壁に叩きつけられるライル。敵とは言え、命を奪うことに一瞬の躊躇が生まれた。その結果がこのざまだ・・・。

「ライル!」

 慌てて駆け寄ろうとするレン。だめだ、あいつから注意を離しちゃ・・・・!

「ぐうっ!」

 音もなく近付いたロージィの膝蹴りが、レンの鳩尾にめり込んでいた。レンがその場に崩れ落ちる。

「うふふ、うふふふふ。これで邪魔者はいなくなった。さあみんな、ここから出ておいき。さもないと、ライル君の解体ショーを見ることになるわよ」

 右腕からぶすぶすと黒煙を上げながら、ロージィが禍々しく笑う。

 甘かった。あの一撃で決められなかったのは致命的だった。奴はもうこちらを警戒している。ライルの手持ちの魔術で、奴の動きを捉えられそうなものはもうない。胸と背中がひどく痛む。俺の人生もここで終わりなのか。こんなところで。

「・・・僕たちはここを出て行かない。ここが僕たちの家だからだ。次は僕が相手になる」

 キズナだった。恐怖で震える子供達の中、キズナが、ライルを庇うように立ち上がってロージィに向き合う。

「俺もだ。教え係として、こいつにはまだ教えなきゃならねえことがある」

 ゼインだった。そう言って、キズナに並んで立つゼインの足が、小刻みに震えているのをライルは見た。

「ぼ、僕も!」「俺もだ!」

 アルが、アビゲイルが、次々に立ち上がって、ライルを囲むように、並んで立つ。

 気が付けば、寮生全員が、ライルの前に人垣を作るように並んでいた。

 なんだ、これは・・・。

「や、やめろみんな。あいつの言う通りにするんだ、お前らまでここで死ぬことはない!」

 ライルは声を絞り出し、そう叫ぶ。胸が痛い。さっきの蹴りで肋骨が何本か折れているようだ。

「ダメだよライルくん。最初に君がここに来た時、僕は言ったよね。君は仲間だ、僕たちは家族なんだって。家族の危機を、僕は、僕らは見過ごさないんだ」

 キズナがライルを振り返り、笑いながらそう言う。何なんだ、こいつは。なぜそこまでできる。俺は赤の他人だ、お前らとはたまたまここで一緒に生活しているだけ、それだけなのに・・・。

 ライルの脳裏に、この二ヶ月間の彼らとの生活が蘇る。アビゲイル渾身のサルマンの物真似に、ホールが爆笑の渦に包まれ、ライルもつい笑ってしまう。アルが同室の三人分の布団を干すため、いっぺんに持とうとしてできず、ゼインがぶつくさ言いながら手伝っている。そんな様子をキズナが暖かく見守っている。

 この二ヶ月、認めたくないが、俺は、確かに、楽しかった。奴らと過ごす日々は、どこか荒んでいた孤児連中と過ごしたあの殺伐とした日々よりも、温かく、俺はずっと忘れていた穏やかな気持ちを感じていた。だからって・・・。

「・・・ああああー、なんて感動的なのかしら。あなた達の素晴らしい友情に免じて、ここは退きましょう・・・なぁんてね!」

 子供達のやり取りに、感極まった素振りを見せたのも束の間、凶悪に舌を出して笑いながら、ロージィは鋭い回し蹴りをキズナに放っていた。

「・・・くっ!」

 すんでのところで上体を逸らして蹴りをかわすキズナに、ロージィが驚く。

「あら、アタシの蹴りをかわすなんて。ここの子供達はなかなか油断ならないようね。いいわ、ここから出て行かないなら、一人ずつ、嬲り殺しにするだけ。一体何人目で、ここから逃してくださいって泣き出すかしら。うふ、うふうふうふうふ」

 ダメだ、こいつは完全に性根が歪んでいる。

「まずはあなた。あなたがここのリーダーかしら。あなたからゆっくり、じっくり殺してあげる。仲間だの家族だの、くだらないクソみたいな言葉を連ねてここに残ったことを後悔させてあげる」

 ロージィはキズナに狙いを定めたようだ。サディスティックな喜悦に道化の笑みが深くなる。レンは気絶したまま動かない。これでは、このままでは・・・。俺は、俺は何もできないのか。炎賊だなんだと言ったって、この程度なのか・・・!

「そこまでだ、道化」

 ロージィがキズナにその手を伸ばそうとした瞬間、凛とした声がホールに響き渡った。

 入り口に立つその姿は・・・。

「ショウ、先生・・・!」

 寮生が、皆が待ち望んだ姿がそこにあった。自分達を叱る時とは比べ物にならないほどの厳しい目がロージィを見据えている。

「生徒達にそれ以上手を出すな」

 静かな怒りがこもった声で、そう続ける。ロージィが新たな敵に、舌舐めずりをして向き合う。

「あら、あらあらあら。真打ち登場ってわけかしら。外の連中はどうしたのかしらね、あんなにいたのに・・・。まあいいわ。アタシがここで、殺すから!」

 そう叫ぶと、かき消えるようなスピードでショウに飛びかかっていく。

「・・・むぅッ!」

 次の瞬間、ショウの打ち上げ気味の拳が、思い切りロージィの顎に炸裂していた。

「・・・!!!」

 言葉にならない声を上げ、ロージィが上方向に吹き飛び、そのままホールの天井に激突する。

 ライルの目には、辛うじて、ロージィがショウの首を刈ろうと、横薙ぎに振るった左の半月刀をショウが体を沈めてかわし、そのまま伸び上がるようなアッパーを振るったのが見えた。

 どさっ、と、白目を向いた道化が床に落ちてくる。天井には大きなひび割れができている。なんて威力だ。

「ショウ先生!」「良かった、助かった!」「やった、やった!」「ライルが、レン先生が!」

 口々に叫んで子供達がショウに駆け寄る。

 ショウはちょっとほっとしたような様子で、子供達の無事を確認している。と、壁際に持たれているライルと目が合った。

「ライル、大丈夫か!」

 駆け寄ってくる。ライルは自分が涙が出そうなほど、ほっとしているのに気付いた。

「・・・へへっ、大丈夫です。肋骨が何本かいってますけど。それより、レン先生が・・・」

 安堵に震えそうになった声を悟られまいと、ライルはレンを指差す。

「レン!」

 ショウはレンに駆け寄り、抱き起こす。

「・・・大丈夫だ。気絶しているだけだ」

「・・・良かった」

 生徒達が一様に安堵のため息を吐く。

 ショウがレンの背中に喝を入れると、レンは意識を取り戻す。

「みんな、大丈夫か!・・・ショウ先生!あいつは!?」

 辺りを見回すレン。ショウは黙って戦闘不能になった道化を指差す。

「みんな無事だ。よくやってくれたな、レン」

「いえ、僕は何も、何もできませんでした・・・」

 悔しそうに歯噛みするレン。

「そんなことはない。お前のおかげでなんとか間に合った。俺はすぐ白愛寮に行かねばならん。ここを頼む」

 白愛寮、そうか、あいつは「マッドピエロブラザーズ」とか名乗っていた。兄がいるとか。エリス・・・!

「俺も、俺も行きます!」

 気が付けばライルはそう声をあげていた。

「ダメだ。お前は怪我をしている。ここに残れ」

「いやだ!戦力は少しでも多い方がいい!俺だって何かできるはずだ!行かせてください!」

 ショウがライルの目を見た。ライルは目を逸らさず、ショウの目を見据え続けた。

「・・・わかった。だが俺の指示には必ず従え。いいな」

「はい!」

 わかってくれた、と言う思いがライルを暖かく満たす。

「外の連中はあらかた片付けたが、まだ残っているかもしれん。救援信号は打っておいたから、おっつけ王都の警備隊が駆けつけるはずだが、それまでここを、生徒たちを頼むぞ、レン先生」

「わかりました。もう不覚は取りません・・・!」

 そう声を掛け、ショウは飛び出すように寮を出ていく。慌ててその背を追うライルに、頑張れよライル!と、寮生の、仲間たちの声が掛けられた。


 *


 白愛寮。ユグドール少年院の女子寮であるそこは、エリスを含めて9人の女子が暮らしている。そこに飛び込んだショウとライルが見たものは、氷漬けになったホールと、その中央にある道化の氷像だった。

「なんだ、一体どうした・・・?」

「ショウ先生・・・!」「ご主人様・・・!」

 驚愕するショウに、ホールの向こう側にいたミオとサルマンが駆け寄ってくる。

「ミオ!生徒達は⁉︎」

「無事です、教官室に避難させています。でも、エリスが・・・!」

 ミオは動転した様子で、ホールの向こう側、一際厚い氷に閉ざされた廊下の方を指差す。

 エリス・・・⁉︎突然出てきたその名前に、ライルの心臓が跳ね上がる。

「落ち着け、ミオ。何があったのか、経緯を教えてくれ」

「はい・・・」

 深呼吸をし、ミオが事の経緯を語り出した。


 その道化は、マッドピエロブラザーズの兄、モーリィと名乗った。そしてロージィと同じように、ここから子供達を解放しに来た、と宣言した。

 やはり手練れの暗殺者のようであり、ミオの魔術を持ってしても太刀打ちができず、ミオは捕われ、生徒達はミオの命が惜しければ出ていくよう脅された。しかし、出ていこうとする者はおらず、ミオを助けようとする者さえ現れた。エリスだ。

「ミオ先生を離しなさい。私はここを出て行かない。ここが私の家だから」

 静かに、エリスはそう言ったという。

「あら。あなたがエリスちゃんね。お父様が、あなたの帰りを首を長くして待ってるのよ。他の子はともかく、あなただけは五体満足で連れて帰れって言われてるの。またあなたと「仲良く」暮らしたいんだって。あら、アタシったら喋りすぎちゃった。まあいいわ、ちょっと計画と違うけど、あなた以外みんな殺しちゃえばいいのよね、うふふふ」

 そう言って、モーリィは笑った。

「・・・お父様が・・・⁉︎」

 エリスの目が驚愕に見開かれ、そして、昏く沈んだ。

「あの人は、どこまでも、どこまでも私に付いてくるのね。ここなら安全だと思ったのに、ここなら安心して暮らせると、そう思えていたのに・・・!」

 次の瞬間、エリスの空色の髪が逆立ち、エリスから膨大な氷の魔力が溢れ出てきた。

「やめなさい、エリス!」

 ミオの静止も、エリスには届いていないようだった。

「うう、うわあああああああああああああ!!!」

 絶叫と共に、エリスの魔力が暴発した。

 ミオは、自らと生徒達をその圧倒的な氷の力から守るのに全魔力を費やさねばならなかった。

 気が付くと、ホールは氷で閉ざされ、道化は芯から凍っており、エリスの姿はなかった。


「私めが到着した時には、すでにこの状態でした。エリス殿は、どうやらあの厚い氷の向こう側、自室に籠られているようで。この氷の強度はまるで永久凍土のようで、私めの術と拳ではヒビひとつ入らず、さりとてミオ殿の魔力も尽きており・・・」

 サルマンが困り果てた様子でそう言う。

「寮の向こう側から、壁を破って入ることはできないのか」

「ええ、それも試したのですが。どうやらエリス殿は、居室全体をかの氷で厚く閉ざしているようでして。このままでは、いかに氷の魔術の使い手といえど、冷気に耐えきれず凍死してしまいます」

「ごめんなさいショウ先生。私の残りの魔力では、あの子の部屋まで解呪することはできなくて・・・。あの子が暴走したときは、私がなんとかするって、思ってたのに・・・」

 力なく項垂れるサルマンとミオ。

「いや、ミオはよくやってくれた。他の子達が無事で何よりだった」

 そう言ってミオをねぎらい、ショウは氷の壁に向き合う。

「俺の絶対魔法防御も、既に生成されてしまった氷壁を破ることはできん。さて、どうするか・・・」

「俺にやらせてください」

 ライルは、そう申し出た。ライルはこの状況に、運命的なものを感じていた。俺しかできない、俺にしかできない。

「俺の炎の魔術なら、この氷を溶かせる」

「・・・ライル」

「天の采配かもしれません。ライル殿の炎の魔術は折り紙付き。ライル殿ならば、あるいは」

 サルマンも背中を押してくれている。

「ミオ、お前の残りの魔力で、ライルの怪我を治すことはできるか?」

 ショウがそう言い、ミオがうなずく。ってことは・・・。

「ライル、お前に任せる。あいつを、エリスを救出できるのは、今、お前しかいない」

「はい!」

 ショウの言葉に、ライルは大きく肯く。

 やってみせる、なんとしても、エリスを助けてみせる・・・!


 *


 とは言え、エリスの氷は難物だった。

 ライルの炎にも易々と溶けず、相応の時間と魔力を必要とした。

 全く、頑なにも程がある・・・!でも必ず、溶かしてみせる!

 ライルは分厚く硬い氷の壁に、エリスの閉ざされた心の壁をいつしか重ね合わせていた。

 そしてその思いが、まずはエリスの部屋の前へと通じる廊下への氷を溶かした。

「・・・ハァ、ハァ、まずは、一歩前進・・・!」

 ライルは肩で息をしながらそう呟く。未だかつて、ここまで魔力を行使したことはない。自分の魔力には自信があったライルだが、ここから先は未知の領域だった。どこまでもつか、エリスに届くのか・・・?

「大丈夫か、ライル。少し休むか」

 ショウが心配そうに声を掛けてくる。

「いえ、大丈夫です。あとは居室の入り口だけですから、やってみせます」

 急がないと、氷の部屋の中にいるエリスが凍り付いてしまう。ライルは、廊下の氷よりもさらに分厚い、エリスの部屋の入り口の氷壁に向き合った。

 何がそこまで、君を追い詰めたんだ。こんなにも人を拒絶し、誰も寄せ付けないように張り巡らせた氷の結界は、何から自分を守るために張ったものなんだ。

 炎の魔術を行使しながら、ライルは、エリスの言葉を思い出す。

「全部燃やしてくれれば良かったのに」と彼女は言った。

 君の家か。君が忌避し、そして何よりも恐れていたのは、君の家、家族だったのか。

 そうに違いない、とライルは半ば確信する。自分にはもうない家、そして家族。家が、家族が、時に人を苦しめることをライルは知っている。温かかった家から追い出される辛さ、そして血が繋がっているが故に、切ろうとしても切れない繋がりが、余計に募らせる憎悪。

 あるいは、俺を殺そうとしているのはアルバ叔父かもしれない。ふとライルはその可能性に気付く。

 アルバ叔父は、俺の力を恐れている。幼い日、追い出したはずの甥が、目の前に大きな力を持って現れる。一族の正当な後継たる炎の魔力を持って。殺される、復讐される。そう思ったのかもしれない。殺される前に、殺す。そう思っても不思議はない。

 だとしたら、哀れな人だ。俺を家から放逐したあの日、アルバ叔父は俺を殺すことだってできたはずだ。しかしそこまで鬼になれなかった。そして今になって、暗殺者の力を借りて俺を亡き者にしようとしてくる。

 暗殺者、あのロージィとか言う道化。俺はあの時もう殺されると思った。だけど、キズナたちが、身を盾にして俺を守ってくれた。あいつは俺のことを家族と言った。血は繋がっていないけれど、確かな絆がある、そう言う家族も、世の中にはあるんじゃないか?俺が求めていたもの、炎賊として盗みを働いていた俺が本当に欲しかったものは、そう言う家族なんじゃないか。

 そしてエリス、君も、そう言う家族を持てばいいんだ。

「・・・ライル、ライル!!」

 誰かが自分の名前を呼んでいる。この声は、新しい家族の長、誰よりも頼れる俺たちの先生の声だ。

「・・・お父さん」

「誰がお父さんだ」

「わわっ、ごめんなさい!」

 ライルは顔を赤くしてショウに頭を下げる。魔力の使いすぎで、気を失っていたようだ。

「立ったまま気絶とは、なかなかいい根性だな」

 ショウが何故か照れたように笑いながらそう言う。

「見ろ、入口が開けたぞ。だが・・・」

 ライルの魔力で、エリスの部屋の氷は溶け崩れていた。そしてそこから、闇の中から、身を切るような冷気が吹き出してきている。

「俺が行きます」

 ライルは迷わずそう言っていた。

「無茶をするな」

「大丈夫です。最後までやらせてください。あいつは、エリスは、俺が助ける」

「・・・わかった。ただし、必ず助けろ」

「はい!」

 自分の無根拠な言葉を、留保なく信じてくれることが嬉しい。

 ライルは心に灯る暖かさ、「信頼」と呼ばれる言葉一つを胸に、エリスの暗闇に飛び込む。冷気が一段と強くなり、髪が、衣服が凍り付いていく。ライルはなけなしの魔力を奮い起こし、炎を身に纏わせた。

 一番奥の窓際のベッド、そこに横たわる人影がある。冴え冴えとした月明かりを浴びて、眠っているように瞳を閉じている。エリスだ。

 綺麗だ、と、いつかの夜のように、ライルは思う。でも生命力が感じられない。生きようとする力が、彼女の体から失われてしまっているようだ。

 ライルはエリスに近づき、その身を抱き抱える。氷のように冷たい。心臓の音が聞こえない。止めてしまったのか。生きることをやめてしまったのか、エリス。だめだ、そんなのはダメだ。

「だめだ、エリス。まだ行くな。この世界には、まだ君の知らない素晴らしいものがあるかもしれないんだ。君の欲しいものが、手に入るかもしれないんだ。それを手にするまで、簡単に諦めるな!君の可能性をゼロにするな・・・!!」

 そう叫んだライルの体から炎の魔力が溢れ出る。それはまるで、不死鳥のように、炎の少年と氷の少女を暖かく包み込んだ。そして・・・。

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