幕間 検事

「なんとかならんのですか、検事長殿!」

 ユグドール王国検察庁、その応接室でアルバが声を張り上げている。

「まあまあ、アルバ殿。何度も言いますが、あの少年院とか言う場所については、我々検察の管轄外でして・・・」

「管轄外!これだからお役所の方々は困る!我らが後継者、未来ある若者のためと言っているのに、管轄も何もないでしょう!」

 弱り顔の検事長に畳み掛けるアルバ。

 検事長が助け舟を求めるように隣に座るサラを見てくる。先ほどから延々続くこの「陳情」に心底うんざりしていたサラが諦めたように口を開く。

「とは言え、甥御殿の少年院送致は、れっきとした裁判所の判決であり、法の担い手たる我々はそれに従うほかないのです。ご理解いただきたく・・・」

「悪法も法というわけですか!そもそもこの、少年院法とか言いましたか?放蕩王子が戦後のドサクサで成立させた法律自体、非常に疑義がありますな!」

 今度は法律自体に難癖をつけ始めたか、とサラが長期戦を覚悟した時、それまで黙して語らなかったアルバの隣に座る男が口を開いた。

「少年院送致は不定期刑、いつ出てこられるかは院内の行状次第ということだが、それでは我々は一体いつ子供が帰ってくるかもわからない。さらに言えば、あのショウとか言う男の胸先ひとつで収容期間が定められ、子供たちの自由が奪われるというこの制度、果たして法治国家たる我がユグドールにふさわしいものでしょうかね、サラ殿」

 細面で、一見すると整った顔立ちにも見えるが、眼鏡の奥に怜悧に光る鋭い目が、男の印象を危うく近付き難いものとして定義している。

 男の名はグイド。炎賊事件の被害者の一人であり、エリスの父親だ。やり手の武器商人として戦中に財を築き、戦後になってもなお衰えを知らぬその勢いは、暗殺者や盗賊ギルドといった非合法な組織との闇取引の賜物だと囁かれている。グイドの鋭い言葉と視線に、サラは思わず萎縮してしまう。

 サラにはこのグイドに負い目があった。被害者となったライルの裁判では、厳罰を求められていたにも関わらずそれに応えられず、また、エリスの事件でも・・・。

「いやはや全くもってその通り。ただ我々も、あなた方に法律を変えろなどと無茶を言うつもりはありませんよ。ただ、可愛い甥と娘を一日でも早く返して欲しい、そのために検察の皆様のお力をお借りしたいとお願いしている、ただそれだけです。法の担い手たる皆様のお力ならば、あの少年院に何か働きかける術があるのではないですかな?」

 グイドの言葉に黙したサラたちに、好機と見たか、アルバが態度を一変させ、本題を切り出した。最初に無理難題を吹っかけ、相手を疲弊させた後に下手に出て対応できそうな案件を持ち出すのは、犯罪者がよく使う交渉テクニックの一つだ。

「まあ我々検察も関係者ですからな。今度私からあのショウとか言う男に言っておきますよ」

 それにまんまと引っ掛かり、嬉しそうにそう応じる隣の検事長に、サラは侮蔑の眼差しを向ける。所詮金とコネで今のポストについているだけの小役人だ。現場経験もほとんどなく、法と正義の執行者たる検事としてのプライドも持ち合わせていないのだろう。

 この陳情者たちの求めに応じ、ライルたちの担当検事に腕利きと言われるサラを付けたのもこの男であり、おそらくどこかからか少なくない額の金が検事長の口座に振り込まれているはずだ。

 ところが常勝の腕利き検事が裁判ではまさかの敗北を喫してしまい、彼らに負ってしまった借りを返す好機が今、と言うわけか。サラは自分がその一因となっていることに後ろ暗さを感じ、何も言わずうつむく。

「そうですかそうですか。検察のトップたる検事長殿のお言葉であれば、一官吏に過ぎぬあの無作法者も聞かざるを得ないでしょうな。何卒、よろしくお願いいたしますぞ」

 アルバが満面の笑みで頷き、グイドを促して退室する。

 去り際、グイドの粘つくような視線をサラは感じたが、彼は結局何も言わずに退室した。

「・・・やれやれ。なんとかなったな。では後のことはサラ君、よろしく頼むよ」

 検事長が額に浮かんだ汗を拭きながらそんなことを言う。

「・・・どう言うことですか?」

「検察一の切れ者にしては察しが悪いね。まあ、うちのエースはこう言う汚れ仕事はやったことがなくても当然か」

 ニヤニヤしながら言う検事長に、この上司と自分とは全く相容れないな、と感じるサラ。

「あの少年院に行って、ショウとやらに伝えるんだ、彼らの子どもを早く出せ、検事長がそう言っているとな。それで通じないようなら、私は宮廷にも顔が効く、私の言葉に従わないとどのような不利益が貴殿と大事な少年院に降りかかるかわからない、くらいは言っても構わん。流石の堅物も考えるところがあるだろう」

「しかしそれは、脅迫罪にも当たる行為では・・・!」

 自分が最も忌む犯罪行為を、検察のトップたる検事長が命ずる。納得のいかないサラは検事長に食ってかかる。

「いいかねサラ君。こうなってしまったのも、君が裁判で彼らの望む結果を出せなかったからだ。彼らには君こそ借りがあるはずだ。それを返すチャンスをあげようと言っているんだよ」

「・・・!」

 サラの顔が苦衷に歪む。検察のエースとして、多くの難事件を担当し、犯罪者に負うべき罪を負わせてきたサラの輝かしいキャリアについた傷。またあの異邦人に負けたんですか、エースの天敵は異邦人エルフってわけですね・・・。あの裁判以来、サラの栄達をやっかんでいた同僚たちがここぞとばかりに嘲笑する姿が、サラの脳裏に蘇る。屈辱だった。

 それもこれもあのショウという男、あいつが裁判に出るようになってから、少年院とやらができてから、調子が狂い始めたのだ。あの男が法廷に立ち、絵に描いたような理想論を振りかざして弁論を述べると、サラは冷静ではいられなくなる。犯罪者は忌むべき集団だ。厳しく罰し、心根を挫き、二度と罪を犯したくないと思わせねばならない。それをあの男は、彼らに必要なのは教育だ、更生だなどと・・・!

 あの異邦人に一泡吹かせたい、犯罪者の可能性とやらを信じるロマンチストが、自分の言葉で、権力の重圧に屈して抱いた理想をドブに捨てる様を見たい。

「わかりました」

 気がつくとサラはそう答えていた。

 全てあいつのせいだ、あいつが悪いんだ。生じた罪悪感の影をかき消すように、サラの心に暗い炎が燃えていた。


  *


 その日、庁舎を出たサラを、グイドが待ち受けていた。

「サラ検事。この後少し、お食事でもいかがですか」

 口元は笑っているが、目はちっとも笑っていない。油断のならない相手だ。

「いえ、折角のお誘いですが、このあとは予定がありますので」

 サラは素っ気なくそう言い、立ち去ろうとした。

「なんだ、つれないなあ。犯罪者の父親とは食卓を共になどしたくありませんか。でもあの子が犯罪者になってしまったのは誰のせいでしたっけ?」

 笑いながら痛点をついてくる。サラは思わず足を止めてしまう。

「これは失礼。でもまさか、うちの従業員にちょっと怪我を負わせたくらいの罪で、少年院に送られてしまうなんてね。あれはうちの従業員が乱心し、あろうことか私のエリスに抱きついたのが原因ですし、正当防衛が成立すると思ったんですけどねえ」

 ねちっこくそう続ける。嫌な男だ。蛇蝎のよう、とはまさにこの男のことだろう。

「わかりました。お付き合いしましょう」

 言われっぱなしの自分にも腹が立ち、負けん気の強さがそう応じさせていた。

「それは良かった。この近くに美味しい鴨料理を出す店があるんですよ」

 グイドはそう嬉しそうに言い、先に立って歩き始めた。


  *


 連れて行かれた店は、王都で指折りの名店として評判の高級レストランだった。グイド達を出迎えに現れた店員は深々とお辞儀をし、何も言わずに奥の個室へと通される。

 グイドは手慣れた様子でサラの分までコース料理とワインをオーダーし、

「それで、少年院にはいつ行かれるのですか?」

 いきなりそう切り出した。

「・・・なぜ、私が少年院に行くと?」

「あの検事長が自ら行くとは思えませんでしたからね。あの場にも同席させ、我々の事件をよくご存じのサラ検事に命ずるのが当然の流れでしょう」

 よく頭の回る男だ。静かに前菜と酒が運ばれてきて、明らかに年代物とわかる高級ワインがグラスに注がれていく。

「近いうちに行こうと思っています」

「そうですか。では、サラ検事のご武運を祈って」

 そう言ってグイドが杯を上げ、サラもそれに応じた。

 豊潤な田園の香りと、熟成された年月だけが生み出せる深いコク。美味しいワインだ。一体いくらするのか検討もつかない。

「ショウとか言いましたね、あの男。我々の裁判にもしゃしゃり出てきて、エリスのためには親元から離す事が必要だなんだと、下らぬ妄言を吐き散らして。それを信じる裁判官も裁判官だ」

 そう話すグイドの表情は全く変わらないが、抑えきれない怒りがその口調にこもり、グラスを持つ手を震わせている。

 何も言わず、前菜を口に運ぶサラ。グイドが続ける。

「あの男に検事長のご意向を伝えるんでしょう?しかし、あの男のバックには放蕩王子が付いていますからね。もしかしたら、全く意に介さないかも知れません」

 そうなのか。サラは食事の手を止めてグイドを見る。

「おや、ご存知ありませんでしたか。あの男と王子は、先の戦争の戦友なのですよ。まあ、王子の輝かしい戦功が喧伝されてばかりで、その影に控えていた異邦人の男のことなど、全く人の口の端に上りませんでしたからな」

「さすが、戦争のことはお詳しいのですね」

 サラはそう応じる。

「詳しくなければ、ここまで事業を大きくすることなど出来ませんよ。実はこの店も私が出資していましてね」

 サラの皮肉を皮肉とも思わなかったように、グイドは得意げにそう言った。

「話を戻しましょう。どうも、あの少年院法とかいう法律も、王子はあの男の入れ知恵で作ったような気配があるんですよ。なんでも、あの男がこちらに来る前にいた世界に、そういうものがあったんだとか。異邦の制度をこの国に持ち込むなど、正気の沙汰とは思えませんでしょう」

 そうだったのか。少年院という耳慣れない言葉も、教育と更生を主軸とした、罰とは思えないあの制度も、異界のものだからと思えば、納得がいく。

「ですから、我々が裁判で負けたのも、あの男の背後に戦争の英雄、今やこの国で最も人気があり、次期国王候補筆頭とも囁かれる人物がいたからなのですよ。いかに裁判官が中立の存在と言えど、放蕩王子の威光に逆らえるとは思いませんからな」

 そういうことか。あの男こそ、権威を傘に着て、法をねじ曲げていたということか。だから私はいつもあの男に負けていたのか。

 飛躍したような論理に、本当にそうか、という疑念が一瞬生じたが、きっとそうに違いない、とサラは思い直した。そうでなければ、私があの男に負けるわけがない。

「そうすると、私が検事長の言葉を伝えたとしても、おっしゃる通り、あの男には通じないことになりますね」

「そうなのです。実は、だからこそ、そのことでご相談があってお食事に誘ったのですよ」

 グイドは声を落とし、そう言った。

「相談と言いますと」

「このままでは、私はいつまでもエリスをこの手に取り戻せない。そこでサラ検事に、一つささやかなご協力をいただきたいことがありまして」

「具体的には何をすれば?」

 サラは、自分がこの男の口車に乗せられてしまっていることに気付いていた。しかし、このままでは、あの男に何も痛手を与えられず、裁判でずっと負け続けることになりかねない。検察のエースの称号も地に落ち、同僚からは嘲笑され続けるだろう。そのような屈辱に耐えられるサラではなかった。

「あの少年院は、一見難攻不落、高く頑丈な塀に囲まれ、出入口も正門しかなく、アリ一匹入る隙間がないように思えます。しかし、実は要塞時代に作られた緊急脱出用のトンネルがあるのです。それは外、具体的には王都の水路の一つに出られるようになっている」

 なぜそれを知っているのか、とは問わなかった。死の商人の情報網は、軍事機密にも及んでいるということだろう。

「当然その出入口は全くそうとはわからないようになっている。そして特殊な金属で作られており、破壊することは非常に困難だ」

「でも、出入りするためには、当然鍵がある、というわけですね」

「その通り。そこで、こいつの出番です」

 そう言うと、グイドは卓上に小さな箱を載せた。一見すると宝石箱のようにも見える華奢な作りで、大きさは握り拳程度。卓上の灯りを反射し、黒く鈍く光っている。

「これは・・・?」

「これは、魔道具です。ここに入れたものを、寸分違わず複製できる。使い方は簡単です。開けると二段になっている。上段にコピーしたいものを入れれば、下段に複製が出来上がる。一瞬でね」

 サラは、自分が以前担当した窃盗事件で、魔道具を利用して合鍵を作る手口があったことを思い出していた。これがその魔道具、というわけか。

「ただし、使えるのは一度きりです。こんなちっぽけなものですが、王都にささやかな家が建てられるくらいの値打ちものです」

「つまりそれを使って、その秘密のトンネルの出入り口の鍵を複製してきて欲しい、というわけですね。しかし鍵のオリジナルはどこに?」

「先日、アルバ氏に甥御殿の面会も兼ねて偵察をしてきてもらいました。中に入るまでが大変ですが、入ってしまえば働いている職員は4名程度です。出し抜くのにわけはない。鍵は、司令部の司令室、今はあのショウという男の執務室になっている部屋にあるはずです。おそらく貴女が少年院に行けば、司令室の応接スペースに通されるはずだ。そのタイミングで、我々がちょっとした騒ぎを起こします。ショウが貴女を残して出て行かねばならないくらいの騒ぎをね。そしてその間に、貴女は司令室内で鍵を捜索し、複製する。それを私に預けていただきたい」

「貴方はそれを使ってあそこに侵入する。何をするつもりなんです?」

 好奇心を抑えられず、サラは問うた。

「エリスを取り戻すんです。ついでに、閉じ込められて出たがっている子供たちも解放してあげましょう。罪を犯し、閉じ込められていたはずの非行少年たちが街に飛び出し、また悪さを始めれば、あの少年院の評判はがた落ちでしょうね。さすがの放蕩王子も、大勢の逃走を許したあの男をかばいきれないでしょう」

 グイドは心底嬉しそうに顔いっぱいで笑いながらそう言った。少年院送致処分には、罪を犯したものを社会から隔離し、人々の安全な暮らしを守る、という側面もある。それが脅かされれば、人々はあの施設を、あの男を許さないだろう。そうすれば、あの施設がなくなり、あの男がいなくなれば、自分はまた常勝のエースに戻れる。

 自分が最も忌むべき犯罪行為に加担することになる、という事実がサラの脳裏によぎったが、今の彼女には、汚名をそそぐことだけしか考えられなかった。

 彼女は、黙って卓上の小箱を手にし、それを鞄に仕舞い込んだ。

「ありがとうございます。これで私と貴女は共犯者だ」

 ニヤリと笑い、グイドはもう一度杯を上げた。

 もう引き返せない。その一語がサラの心を占め、その杯に応じた。

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