岸泉明

第1話


夕暮れの公園のベンチに座りながら、僕は楓と手を絡め、共に体を寄せて座っていた。彼女が自分の頭を僕の頭に寄せてくっつけた。そして彼女は僕に寄りかかる。彼女の体重をこの身に感じた。彼女の髪から、体からまるで金木犀のような甘い香りがした。僕の心臓は16ビートのドラムみたいに強く、早く脈打った。

とてもじゃないけどスマホの画面なんかに集中できっこない。

「どうしたの?」

彼女が体を僕の方に向けて不思議そうな目でこちらを見た。

「なんでもないよ」

と言って誤魔化すけど、僕は心臓が燃えるように熱くて、焼けてしまいそうだった。

「具合でも悪いの?」

「いや、べつにそういうわけじゃ」

「具合悪いなら無理しないで帰ろ」

ここで帰るなんて、いやだ。せっかくのデートだ。僕は冷静でないせいか、とんでもないことを口にしてしまった。

「じゃあ、チューしてくれたら直る」

「えっ」

冷静な判断ができたときなら、絶対にこんなこと言わないだろう。少し気まずい間が生まれた。バカだなぁ、僕。いつも背伸びして物事を言ってしまう。言わなきゃ良かった。と、思ったら、次の瞬間、彼女の顔が急に近くなったかと思ったら、楓の柔らかい唇が僕の唇と重なった。僕は思わず目をつぶった。唇から彼女の脈打つのがよくわかる。まるでツツジの花の蜜でも吸うかのように、甘いキスだった。少し目を開けると、彼女が赤面していて、僕もなんだか恥ずかしくなってしまった。でも、このままでいたい。ずっと、こうしていたい。僕は楓の体を抱き寄せた。外じゃなければこのままベットインだろうな。彼女のしなる若竹のような体を抱き寄せ、僕の胸の中で宝物でもしまうように大切に、ゆっくりと、でも強く抱きしめた。

「康輝くん……」

「楓………」

でも、こんな甘い体験も、もう消えて無くなる。楓は僕の女じゃない。もうすぐサヨナラの時間だ。

「楓」

「何?」

「最後に一つだけ頼みがあるんだ。聞いてくれるかい」

楓は大きくうなづいた。

「どうか、また僕と一緒になってくれないか。それがダメならただの友達でいてくれ」

「そんな、私とあなたはずっと一緒」

「ダメだよ、そんなわけにはいかないんだ。僕がそれを一番よく知っている。もう終わりの時間が近づいている。楓、今日はサヨナラ」

僕は目を閉じた。まだ手元に楓の体の感触が残っている。


日差しが差し込んでいる。今日も一日が始まる。昨晩飲みすぎたせいか、体が重い。一人キッチンで朝食を作り終えると、いつも通り仕事に向かった。

「あら、おはよう」

職場で楓さんと会った。左手の薬指には指環。もう彼女が指にそれをはめてから半年が経つはずなのに、まだ目がいってしまう。

「ほら、ぼーっとしないで、仕事仕事」

「はい」

僕は先を歩く彼女の姿を、もどかしい気持ちで見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

岸泉明 @Kisisenmei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る