第7話 四天王ハチコ

ハチコから申請が届いたとき、ヌルは大いに驚き、そして喜んだ。

ヌルが四天王に求めた能力は、思考力・知識力・指揮力・戦闘力であった。

これは優先順もその通りであり、レベルが255であり配下を生み出せる自分がいれば、強さは後回しでいい。

しかし、知識と知恵、戦略はレベルでは解決できない。

それゆえに世界図鑑の使用時間という条件を満たす人物から申請があった事は幸運であった。

間違いなくこの世界に詳しい相手が協力してくれる姿勢にある。

すぐさま申請を承認した。


しばらくして、魔王城にダークエルフの女性が転移してきた。

眼鏡をかけた褐色のエルフが、三つ編みにした黒髪を肩から下ろしている。

もちろん『Lv.25 ハチコ・リード ダークエルフ/冒険家』と表示されている。

そしてヌルは緊張していた。

アンブレラとは違い、純粋なユニバースプレイヤー。初めて会うプレイヤーに対してどう接したらいいか分からない。

初めは威圧感を出す案も浮かんだが、今後を考え、なるべくフレンドリーに接する事を目指す。

とりあえず、挨拶。

「よ、ようこ(そお越しくださいました。魔王をしています、ヌル・ぬると申します。あなたを歓迎します。)…。」

という言葉がヌルの中にはあった。

実際には4文字までしか聞いてもらえなかったが。

「ひいいいいいやああぁぁぁぁぁ!!!」

魔王城に絶叫が響き渡った。

これはヌルの思考を真っ白にし、焦りと不安で埋め尽くさせるに充分であった。

相手は女性なのだ。

ゲーム内ハラスメントの注意喚起が蘇る。

無いはずの顔に熱を感じ、砂のような味を知覚する。

突如左側に黄色いメニューが表示される。


『肉体に著しいストレスと心拍の乱れを感知しました。90秒以内に正常値に戻らない場合には強制ログアウトを実行します。』


ヌルは混乱と困惑の中にいたが、このメニューにより「あなたは焦ってますよ。」と告げられた事で、落ち着けと言われた気分になり、自分を客観視する余裕が生まれる。

ヌルは身体から力を抜いて指で5カウントを数える。受験期からパニックになった際のルーティンであり、今でも試験前に行う事で自分のペースでいられた。

そうしてある程度の精神の落ち着きを取り戻すと黄色のメニューは消えていた。

改めて声をかける事にした。


ーーー


「…なるほど、そういう事でしたか。」

「ええ、本当に申し訳ございません…!」

「いいえ、事情は分かりましたし、誤解も解けてよかったです。」

「本当ごめんなさい。ですがその、どうしましょう…。」

「どうしましょうね…。」

2人は遥か上空に浮かんでいる魔王城を見上げる。

つまり魔王城下方に広がる森が現在地である。

…何故こうなったか。


時は遡ること十数分。

ハチコというプレイヤーはモンスターに発見されない事が第一で、見つかった場合は逃げる以外の対処を知らない。

彼女の想像では、魔王の城の門をくぐり、玉座に腰掛ける赤いマントの人物に謁見する自分を想定していた。

ゆえに「気付いたら目の前に凶悪なモンスター」という状況は彼女の対応力の許容を遥かに越え、悲鳴を上げ半狂乱となった。

先に落ち着きを取り戻したヌルは改めて声をかけるも、それを無視してハチコは逃げ出した。

冒険家スキル「逃げ足」によって周囲の危険度に応じた速度で…。

もしヌルが経験豊富な魔王であれば、イビルプリズンかミニデビちゃんのスキルで動きを止める選択をしただろう。

しかし、ヌルが知っているのは彼女が一目散で逃げた先が崖であるということだけだった。

慌てて追いかけ───ハチコが勢い余って滑落した所を触手を伸ばして空中で捕まえ───二十余の触手をクッションに着地した。

ハチコはこの人物に命を助けられたと自覚した。

そして互いに自己紹介をした。

この2人が勇者と姫であれば恋に落ちる選択肢もあっただろうが、実際には半狂乱冒険家とパニック魔王(化け物)なのでロマンのかけらもない。あるのはヌルの着地の衝撃で発生したクレーターだけである。



「ええと、魔王様?」

「あ、ヌルで結構ですよ。魔王と呼ばれると緊張しちゃって。」

「そうなんですね。ヌルさんはあそこを拠点登録してないのですか?」

「拠点…すいません。実は自分…右も左もわからない初心者なんです。」

「ええっ!?」

「それで、四天王にはこの世界に詳しい人を募集したいなって思いまして。」

「…ああ! なるほどそれで世界図鑑なんですね。でもそれだったら確かにお力になれるかもしれません! 強さはともかく、ずっとこの世界を旅してるんですから!」

ハチコが堂々とした態度を取る。

「そうなんですね! …ちなみにここはどの辺に位置するんです?」

堂々とした態度は霧散する。

「わ、分かりません〜。」

「そうです、か。」

ヌルに失望されたと感じたのだろう。実際にはそんなことはないのだとしても。

彼女は慌ててその根拠を話す。

「違うんです! 例えば見てくださいこの青色の草、これは暖かくて日差しのある場所以外では見かけません。初期地図ではこの辺の地域にしか見かけないんです。さらには森林を形成する地域には必ず生えているはずのケヤキみたいな木も見当たりません。つまり初期ワールドのノーバン地方とは別次元の可能性すらあります。」

すらすらと知識に裏付けされた地形・風土に対する考察を語る彼女にヌルは感動を覚える。

広げられた地図をさして尋ねる。

「その、ハチコさんはこの地図なら全てがわかるんです?」

「ええと、行ったことがあるか。という意味ならそうなります。残念ながらダンジョンはあまり行けてないですけど。」

「ちなみドルッサ村はどの辺にあるんでしょうか?」

「あ、はい。ここです! この道を行くのが普通のルートですけど、実はこの山は坑道が通ってるので、ポイリス村へも近いんですよ。」

「…すごい…。」

彼女の攻略を抜きにした遊び方は、トップランカーの友人とは別の楽しみ方で、ヌルの知らない世界だった。

聞きたいことは多いが、ここで立ち話を続けるわけにもいかない。

意味があるかはわからないが、歩きながら会話をする。

「ハチコさんはここから戻る方法に心当たりはありますか?」

「うーん。ヌルさんがあの島を拠点に登録しているなら、パーティを組めば帰還魔法で戻れるとは思うんですけど…。」

「すいません、拠点登録が何か分からないです。」

「そうみたいですね。ああそうだ、パーティを組みましょう。何かアイテムで戻るにしても、他人だと効果が届かないので。」

ヌルが了承したが動かない。

パーティ編成が分からないと判断したハチコの側からパーティに誘う。

ちなみにヌルはモンスター同士でパーティを組ませる方法しか知らない。

「こうやるんです。今度ヌルさんの方から誘ってみてくださいね。」

面倒見のいい人だ。とヌルは感じていた。

ヌルの印象は真実であり、ハチコはサポートが上手い。読書量に裏付けされた思考力もその要因だが、活かす場に恵まれずレベル的に弱者と見做されていたために誰かに頼られることもなかった。

ハチコ自身、初めて他人と一緒にゲームをして楽しいと感じていた。

「そういえば、ヌルさんは魔王ですがスキルはそれに適したものはないのですか?」

「えーっと、多分…ないですね。」

「そうですか…。だとするとーー、あっ『サーチカバー』!」

話の途中で突如ハチコは近くの木に張り付くと、スキルを使って迷彩模様のバリアで守られる。

動きから彼女が隠れたのだと理解する。

視線で警戒を訴えており、その視線の先には『Lv.102 レッドマンティス』という名前が見える。

名前の通り赤いカマキリ。直立した頭の高さが2mほどあり、こちらを視認すると前脚が上下に分離し、獣の牙のように展開する。

「────!!」

ハチコの目が見開かれる。恐らく「逃げて!」だろう。

ここでようやくヌルは自分が強さも初心者相応と勘違いされているのだと気付いた。

普段使いしようと決めているスキル。

『ニードルウィップ』『圧縮合成』。

伸ばした触手にレッドマンティスを引っ掛けて引き寄せると、時空を割るような衝撃を与えて即死させる。

501333! というダメージが余韻を残し魔物が消滅する。それと同時にハチコにエフェクトが表示され、レベルが31に上がる。

「レベルアップですね。おめでとうございます。」

「ええ? あ、はい。ありがとうございます。…その、本当にレベル255なんですね…。」

「はい。強さだけはありますよ。っと言ってもまだスキルもろくに扱えないんですけどね。」

ははは…と笑うと、メニューの合成獣:複製という文字が目に入る。

レッドマンティスのパーツを手に入れたのだろう。

パーツを確認しようとメニューを開くと、所持品欄の「GMブースター」が存在を主張していた。

「あ。」

「へ?」

「戻れるかもしれません。上。」

ヌルは上空を示す。



「ハイ、到着です。」

アンブレラの遺品はハチコを抱えたヌルを飛行させるに十分で、最高峰の性能と出力を両立させている。

「ありがとうございます。凄いですね。それ。」

「ええ、GMさんを倒してしまった時に入手してしまったんです。事故で手に入った物なのであまり使わないようにしてます。」

「GMを!? それは…なんというか凄いですね。」

「ほとんど貰い物です。」

ヌルはブースターを装備から外して仕舞うと、荒野にポツンと建つ小屋に案内する。

「ここが暫定の魔王城です。」

「ああ、セーフゾーンなんですね。ここを拠点とするつもり…。拠点が分からないと言ってましたね。」

ヌルが頷くと話を続ける。

「こういったセーフゾーンにバリアキューブを置くことで、拠点登録ができるようになるんです。例えば帰還する効果の魔法やアイテムを使うとここに戻るほか、死亡時にもここに復帰します。」

「なるほど! そのバリアキューブはどうやって手に入れるんですか?」

「えっ? 錬金屋さんで買ったことないです?」

「ええと、錬金屋さんて何ですか?」

「え…」

ヌルの返答にポカーンとした顔になる。

ハッと意識を戻したハチコが尋ねる。

「ヌルさん、テルクルの村に行った事は?」

「…? ないです。」

「回転モグラと戦った事は?」

「ないです。」

「…魔王になる前はどこに?」

「はじまりの村です。」

質問を重ねるたびに、ハチコから発せられる圧力のようなものが膨れ上がる気配がある。

ごごごご…と彼女が震えている。

「ヌルさん!」

「はっはい!」

「お問い合わせしましょう。」

「えっ」

「お・と・い・あ・わ・せです!」

「はいぃ!」

圧力に負けて、ヌルはアンブレラに通話機能を使用する。

数回のコールの後、アンブレラに繋がる。

「ヌル・ぬる様、如何なさいましたか?」

「あなた! ヌルさん担当のGMさんですね、お話があります!」

「ええと、ハチコ・リード様? 個人会話に割り込むのは…。」

「私は四天王です! 魔王についてお話しがあります!」

「はぁ…。わかりました。そちらに向かいますので少しお待ちください。」

ピッとメニューが閉じる。

横にフンフンと鼻を鳴らすハチコがいる。

「は、ハチコさん…。」

「大丈夫です! 私に任せてください!」

「…はい。」

何を任せるのか分からなかったが、ハチコの勢いに流されて何も言えなくなってしまう。



やがてGMが3人転移する。

アンブレラ、フルート、ゲートであり、ゲートはヌルにも初対面であった。

普通はゲームを動かす側が3人も出現すれば萎縮してしまうが、ハチコは全く動じない。

そして口を開く。

「魔王の義務に対して補填があまりにもなさすぎます!」

これがハチコの第一声。

曰く、完全な初心者のヌルが魔王に選ばれた事はいいとする。しかし、彼が本来得るはずだった冒険や感動、初めて見る景色。その全てをプレイヤーと敵対する魔王であるために感受する事はできない。

それにも関わらず魔王という大役を彼の自由意志のみに任せて放置するのはどういう了見だ。と。

「では、彼はVer3.0メインイベントが終わるまでここに縛りつけられるのですか!? 魔王を背負う限り狙われるために街も歩けない状態です。当然、魔王を辞めさせる話をしているのではありません。

普通のプレイヤーとしてのヌルさんを両立させろと言っているのです。

だって…クラウン大橋の夕日が王冠の形に切り取られているのは何故ですか?

王女騎士ティアの部屋にぬいぐるみが置かれているのは何故ですか?

それをプレイヤーに見てもらいたいからでしょう!? それを彼だけが見ることができないのは、このゲームが与えるサービスとしての条件を満たしていません!

これでは彼はユニバースをプレイしているとは言えません!」

ハチコの怒涛の“お問い合わせ”にいつのまにか3人が正座をしている。

オロオロしつつもヌルが口を挟む。

「ハチコさん、俺はユニバースをプレイできてていないなんて思っては…。」

「それは知らないからですっ! 例え貴方が食事をしなくても生きられるからといって、食事を一度も与えないまま過ごさせるのは異常だと言っているんです。」

ハチコの言葉は正鵠を射ている。

そのことにヌルも思いあたる事がないわけでもなく、黙ってしまう。

「…本当にヌルさんをこのままにしていいのですか?」

はぁはぁ…と、言うべき事を言い終わったのか、ハチコは口を閉じる。

お問い合わせである以上、今度はGMが答える番だが、アンブレラが話しかけた相手はハチコではなかった。

「ゲートさん。私はこの場で語れる言葉を持っていません。お任せしても?」

GMゲートがすっと立ち上がると前に出る。

「チーフディレクターのゲートと申します。ハチコ・リード様の仰る件、ヌル・ぬる様に必要不十分なサービス提供となってしまっている事、魔王としての責務を押し付けてしまっている事、弁明のしようもございません。加えて今すぐ満足いただける解決案のご提示が出来ないことも我々の検討と対応不足と言わざる得ません。」

ゲートが頭を下げる。

「ですが、ハチコ・リード様がこの世界を愛してくださっていますように、我々もこの世界を、そしてこの世界を構成してくださっているプレイヤーの皆様を愛しております。必ずやヌル・ぬる様にもご満足いただけるサービス提供をお約束致します。ですので今しばらくこの事の解決ためにお時間をください。」

ハチコは溜飲を下げる。

「対応いただけると言うのであれば私から言う事はありません。」

ハチコがチラリとヌルを見る。

ヌルも慌てて加える。

「自分からも言う事はないです。」

「承知いたしました。この件については、なるべく早く結論を出し、実行いたします。」

GMは揃って頭を下げるとテレポートしていなくなる。

「ヌルさん。」

「はい。」

「お節介だったかもしれません。それでも、貴方にはこのゲームの世界を知って欲しいです。見て欲しいことと、体験して欲しいことがあるんです。」

「…はい。ありがとうございます。」

ヌルはふと考える。

面倒見がいいだけで出来ることの範囲を越えている。

いつか恩返しをしたい。と。

そしてもう一つ。とても単純なことだが、自分はこの人物に惹かれているかもしれない。とも。

時計を見れば0時。しかしゲーム内時計は12時。

その事をハチコに問えば、この曇天では見応えがないから、開発チームの約束に期待しようと返される。



こうして四天王ハチコの最初の仕事? は終わった。

この日あった出来事は、後にプレイヤーには一切語られることがなく、一方で開発チームには語り継がれる事となる。

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