第19話 普通のことが普通に出来ない人の気持ち
あの場から逃げ帰った後、私は抜け殻のようになっていた。ベッドの上に横たわり、何の目的もなくただ天井を見つめ続ける。
今まで生きてきて、何度も自分を責め続けてきたけど、今日ほど自己嫌悪に陥った日はないと思う。今日ほど自分が嫌いになった日はない。
なんかもう自分に呆れすぎて、涙も出てこないよ。
逃げたくない、逃げたくない。逃げるな、もっとがんばれ。がんばれるはず。
今まで何度も自分に言い聞かせてきたのに、肝心なところでがんばれない。逃げ出してしまう。つくづく私ってダメな人間だよね……。
終わりのない1人反省会を開いていたら、もう何度目になるか分からないスマホの通知音に気づく。
また和也くんかな。何度も電話をくれたけど、何を話していいのか分からなくて一度も電話に出ることが出来ていない。
一応確認のためにスマホを手に取ると、電話ではなくてアプリに新着がついていた。
なにか、おこらせる、ようなこと、したなら、ごめん
メッセージの送り主は和也くんだったけど、なぜか全部ひらがなだし、句読点の位置も少し変な気がする。
その文章にも少し違和感があったけど、そんなこともすぐに忘れてしまうぐらいに胸が苦しくなった。
和也くんメールは苦手だって言ってたのに、私が全然電話に出ないから送ってくれたのかな。ごめんね、本当にごめん……。きっと嫌な思いもさせちゃったよね。
和也くんに謝りたかったけど、今は電話だと上手く話せる自信がない。
少し考えた末に、長文をいくつかに分けて和也くんに送った。
まずは、謝罪と和也くんは何も悪くないこと。それから、がんばろうと思っても自分の意志だけじゃどうにもできず、時々逃げ出してしまうこと。
ゆっくりと文章を考えてから、丁寧に間違えないよう文字を打つ。
*
結局、あれから一時間以上待っても返事は返ってこなかった。
やっぱりおかしいやつだと思われちゃったかな。和也くんにも嫌われちゃったかな。
自分のせいだから仕方ないとは分かっていても、けっこうきついな……。
何度見ても誰からも連絡が来ないスマホの画面を飽きもしないでみていたら、音がなる前に電話の着信に気づく。
え……。和也くんから……?
和也くん、私のメール見てくれたのかな。
どう思われたんだろう。何て言われるんだろう。すごく怖いけど、さすがに何回も無視するわけにもいかない。
着信画面になっているスマホの画面を、奮える手でタップした。
「月子? ……よかった、出てくれた」
もしもし、と蚊のなくような声で言うと、ほっとしたような和也くんの声が聞こえてくる。
いつもみたいに優しくて、ちょっとだけ低い和也くんの声。その声を聞いて、なんだか私の方がすごくほっとしてしまった。
「何回も電話かけてくれたのに、出れなくてごめんね。それから、今日もいきなり帰ったりしてごめん」
「いや、それはいいよ。でも心配だったし、俺が何か怒らせるようなことしたなら謝りたかったんだ」
「和也くんは何も悪くないよ。私がおかしいだけだから」
「何でそんなこと言うの? 月子がおかしいなんて、俺はそんなこと思ったことないよ」
「だって……」
和也くんは優しいからそう言ってくれるけど、どう考えても今日の私は普通じゃない。だけど、それも上手く説明できなくて口ごもってしまう。
「月子が送ってくれたメッセージも読んだよ。俺理解力ないから間違ってたら本当に申し訳ないんだけど、昔の知り合いに会ったんだよな」
「……うん」
和也くんが理解力がないなんて思ったことないけど、そんな前置きをする和也くんに相づちを打つ。
「それで、嫌な気分になって帰りたくなった?」
「そう、なるかな。もう終わったことなのに、なんか昔のトラウマを思い出しちゃって、そしたら何もかも嫌になっちゃって……」
何言ってるんだろう私。全然上手く説明できないし、こんなこと言われても理解できないよね。
「そっか……。俺のことも嫌になった?」
「そんなこと!嫌になるはずないよ。ただたくさんの人の中にいるのが嫌になったというか、その場から逃げ出しなくなったっていうか、……ごめん、何言ってるか分からないよね」
自己嫌悪に陥ってると、そんなことを冗談めかして言う和也くんにあわてて否定したけど、それも結局グダグダな説明になってしまう。もう、本当に私って……。
「う~ん……、あ~……ごめん。正直俺よく分かってないんだけど、俺も逃げ出したくなるときあるよ。サッカーの試合の前とか、テストの前とかさ」
「でも和也くんは逃げたりしないよね。みんなだって、ちゃんと出来てるのに。普通のことが普通に出来ない自分が嫌になるの。何でそんなこと出来ないの?ってみんなに言われちゃうし」
「普通のことが普通に、か……」
私の言ったことを繰り返す和也くんに、やっぱり和也くんにも幻滅されたんだと思うとチクリと胸が痛む。
「でもそれって、月子がわざとそうしてるわけじゃないんだよな。がんばっても出来ないんだよね?」
「うん……」
「だったら、俺は月子が悪いと思わないな。
色々言ってくるやつもいるだろうけど……
普通のことが普通に出来るやつは、出来ない人にとってそれがどれだけ難しいことなのか考えもしないんだよな」
人の気持ちを考えてくれる優しい人だとは思ってたけど、まさか和也くんがここまで出来ない人の気持ちを分かってくれるとは思わなかった。嬉しいのもあるけど、それ以上にすごく意外というか……。
だって、和也くんはみんなの人気者でいつも明るくて、劣等感なんて全くもってないように見えるのに……。
「和也くんは……」
「ん?」
「なんだろ……、私……、和也くんにもう嫌われたかと思ってた。だから、こうして電話くれるのも信じられないくらいで……」
どうして和也くんは、こんなに私の気持ちを分かってくれるの?
どうしてこんな私にも優しくしてくれるの?
伝えたいことや聞きたいことはたくさんあるのに、どれも上手く言葉にならない。
「何で嫌いになるんだよ~。
今日さ、いきなり帰られたから、月子に嫌われたかと思ってかなりショックだったよ。でも、そうじゃなかったみたいで安心した。
今日楽しかったよ。また遊びたい」
「えっ……」
「え?」
「あの、次があるのかなって……」
「え~次ないの? ショックだな~」
「そ、そうじゃなくて! まさか今日こんな感じだったのに、また誘ってもらえるなんて思ってもみなかったから」
「誘うよ~、だって月子と遊びたいし。
今日のことだって、大したことじゃないから大丈夫だよ。……あ、ごめん、月子にとっては大したことかもだけど!なんていうかさ、それで嫌いになったりしないから大丈夫だよ」
「……あ、りがと……、っ……」
和也くんの優しい声に胸がいっぱいになる。
すごく安心したし嬉しいはずなのに、なんだか胸がぎゅっと詰まったように苦しい。
「泣くなよ~」
冗談も交えながらもずっと優しく話してくれる和也くんに涙が止まらなくなる。
あんなに大失敗をやらかしたから絶対嫌われたと思ってたのに、電話までしてくれて、次もあるかもしれないなんて夢みたいだよ。
「でもさ~遊びたいけど、夏休み中は部活もあるし忙しいから無理かも。一学期のテスト赤点ばっかりだから、明日から毎日補習なんだよ」
「そ、そうなんだ。大変だね……」
私が少し落ち着いた頃にそんなことを言い出した和也くんにちょっと驚いてしまった。勉強が出来ないとは自分でも言ってたけど、そこまでだったんだね……。
せっかくの夏休みなのに毎日補習は大変そうだな。部活もあるみたいだし。
「本当だよな~。夏休みの課題もあるのに勘弁してほしいよ。夏休みも毎日部活と補習で遊ぶヒマないし、今日が一番楽しかった日だよ。
あとはサッカー部の連中と遊んだぐらいだし、むさ苦しい夏休みだったな」
「他の女子とは遊んだりしなかったの? 和也くんなら、女子の友達もいっぱいいるよね?」
「学校で話す友達はいるけど、休日に遊ぶほど仲良い子はいないな。女子でこんなに仲良くなったのは、月子が初めてだよ」
「え……うそ……」
じゃあ、今まで彼女いたことないってこと?
今彼女がいないのは知ってるけど、いたことはあるかと思ってた。
「ほんと。手繋いだのも月子が初めて」
「え? ほんとに? てっきり慣れてるのかと思ってた」
「なんだよそれ~、慣れてないよ。
すげ~勇気ふりしぼったんだからな。あ~そんな風に思われてたなんてショック~」
「ご、ごめんね。悪い意味で言ったんじゃなくて、和也くんは絶対モテると思ってたし、実際モテてるだろうし、だからすごく意外だっただけなの」
演技がかったように大げさにショックだな~と言い始める和也くんにあわてて言い訳を始める。和也くんが遊び人とか軽そうに見えるとか、そういう意味で言ったんじゃなかったんだよ。
だって和也くんは絶対モテるのに、どうして彼女を作らないのかな? なにか訳があるのかな?
もしかして、和也くんも圭佑くんと同じで、女子に興味がない人なのかな。
女子の友達で仲良くなったのは私が初めてって意味で、彼女はいたのかもしれないけど......。気になるけどデリケートな問題だし、和也くんは女子に興味ないの?とは、さすがに聞きづらい。
「あの、彼女とか……いなかったのかなって」
ストレートに聞いたらまずいかなと思ったけど、上手い聞き方が見つからずに結局ストレートに聞いてしまった。
ちょっとあせったけど、あせっているのは私だけだったみたいで、和也くんは普通に答えてくれた。
「彼女? 一応いたことはあるけど、付き合ってすぐにフラれたからな」
「そ、そうなんだ。なんかごめんね」
和也くんを振る人なんているんだね……。
和也くんは外見だけじゃなくて性格もいいのに、そんな人がいるなんて信じられない。
相性が合わなかったとかなのかな。それなら仕方ないけど、もったいないよね。
和也くんなら絶対付き合ったら大切にしてくれそうだし......って、私が和也くんと付き合えるわけでもないのに何を考えてるんだろう。
「全然いいよ。それより、月子はどうなの?」
「え? 私はもちろん彼氏出来たことないよ」
「もちろんってなんだよ~」
「だって本当に何もないし、男子の友達さえいなかったし、手を繋いだのも和也くんが初めてだよ」
もちろんいなかったと答えるとなぜか笑われてしまったけど、本当に今までそんなことには一切無縁だったんだもん。
彼氏どころか、圭佑くんのことがあるまでは男子と話すことさえめったになかった。和也くんにこっそり憧れてたくらいで……。
「マジで? そっか~、じゃあ悪かったかな~」
「何が?」
「俺が初めてで良かったのかなって。今日、どう思った?手繋いだ時」
「どうって……びっくりはしたけど、嬉しかったし、もっとあの時間が続けばいいのにって思った」
どうって、どういう意味なんだろう。
とりあえず聞かれたままに、今日のことを思い出しながら答えると、返事が返ってこなくなってしまった。
よく考えたら、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったかもしれない。でも、嫌だった、とか言うのも失礼だし、実際嫌じゃなかったし……。
何て答えれば正解だったの?
「俺も。離したくないって思った」
返事が返ってこないことにパニックになっていると、ようやく返ってきた和也くんの返事はいつもよりもなぜか真剣な声でさらに混乱する。それは、どういう意味で?
「え、それって……」
「変なこと聞いてごめん、そろそろ切るな。……また明日、おやすみ」
明日って学校ないから会わないよね?って聞く前に切られちゃった。何だったんだろう。
色々分からないことばっかりだったけど、最後におやすみって言った和也くんの声がやけに優しくて、なんだか顔が熱くなる。
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