第10話 かっこいい人
「渡辺くん、渡辺くんまって。渡辺くん!」
頭の中が真っ白になって飛び出してしまったけど、特に渡辺くんを追いかけようとして飛び出したはずじゃなかった。
それなのに、二階の階段の踊り場のところで渡辺くんの後ろ姿を見かけた私はその背中に声をかけ、振り向きもしない渡辺くんの右腕を両手でつかんでいた。
そこまですると、渡辺くんはようやく止まってくれたけど、迷惑そうな視線を無言で私に向ける。何を言っていいのか分からないけど、このまま離したらいけない気がして、渡辺くんの右腕をがっしりとつかむ。
「……なに?」
しばらく無言の時間が続いたけど、先に口を開いたのは渡辺くんだった。
「えっと、……ど、どこいくの?」
私が引き止めたんだから何か言わなきゃと慌てて口を開くけど、気の利いたことなんてもちろん思い浮かばない。なんとか捻り出したけど、この状況でそんなこと聞いてどうするんだろう。
「帰る」
「え……あ、きょ今日は帰るだけだよね?
明日からは、……あの、くるよね?」
投げやりに言い捨てられた渡辺くんの言葉に、自分でもびっくりするくらいに動揺してしまう。だって……、もうこないみたいな雰囲気だから……。
「何なの? ほっといてくれない? 俺と斉藤さんって仲良くなかったよね?」
「そうだけど……ほっとけないよ、だって……」
だって、の続きが思い浮かばなくて口ごもる。
渡辺くんの言う通り、たしかに仲良くはない。自分でも何でこんなことをしてるのかもよく分からない。
友達でもないし、好きな人でもない。
それに、普段なら自分から男子には話しかけられないのに。だけど……。
「何で泣くの?」
何を言ったらいいのか分からなくて、涙まで込み上げてきた。そんな私を見た渡辺くんは、やっぱり迷惑そうにため息をつく。
本当に、なんで泣いてるんだろう。
同情?
渡辺くんに感情移入したから?
自分が不甲斐ないから?
涙の理由を考えてみたけど、上手く考えがまとまらない。友達もないのに急に追ってきてかと思えば、泣き出したまま黙りこむし、本気で意味が分かんない人だよね。
声を殺して泣いている私に渡辺くんはまたため息をつくと、さりげなく私の手を外した。
「……本当はさ、どこかでちょっと期待してたんだ。受け入れてもらえるんじゃないかって。
珠希や斉藤さんは分かってくれたから、もしかしたらって。……そんなことあるはずないのにね」
そのままどこかに言っちゃうのかと思ってたけど、そんなことを言い出したので、驚いて思わず顔をあげる。だけど、涙で目の前がよく見えなくて、渡辺くんがどんな顔をしているのか分からない。
「やっぱり、ダメだった。俺が自分を受け入れて生きていこうとしても、まわりはそうは思ってくれない」
諦めたようにそう言う渡辺くんになんて声をかけたらいいのか分からなかったけど、でも何か言わなきゃって思って、必死に言葉を探す。
「そんなことないんじゃないかな……? たぶん、みんなびっくりしてるだけだと思う。中には受け入れてくれない人もいるかもしれないけど、分かってくれる人だってきっといるよ」
「そんなわけないだろ!!
さっきのみんなの反応見てたよね。
俺はみんなと同じように人を好きになるけど、ただその対象が男だってだけだよ。それだけなのに……!
何も悪いことをしてなくても、それだけで汚いものでも見るような、まるで犯罪者でも見るような目で見られるんだ。これから……、一生」
上手い言葉も見つからず、無理矢理捻り出した言葉はやっぱりよくなかったみたいで、それを聞いた渡辺くんは声を荒げる。
いつものクールな渡辺くんとは別人みたい。
こんな状況だったら、どんな人だって動揺しない方がおかしいのかもしれないけど……。
こんなときに冷静でいられる人なんて、きっといないよね。もし、私だったら……。
「そう、かな……。分からない、けど……。
渡辺くんの言うように、……。そういう目で見る人もいるのかもしれない……。で、でも……」
さっきのみんなの反応をみたら、確かに渡辺くんの言う通りなのかもしれない、と私も思ってしまう。もしかしたら、偏見の目で見る人もいるのかもしれない。悲しいことだけど、たくさん、……いるのかもしれない。
だけど、だけど……、私、は……。
「私は……、かっこいいと思ったよ。
だって、人に知られたくなかったことなのに……。あんな風に堂々と認めるなんて、すごく勇気がいることだと思う。私だったら、たぶん……、できないから。
だから、……かっこいい人だと思った」
思っていることをどうにか伝えると、渡辺くんは無言で顔を背け、そのまま階段をかけ降りていってしまった。
余計に傷つけただけだったかな。
また余計なことしたのかな。
何て言えば正解だったんだろう。
分からないよ……。
通りすぎていく人にじろじろ見られている気がしたけど、それでも後から後から涙が出てくる。どうしてもそれを止められなくて、せめて顔をみられないようにと両手で顔をおおった。
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