第8話 アウティング
思いがけず渡辺くんの秘密を知ってしまった日から1週間以上過ぎた。
秘密を知ったからといって特に彼と親しくなることもなく、相変わらず友達の中でも微妙に浮いているし、前田くんとも特別親しくなることもなく、変わりばえのしない一週間だったな。
だけど、週明けの月曜にいつも通り教室の後ろのドアから入ろうとすると、この日はなんとなくいつもの教室の空気とは違ったんだ。
「昨日のマジかよ、信じられないよな……」
「まさか……くんが……なんてね。ちょっと気持ち悪いよね」
……気持ち悪い? なんのことだろう……?
何のことなのか分からないけど、ところどころ聞こえてくる男子や女子の声に不穏なものを感じ、教室の中に入るのを戸惑ってしまう。
なぜか胸騒ぎがして入り口の前で立ちすくんでいたけど、入らないの?と後ろから声をかけられて、仕方なく教室に入った。
「しかし、衝撃だよな。
うちのクラスにゲイがいたなんて」
え? 私と一緒に教室に入った男子が突然そんなことを言い出して、思わず言葉を失ってしまう。
それって、もしかして……。
「お前知らねーの? 女子には伝わってねーのかな。もうみんな知ってると思ったけど、そうでもねーんだな」
「あの、ちょっとよく分からないんだけど、それって……。その、……誰のこと?」
普段なら自分から男子に話しかけるなんて考えられないけど、今はそれどころじゃなかった。
異様に心臓がバクバクして、体が自分のものじゃないみたい。
「圭佑だよ、渡辺圭佑」
思った通りの人物の名前に固まっている私に、その男子はあっさりと他の男子の輪に入っていく。
やっぱり渡辺くんのことなんだ……。
でも、何で……?
渡辺くんが自分からカミングアウトしたってこと?
この前は、あまり人には知られたくないって言ってたけど……。
まだ朝練があるサッカー部や野球部の人たちはきていないみたいだけど、教室にはすでに半分以上の人がきている。しかも、みんな渡辺くんの話で盛り上がってるみたいだった。
なんでこんなことになったの……?
週末までは普通だったよね?
どういうことなのか全然分からない。
「月子、おはよ。
ねえ聞いた? 渡辺くんって、ゲイなんだって」
事態についていけず呆然としていると、いつも一緒にいる友達に声をかけられる。しかも、世間話のように渡辺くんのことを話題に出されて、なんだかもう私だけが話題についていけていないみたいに感じてしまう。
「あ、うん、さっき……。
それって本当なのかな?」
「それが本当みたいよ?私もよく分かんないんだけど。
ねえ男子ー! 昨日渡辺くんのことって本当なんだよねー?」
よく分からないのに、本当とか言っちゃうの……?
モヤモヤしてる間にも、友達は男子の輪にいつもより大きな声で呼びかけていた。
「ああ、そう。
昨日男とデートしてたんだよ、あいつ」
デートって……。昨日渡辺くんを見かけたという男子が言うには、渡辺くんが男とデートしてたらしい。
それが本当かどうかは置いておいて、それをアプリでみんなに広めたってこと?
「えー?何でデートって分かるの?それでゲイってひどくない?友達と遊んでただけなんじゃないの?キスとかしてたなら分かるけど」
「いや、キスはしてなかったけど、あれは絶対友達って雰囲気じゃなかったんだって。見たら分かる」
「ほぼクロだと思うよ。
今だから言うけど、俺、中学の時に圭佑にさ、もし俺がゲイだったらどう思う?って聞かれたことあったわ。
あの時は冗談だと思って笑ったけどさ~、よく考えたらゲイじゃなかったら、そんな質問しないよな」
「そういえば圭佑、女子の話振っても全然乗ってこないしな。おかしいと思ったんだよな」
「まさか渡辺くんがね~、全然そんな風に見えないのにね。おネエ系だったんだね」
ゲイとおネエは違うと思うんだけど……。
みんながいっぺんに色んなことを言い出して、全然ついていけない。
「あーあ、圭佑とはわりと仲良かったけどさ、正直もう友達でいるの無理だわ」
「だよな。つーかクラスにいるだけで、軽く恐怖だよな」
クラスにいるだけで恐怖って、そんな……。
簡単に受け入れられる人ばかりじゃないことは分かるけど、何もそこまで言わなくても……。
今まで友達だったのに、ゲイだってことだけでそんなに評価が変わっちゃうの?
たったひとつのことだけで、そんな目で見るの?
渡辺くんという、ひとりの人間としては考えてあげないの?
クラスの空気はすっかり渡辺くんを異物扱いしていて、自分のことじゃないのにいたたまれなくなって、この場から消えてしまいたくなる。
「狙われるかもしれねーしな。こえー」
「今まで着替えのときとか、そういう目で見られたってことだろ? キモいよな」
「そういえばあいつ、水泳の時も女子は一切見ないくせに、男はジロジロ見てた気がする」
「体育祭のときもさ~」
本当かどうか分からないことまで言い出して、しだいに渡辺くんへの悪意なのか好奇心なのかもよく分からない噂話はエスカレートしていく。
さすがにそれはひどいんじゃ……と耳をふさぎたくなった。
「で、でも……っ、ゲイの人も、男の人なら誰でもいいってわけじゃないと思う。た、タイプとかあるんじゃないかな?」
「は? タイプとかあんの?」
なんだか黙っていられずについ口を出してしまったけど、また失敗したかもしれない。
バカにしたようにそう言われてしまい、すぐに自分の発言を後悔する。フォローするにしても、もうちょっとまともなことを言えば良かった。
さっきの私の発言でみんなの注目が集まってしまって、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。
「でもさ、確かに月子ちゃんの言う通りだよね。
襲われたわけでもないのに、自意識過剰じゃない?」
「うん、それになんかちょっとかわいそう。
いくらなんでも勝手に人の秘密をみんなにばらすって、いじめじゃないの?」
恥ずかし過ぎて下を向いてたけど、思いがけなくあまり話したことのない子たちが味方をしてくれたことに驚いて顔をあげる。
よかった……、こういう子たちもいるんだ。
みんながみんな渡辺くんキモいあり得ないって思う人ばっかりじゃなくて良かった。
今まで渡辺くんと友達だった人は複雑なのかもしれないけど、それにしても勝手に人の秘密を言いふらすなんてどうかと思うし、ゲイだってだけでこんなに悪口を言うなんてひどいと思うんだ。
私と同じ意見の子もいたみたいで、なんだかすごくほっとした。
「何がイジメだよ。こっちの方が精神的苦痛受けてるわ。今まであいつにずっと騙されてたんだぞ?」
「友達面しといて、実はゲイだったってあり得ないよな」
「騙したんじゃなくて、こういう風になるから言えなかったんじゃないの?」
イジメだと言われたのがカチンときたのか、言い争いみたいなのが始まりそうだった時、後ろのドアから前田くんが入ってきた。いつもみたいに元気よくおはようと入ってきたけど、前田くんもすぐに教室のいつもとは違う雰囲気に気づいたみたい。
「何? なんかあったの?
盛り上がってない?」
「まあ、な。盛り上がってるっていうか、盛り下がっているっていうか。圭佑は?」
「圭佑? もうすぐくると思うけど」
前田くんはいつもとは違う教室の雰囲気に不思議そうな顔をして、近くの男子に話しかけていたけど、男子の反応にますますキョトンとしている。
「お前SNS見てねーの? 昨日の」
「は? そういえば昨日通知150とかきてたな。
誰だよー、そんな送ってくるやつ。大量過ぎて見る気なくすわ」
ひとりニコニコと笑っている前田くんに、神妙な雰囲気のクラスメイトたち。みんなの反応にさすがの前田くんも、本気で何なの?と顔をしかめる。
「お前、圭佑がゲイだって知ってた?」
「はあ?ゲイ?圭佑が? なんだそれ、ないない。
ナイだろ」
「マジなんだって。彼氏がいるみたいだ」
「彼氏? いや、本気で意味分からないから」
「圭佑と一番仲良いの和也だろ。マジで何も知らねーの?」
「狙われてるかもしれないから、気をつけたほうがいいぞ」
「? 何の冗談?これ」
いっぺんに色々言ってくる男子たちに、前田くんはわけが分からないと言った顔をしている。
そうだよね……。こんなこといきなり言われても、すぐには信じられないよね。
私だってこの前渡辺くんからいきなりゲイだって言われた時、初めは信じられなかったもん。
前田くんは、渡辺くんが本気でゲイだって知ったら、どう思うのかな……。
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