第7話 渡辺くんの秘密

 翌日、ほとんど眠れないまま学校へ行くと、HRの時間に学校新聞が配られた。


 まわりの人はそれをパラ見したあとに、大して興味なさそうに机の中にしまいこんでいる。私もざっと目を通した後に同じようにしまおうとしたんだけど、ひとつの記事が目にとまり、そこに釘付けになった。

 


 スクールカウンセラーやご両親、お友だちには相談できない悩みを抱えて、苦しんでいませんか?

 人に言いにくい悩み、恋や友情その他何でも、気軽に相談にきてください。秘密は絶対守ります。


 保健室時々、心のお悩み相談室



 心のお悩み相談室かぁ。

 あの先生が悩みを聞いてくれるんだよね。


 行ってみようかな。

 何を話したらいいか分からないけど、妙に気になる。あの先生だったら、私のこの心のモヤモヤを分かってくれるかもしれない。


「心のお悩み相談室、だってぇ~。 

こんなのがあるんだね」


「でもさ確かに保健室の方が行きやすいかもね。

スクールカウンセラーだと、いかにもって感じだもんね」


 じっとその記事を見てると、近くの席の子たちがちょうどタイムリーな話題を話していて、びくっとなってしまった。


 いかにもって感じ……。

 そうだよね……。


 スクールカウンセラーは心のケア専門の先生なのかもしれないけど、実際に相談するとなると、かなり敷居が高く感じる。


 学校にいるのだって、週に二回二時間だけ。 

 しかも予約制だし、まず予約するのにもかなり勇気がいるんだよね。


 それを言うなら、結局保健室に行くのにも勇気がいるんだけど……。



 *



 保健室に行こうかどうしようか悩みに悩み、放課後になって保健室の前まできたはいいけど、結局30分以上も入れずに保健室のまわりをうろついていた。


 行くのか行かないのか、いい加減どっちか決めないとね……。もたもたしてたら先生が帰っちゃうかもしれないし、誰かがきちゃうかもしれない。


 ていうか、このままじゃ完全にただの不審者だし、こんなところを誰かに見られたら、それこそ変な噂を流されそう。


 ……よし、入ろう。

 でも、なんて言えばいいのかな……?

 やっぱりやめとこうかな……。

 何話せばいいか分からないし、でも……。


 中に入ろうかどうか踏ん切りがつかず、扉に手をかけてはひいて、かけてはひく。


 ……やっぱり帰ろうかな。

 何度かそれを繰り返した後に、結局扉を開ける勇気がなくて手を引っ込めようとした。


「ピンポンパンポン! 1年3組鵜飼くん、至急職員室まできてください。繰り返します、1年3組……」


 ちょうどそのとき突然大音量で校内放送が流れたことにびっくりして、勢いでドアを少しだけ開けてしまった。


 やばいドアが……、え?……ん?え……?


 ただでさえドアが開いたことにあせっていたのに、少しだけ開いたドアから見てはいけないものを見てしまった気がして、別の意味であせる。


 え?え?ええ……?


 内心かなり動揺していたけど、極力音を立てないように急いでドアを閉める。


 今のって……、うちのクラスの渡辺くんと保健室の先生?しかも、渡辺くんが先生をベッドに押し倒すような形だったけど……。


 まずいことに、渡辺くんと目が合ったような気もする。気のせいだといいけど……。


 ……とりあえずこの場から離れよう。

 まだ心臓がドキドキしているけど、このままここにいたらもっとまずいことになる気がする。


 いったんその場を離れようとしたんだけど、保健室から十メートルも離れないうちに後ろから腕をつかまれた。おそるおそる振りかえると、やっぱり予想通り渡辺くんだった。


「……あ、どうも」


 無言で私の腕をつかむ渡辺くんに苦笑いを浮かべると、渡辺くんは小さくため息をつく。


 いつもとあんまり変わらないような気もするけど、なんとなく少し焦っているような気もする。気のせいかな……?


「何か見た?」


「な、なにもみてないよ」


 渡辺くんよりも、私の方が焦っているかもしれない。ごまかすようにそう答えた私の顔をじっと見てから、渡辺くんは私の腕を引き、そこからすぐ近くの部屋に引っ込っていく。


 ここは、進路相談室?

 資料がいっぱいある部屋で二人きりになると、渡辺くんは私の腕からパッと手を離す。


 それから私と向かい合うと、開口一番にこう言った。


「誤解だから」


「え? う、うん。大丈夫、私言いふらしたりしないから」


「そうじゃなくて。斉藤さんが思ってるようなことは何もないから。

さっきのは、アクシデントなんだ。

俺がつまずいて、その先に先生がいた」


「そ、そうなんだ」


 本当なのかもしれないけど、言い訳されると余計に怪しく感じてしまう。


「説明すると嘘っぽく感じるかもしれないけど、本当だから」


「う、うん」


 渡辺くんは私の心の中を見透かしたようにそんなことを言い始める。焦ってないようにも見えたけど、やっぱり渡辺くんも動揺してるのかもしれない。


「俺はどう思われてもいいけど、先生には家庭がある。変な噂が流れたら、学校にも居づらくなるかもしれない。

伝わりかたによっては、ここにいられなくなる。先生は恩人だ、俺のせいでそんなことになってほしくない」


 せっぱ詰まったようにそんなことを言い始める渡辺くんに、ますます疑惑が強くなる。疑いたいわけじゃないけど、どうしてこういう時って言い訳されればされるほどに怪しく思えてきちゃうんだろう。


「あの、本当に大丈夫だよ。私言いふらさないよ」


 どんな事情があるのか分からないけど、もし渡辺くんと先生が私の思ってるような関係だとしてもそうじゃないとしても、こんなに言わないでって言ってるんだから、ベラベラ言いふらす気にはなれない。


「いや、だから、本気で違うんだ。

俺が先生とどうこうなることは、絶対にありえない」


 だけど渡辺くんは私がよっぽど信用できないのか、それとも他の理由があるのか、一貫して徹底否定の姿勢を崩さなかった。


「先生のためだから、本当のこと言うよ。

……できれば、これも言わないでほしい。

どうしても言うのなら仕方ないけど」


「……うん」


 本当のことってなんだろう。

 渡辺くんが何を言いたいのか全く予測ができなかったけど、真剣な表情の渡辺くんの勢いに思わず頷いてしまう。


「既婚者だからとか、先生だからとかじゃなくて、そもそも俺が女とどうこうなるなんて、絶対にないんだ。俺は、ゲイだから」


「……え?」


 ……いま、なんて?

 何を言われるのか分からなかったけど、予想外すぎて理解が追いついていかない。


 こんな時に冗談なんて言わないだろうけど……。


「だから、男しか好きになれないんだ」


「あ、うん、それは……その、ゲイの意味は知ってるけど。あの、本当にそうなの?

女の子には興味ないの?」


 さすがに私もゲイの意味ぐらいは知ってるけど、いきなり俺はゲイだって言われてもピンとこないし、それに珠希ちゃんと付き合ってたんじゃないのかな。


 本当にゲイだったら、どうして珠希ちゃんと……。


 意味が分からずに色々考え込んでいると、渡辺くんはさらに話を続けた。


「女子が嫌いなわけじゃないけど、そういう対象としては見れないんだ。男しか好きになれない自分が認められなくて、女子と付き合ってみたりもしたけど、意味なかったよ」


「それって、珠希ちゃんのこと?」


「そうだよ。珠希から何か聞いてたんだ?」


「付き合ってたことは聞いたけど、他には何も聞いてないよ」


 彼氏にフラれた~辛い~、とかそういう愚痴なら聞いたことあるけど、思えば珠希ちゃんから元カレの悪口は一回も聞いたことがない気がする。勝手に秘密を言いふらしたりなんて、絶対にしないだろうし。


 珠希ちゃんのそういうとこ本気ですごいなって思うし、やっぱり好きだな。


「そっか……。

珠希はいい子だったし、友達としては大好きだったし、大切だったよ。だけど、どうしても恋人としては見れなかったんだ。……珠希には申し訳ないことをしたと思ってる」


 渡辺くんは今も珠希ちゃんと付き合ったことを後悔してるのかな。女子のことは好きになれないのに、付き合ったりして申し訳ないって。


 付き合ったことさえない私には渡辺くんや珠希ちゃんの気持ちを完全に理解することは難しいけど、少しだけ悲しそうな表情で目を伏せた渡辺くんを見ていると、私の胸にまでチクリと痛みが走った。


 もし珠希ちゃんが男の子だったら、それか渡辺くんが女子を好きになる人だったら、二人は上手くいってたのかな。


「そうなんだ……、なかなか上手くいかないね」


 自然にそんなことが口からこぼれると、渡辺くんはなぜかマジマジと私の顔を見てきた。


 どうしたのかな?

 また私何か変なこと言ったかな……。


「あの……、渡辺くん? どうかした?」


「いや、思ってた反応と違うから。

もっと引かれるかと思った」


「そんな、びっくりはしたけど、引かないよ。

引くようなことでもないし……」


 同性を好きになる人がいることは知ってたけど、実際自分がゲイだと言う人には初めて会ったからびっくりはしたし、すぐにはピンとこなかった。


 だけど、渡辺くんが真剣だということは伝わってきたし、それに……。


「さっき……、渡辺くんは男しか好きになれない自分を認められなかったって言ってたよね。

渡辺くんの悩みとはまた違うけど、まわりのみんなと違う自分に悩むのは、私も少しなら……分かるよ。

私も、……みんなと違う自分が認められないから」


 私はゲイじゃないから渡辺くんの悩みとはまた違うし、ほんとにちっぽけな悩みかもしれないし、もしかしたら渡辺くんとは全然違うかもしれない。


 だけど、私も、みんなと違う自分、普通ではない自分にいつも苦しんでいる。  


 だから、ほんとに少しだけかもしれないけど、渡辺くんの気持ちはわかる気がするし、バカにしたりする気なんてもちろんない。


「……保健室にきてたってことは、斉藤さんも何か相談したいことがあったの?」


「う、……ん」


 相談する勇気が持てずに結局帰ろうとしてたけど。

 何て答えたらいいのか分からず、あいまいにうなずく。


「……そうなんだ。酒井先生は、信頼できる人だよ」


 渡辺くんはそれだけ言うと、特にそれ以上詮索してくることもなく、じゃあまたと部屋を出ていった。

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