昭和の銭湯の風景
昭和30年頃の街の暮らしで、銭湯通いが普通であった。商都として栄えた小樽でも、戦前は花柳界華やかなりし頃、料亭、見番、置屋が連なり、当然銭湯の役割は大きかった。源氏名の焼き印入りの手桶がズラッと並ぶ様は壮観だったとか。
家族中でよく通ったのは、商店街の一角にある「東湯」だった。風呂の中の富士山のタイル絵をバックに、気持ちよさそうに唄う人、ベビーベッドの泣き出した赤ん坊をあやしてくれた人、どこぞの爺様に風呂の入り方の指南を受けていた子もありと、庶民生活が丸ごと映し出されている場所ではなかったかと。夜は特に混みあって、床面は大きな籠に占領された。
「どれどれ菖蒲湯まで待って風呂へ行くか」と五月の菖蒲湯は、ことさら待ち遠しかった。一抱えもある束の菖蒲が布袋に入って湯船の蛇口にくくられ、菖蒲が
なお、東湯のご店主は、父のシベリア抑留時の戦友であった。
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