トラックに轢かれて転生すると思ったらしなかった。

@RyuAquaLooso

トラックに轢かれて転生すると思ったらしなかった。

 朝。草壁翔太はコーヒーを飲みながら活字に溺れていた。

新社会人になった際、背伸びして経済新聞を契約したが、ちんぷんかんぷんなのでそろそろ解約したい。しかし最近は解約手続きの筆を執ることすら、億劫なのだ。

 出勤時間になった。電車での暇を潰すために買ったファイアータブレットをカバンに入れ、ユニクロでまとめ買いした無地の靴下に健を通し、蒸れる革靴を履いて外の空気を吸う。電車の中でファイアータブレットを起動しようとするがうまくいかない。そういえば昨日夜遅くまでアニメを見て、充電がすっからかんになったのだった。自分の要領の悪さに憂いながらも仕方がないのでイヤホンを取り出した。スマホでアニメのOPを垂れ流し、もし地球が爆発したらどこへ逃げようか考えていた。

 出勤時間ギリギリに打刻する。上司に "もう9時か" と、どやされた。

私の仕事は営業である。しかし私の能力に合致していないのか、営業成績は振るわない。そもそも、対してよくもない商材を人に勧めるというのが、" ぽりしー "に合わない。本日もリサーチの合間に、転職サイトを回遊する。

 外回りの時間だ。しばしの休息である。まずは腹ごしらえと、いつもの牛丼屋に入り、貪る。すぐ隣のアイスクリーム屋でクワトロを買う。一応住宅街を目指しつつ、道中公園に寄り、ベンチで一服する。家から持ってきたキャットフードをその辺の野良猫にやりつつ、地上の支配種族は人間ではなく猫に違いないと確信を得る。

 チャイムに触れる。少しの緊張と、断られる心の準備をする。その家の主のものとおぼしき波長が耳をつんざき、次のチャイムに向かう。


「で、どうだった?」

同僚は私のことを心配しているのだろうか、しかし今の私はナイーブなので、心配の声も、嘲笑を隠して死体を見に来たカラスの鳴き声に聞こえてしまう。

やはり向いていないことを伝えると、一冊の本を手渡された。

「あげるよ、俺読んだし」

表紙には、いかにも自信満々ですといった面持ちの男がスーツ姿で腕を組んでいた。タイトルを読まなくても概要がわかる。

「それ、マジで参考になるぜ、その本の通りに実践したら、数字上がりまくりよ」

一応受け取るものの、埃を被るだろう。そのことを思うと少しの罪悪感を抱く、が結局レビューサイトを確認し、感想を聞かれた時に使える短文だけを目に入れる。

 雑務をゆるゆるとこなしていると、終業時間がくる。今日も頑張ったと自分を肯定し、一駅前で降りて、自分へのご褒美を思案する。

 空腹時の夕飯をどうするか考えている時が一番幸せだなと思いにふけり、結局今日は胃が重い気がしたので本屋へ向かった。一冊の本を手に取る。いつの間にか追いかけている小説の新刊が出ていた。レジが空いていたので直行する、機会損失を損失する機会を損失したなと、冗談を考え、一人で吹き出す。

 あと一駅なので、歩くことにする。この選択は日常の延長に過ぎないが、これが人生を変える選択だった。

一刻も早く小説を読みたい衝動から、歩行速度が上がる。信号機が目の前に立ちふさがる。深夜の赤信号は渡ってもよいのか思案しつつ青になるのを待つ。

無事、信号を渡りきる。続いて眼前には十字路が現れる。草壁はカーブミラーを確認しつつ、教習所で習った顔だけを出すスタイルで前に進む。十字路を超す。

 もう自宅は目の前だ。あとはこの道路を渡りきるだけである。横断歩道はないが、道幅は乗用車2台がギリギリすれ違う程度しかない。草壁は左を見て、右を見て、再度左を見て足を踏み出す。1歩、また1歩と順調にアパートの門に近づく。

 「あっ」

草壁は足を取られる。何もない道路だが、まれにある自分の足が自分のものではないその感覚に支配された。その刹那、右側からトラックが高速で近づいてくる。

               

               きぃいぃいい


背筋に冷たい水が流し込まれたような感覚を味わう。運転手の憔悴しきった顔が眼に映る。ブレーキの音が月まで轟くかの如く、壮大に耳を破る。

足がうまく動かない。体のどこかしこも、反応しない。長い一瞬は続く。

 草壁は母親の顔を思い浮かべ、次に初恋の人を思い浮かべた。実際には死を悟る暇もないのだなと、考えたのかもしれない。


鈍い衝撃音が──



「あんちゃん、大丈夫か」

運転手の声が聞こえる。どうやらとっさにハンドルを切って、ガードレールにぶつけたらしい。

「いや、悪かった。ギリギリだったな、本当にごめん」

運転手のおっちゃんは平謝りだった。しかし耳に届かない。俺はただ、安堵していた。仕事ができないとか、彼女ができないとか、そんなことはもはやどうでもいい、ただ生きている。それを実感しただけで幸せだった。

「いえ、僕の方こそ驚かせてしまってすみません」

運転手のおっちゃんは "お詫びと言っては失礼だが" と、饅頭をくれた。


 草壁は部屋の中で、考えていた。この人生について、考えていた。

草壁は筆を執った。そして静かに、経済新聞の解約届を書き始めた。


"トラックに轢かれて " 転生すると思ったらしなかった。おしまい。

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