7.宮前翔 通勤電車(社会人)

「過労ですね――」

 医者が口にしたのは「いや分かっていますよ!」と突っ込みたくなるような言葉だった。仕事が忙しすぎる。この東京の街は忙しなさすぎる。

 僕は会社を休んで一時休息を余儀なくされた。


 就職して一年半、よく頑張ってきたと思う。

 上司からの評価はそこそこ良くて、同期からはエースみたいな存在だと思われているみたいだ。でもそれは自分の私生活と健康を犠牲にしてのことだった。

 第一希望の出版関係には就職できず、技術系の書籍を出している企業の関連会社でセミナー企画を行う会社に入職した。ただ入ってみて分かったのは、この会社が自転車操業みたいな会社だってこと。業界研究はそれなりにやっていたつもりだったけれど甘かったのだろうなぁ、と思う。これなら大学院に進学して工学系の技術者か研究者をきちんと目指した方が良かったかもしれないと思うけれど、後悔先に立たず。いまさらそんなことを考えても仕方ない。

 仕方ないとは分かっているのだけれど、体がついていかないとどうしようもない。半年が経つころには自分の体の疲れを認識するようになって、一年が経った頃には「嗚呼、過労だな」って悟り始めた。

 そんな日々の中で微かな楽しみだったのは、朝の山手線だった。

 高校の同級生――篠崎楓がいつからか同じ電車に乗り込んでくることを知った。それからいつも同じ車両に乗るようにしていると彼女もその車両に乗り込んでくるようになった。そしてきょろきょろと周囲を見回して僕を見つける。「おっす」と手を上げると、満員電車の向こうから彼女も微笑んで「おっす」と手を上げる。

 

 会社を休むようになって彼女に会えなくなった。それは残念だ。

 僕は彼女の連絡先を知らない。頑張って調べれば分かるかもしれないけれど、今更彼女に連絡して何を期待していいのかがわからないし、期待させてよいのかもわからない。そういえば、三年生の時、カフェで彼女に偶然会った。今から思い返せばあの時に連絡先を交換すればよかった。でも後悔先に立たずだ。


 今も彼女はこの街で、僕によく似た心拍を打ち続けているのだろうか。

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