第2話 静かなる侵略計画

 だんだんと日が昇って来ると、原住民とすれ違うようになった。真っ黒に日焼けした筋肉質な身体で、髪を何かの模様に剃り込んでいる若者たちだ。彼らは巨大な板を抱えながら談笑していた。早朝にもかかわらず元気があるものだ。


「彼らは?」

「サーファーと呼ばれています。我々のような日陰者が関わると、良いことはありません」


 海を警護する戦士だろうか。確かに前線の兵士に比べれば、我々は日陰者と言われても仕方無いかもしれない。

 何故なら私たちは、いわゆる“日陰者スパイ”なのだから。

 その後も何人かの地球人を見かけながら、木々に囲まれた古い街並みを抜けて行った。徐々に周りの建造物は近代化していき、コンクリートが敷き詰められた都市部までやって来た。


「レオルさま、そろそろ電車に乗ります。1時間ほどの移動になりますが、その前に――」

「先に栄養摂取としましょう」


 バックパックからサプリメントと水のボトルを取り出そうとした手を、カナコが掴む。


「栄養摂取ではなく“食事”をしましょう」

「食事、ですか?」


 私は、オレンジ色の看板の目立つ店に連れて行かれた。ガラスの向こうに見えるカウンター席では、誰もが目の前の何かに夢中になっている。どこか異様な有様である。

 だが店内に入ると、ここで起こっているのは只事ではないと分かった。鼻腔をくすぐるうえに、何故か唾液腺をも刺激してくる香りが漂っている。


「この国では“甘しょっぱい香り”と表現するようです。空腹を覚えませんか?」

「カナコ、これは快楽を貪るための薬物の類ですか?私は栄養摂取が――」

「いいから、黙っていて下さい」


 彼女はため息交じりで、私を席に無理やり座らせた。


「牛丼を2つ下さい。片方は汁だくで」


 ギュウドン?ツユダク?


「すみませーん。豚丼サラダセットお願いします」

「こっちは牛カルビの豚汁付きで」


 他の客も、カナコと同じように何かを注文していた。


「レオルさま。これは地球の“食事”です」


 食事――動植物を調理して食するという行為は、ゲルマ星ではとうに失われていた。少しの資源も無駄に出来ない現在では、その行為は生存の妨げになりかねないのだ。代わりに、必要な栄養素を1カプセルのサプリメントに凝縮し、それで身体の健康を保つ技術が発達した。

 それに対し、資源に溢れたこの惑星では、食事と言う行為はあまりにも簡単で、ありきたりのようだ。


「来ました。牛丼です」

「これは……」


 深めの陶器に盛られていたのは、湯気を放つ茶色い物体だった。かつて母星にも存在したといわれる“肉”と同じように見える。


「レオルさまはこれで食べて下さい」


 渡されたのはスプーンという道具で、私はそれを使って肉をかき分ける。その下から出てきたのは“コメ”に似た白い粒だった。私より数世代前の時代に疫病で滅んだ穀物だ。汁漬けになっているとはいえ、その白い輝きは容易に分かる。

 私は意を決して、コメを口に入れた。


「……」


 これが“食事”か。

 コメの柔らかな触感、その甘味は生まれて初めての経験だった。サプリメントの摂取において味覚は無用だったが、舌や鼻の機能保全を目的に特定の刺激を体験する訓練はあった。そこで味わう人工的甘味がいかに味気ないものだったかを実感する。


「レオルさま、その肉と一緒に食べて下さい」

「ええ」


 コメの甘みと、煮込まれた肉のコクが絡み合い、優しい味が広がっていく。それだけではない。コメの柔らかさと粘り気が肉の歯ごたえと混ざり、口内に心地良い刺激を与えてくれる。


「カナコ。これは地球では標準的な食事で――」


 カナコは私の問いに何か返すでもなく、夢中になってギュウドンをかき込んでいた。

 あのカナコが、私の声すら聞こえないくらいに没頭している。これが食事の魅力というか、ある意味魔力なのだろうか……。




 地球で最初の食事を終えると、私たちは電車に乗った。通勤ラッシュという現象は、過酷の極みであった。死んだ目をした人々がひしめく狭い車両内は、遥か昔の奴隷船のようであった。舌打ちと共に私の足を踏んだ地球人に対し、カナコが密かに殺気を放つというトラブルにも見舞われた。インターネットが普及した世界の人々が同じ時間に通勤をすることに、一体どのようなメリットがあるのだろうか。

 だが一つだけ理解出来た。7日ある1週間のうち、5日もこの不快感を受け入れる地球人の“忍耐力”は、大いに注目すべきである。

 前時代的交通機関を乗り継いだ私たちは、『宙海市』にたどり着いた。

 電車での不快感は、街を歩いていくうちに和らいでいった。私たちが足を踏み入れた広場は桃色の花を咲かせる木々に囲まれ、豊かな水音を響かせる噴水を中心に据えている。

 ゲルマ星人の住む場所――生存に最低限必要な機能しか存在しない無骨な地下空間――に比べれば、精神衛生上好ましい風景と言えよう。

 その端の方に設置されたベンチを選び、そこで一息つく。


「ご安心ください。周辺に盗聴器等はありません」


 カナコが周囲を見回し、小刻みに目をしばたかせる。電子機器の存在のみならず、赤外線などの不可視光線も認識できるコンタクトレンズ型端末『スマートコンタクト』は地球においても便利なようだ。


「カナコ。この星は、我々ゲルマ星人の居住地になるべき場所です」


 青く広がる空を見上げる。深呼吸をしても、喉がヒリヒリしない。目に見えぬ病原菌を警戒する必要も無い。母星の地上とは大違いだ。


「そのために、私たちはここに居るのです」


 カナコの無機質な声を耳にし、私は頭のスイッチを切り替えた。

 私が何を尋ねるでもなく、既にカナコはある文書ファイルを私のスマートコンタクトに送信していた。同じコンタクトを装着しているカナコと私以外からは決して見えないが、私の手元には数枚のレポート用紙が見えている。


「先遣隊の地球潜入は、順調ですね」


 渡されたのは、10年前から地球でスパイ活動中の同胞リストだった。『地球侵略省』先遣隊メンバーである彼らは、役所の職員、警察官、医師、大企業幹部、ひいては政治家という立場を手に入れている。情報収集と共に、本格的な地球侵略の下地を作るのが彼らの任務である。


「この『geegelゲーゲル』という企業、同胞が立ち上げた企業でしたね。先ほどの電車内のニュースでも名前が挙がっていましたが」

「いまや世界的企業です。彼らが普及させたAIは、地球人の持つスマートフォンの殆どに導入されています」


 ゲルマ星で100年近く前に完成した高性能AIは、地球人から考える力を奪い、後々その行動を管理するために導入させていたのだ。実際地球人は、分からないことがあれば何でも「OK geegel」と言って済ますようになったのである。大衆の思考を把握、操作するのに便利な道具だ。

 そうやって地球人たちは、知らぬうちに我々ゲルマ星人に侵略されていくのだ。

 私は一度まばたきして、視界から文書を消し去った。


「レオルさま。一つ質問が」

「何でしょう」

「母星は、どうなっていますか」

「時間はある、とは決して言えない状況です」


 我々の故郷ゲルマ星は、その星としての寿命を終えようとしていた。それによって自然環境は大変動し、生命体はどんどん失われていった。

 だが私たちは遠く離れた宇宙に見つけたのだ。遥か昔の母星のように自然に溢れ、ゲルマ星人が快適に生活できる惑星――それこそが、この地球である。

 しかし大きな問題があった。この惑星には既に、我々とそっくりな身体構造の知的生命体――地球人が大量に住み着いていたのだ。

 技術レベルは我々より数世紀遅れている地球人を、武力で絶滅させようと主張する同胞も存在した。しかし大量の血と廃棄物に汚れた惑星を奪う――そんな非効率的で確実性の低い“武力侵略”に訴えるつもりは、私は無い。


「我々の“知的侵略”を、一刻も早く完遂せねばなりません」


 裏から地球人のシステム、権力者、そして思考を操り、同胞の移住を認めさせる――それこそ、私が立てた地球侵略計画なのである。


「しかし、移住だけがレオルさまの計画ではない。そうでしょう?」


 カナコの問いに、私は息をつく。

 今は自然が豊富といえども、既に地球の環境汚染は愚かな地球人の手で急速に進んでいる。我々の試算では、近い将来にこの星は、ゲルマ星と同じ“死の星”へとなり下がる。


「地球を守るため、我々が地球人を適切に管理するのです」


 我々の持つ先進技術で環境を保護し、非合理的な社会システムを改変、平和を脅かす不穏分子を抹殺……やることは山積みだが、我々ゲルマの手にかかれば難しいことではないだろう。


「地球人だけを綺麗に消し去る方法でもあれば、レオルさまも相当に楽できるでしょうね」

「彼らは地球管理に必要な労働力ですから、そうはいきません」

「とはいえ、侵略の暁には……不必要な人口は削るのでしょう?」


 私たち無言のまま、同意し合った。


「それでは、地球での潜伏先にご案内します。行きましょう、レオルさま」

「いえ。その前に一つ、実験を」

「レオルさま、ここで“能力”を試すおつもりで?」


 我々の武器は、地球のレベルを遥かに超える先進技術や知能だけではない。

 ゲルマ星人はもう一つ、地球人の力を凌駕する“能力”を持っているのだ。

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