高校生からはじめる地球侵略
佐馴 論
第1話 その宇宙人、高校生となる
この星の暦で2020年の春。私は日本という国、東京という都市に居た。
「こんにちは。USAより留学に参りました、レオル=マクニールと申します。日本の文化にまだまだ不慣れで、何かとご迷惑をおかけすることもありますが、どうかご容赦を。よろしくお願い申し上げます」
全て嘘である。私は地球人ではなく、宇宙人『ゲルマ星人』だ。USA生まれのはずがない。
そんな虚偽の自己紹介を述べた私に、地球人たちの視線が集まる。教室と呼ばれる狭い部屋いっぱいに詰め込まれた地球人たちは、目を丸くして固まっていた。私に何か不自然なところでもあったのだろうか。
まさか、こんな早々に私の正体が怪しまれたのか――
「日本語上手いな!!」
「私よりよっぽど日本のこと知ってそう……」
「てかイケメンじゃない!?」
拍手に混じり、彼らは口々に私への感想を口に出す。
「……勉強しましたから」
もっと片言の日本語で挨拶すれば良かったと、若干後悔した。
ともあれ何事もなく私は、私立
「じゃあ席は……取りあえず一番後ろの窓際が空いているから、そこにしようか」
担任の先生という役職付きの女性教官に指示され、私は滞りなく自分の席を手に入れた。
「レオルくん、教科書見る?」
「感謝申し上げます」
高校数学の教科書だった。内容は、私たちの母星では生後3年ほどで消化するカリキュラムと同レベルである。
「レオルくんってさ、SNSとかやってる?アカ教えてほしいなぁ」
「やっていません」
「まじ?!今時あたおかすぎないー?」
「あた、おか……?」
「そうだ、インスタやろーよ!レオルくん絶対映ばえるから!」
……地球の若者の文化についてはまだまだ不勉強のようだ。しかし現段階で私の挙動には不審点は無いはずだ。
地球人の誰一人として、知る由は無いだろう――私が、地球人から地球を奪わんとする“侵略者”であることを。
―――――――
――――
――3か月前、まだ私が地球に降り立つ前に遡る。
地下空間から続く階段と、滅多に開かぬ特殊合金の自動扉の先。砂嵐の吹き荒れる地上に出た私は、曇天からわずかに降り注ぐ日の光に目を細めた。
「レオル=マクニール様。私は『地球侵略省』所属の者です。元老院発行の開放命令により、お迎えに上がりました。一刻も早く地球に行き、現地諜報員の指揮に当たるよう指示があります」
防塵加工をされた四輪駆動車の前に、私と同じ黒い詰襟の制服に身を包んだ男が立っている。私は彼に促され、その車に乗り込んだ。地上を走る車に乗るのは、先ほどまで収監されていた監獄への移送時と合わせ、生涯で2回目だ。このタイヤ式の車自体、もう数百年過去の物であるから、普通に生きていればなかなか無い機会である。
「マクニール様の投獄中、ゲルマ星の環境は更に悪化しました。地上の砂漠化は100%に達し、わずかに残った動植物も疫病で死滅しました。新型感染症は地下生活区域にもわずかに侵入しており、人類への感染も報告されています」
前方からまったく目を逸らさず、運転手は淡々と事実を述べる。
「感染は徐々に拡大しており、この1か月の死亡者は少なくありません。マクニール様のご両親も死亡しています」
その報告を黙って聞きながら、私は車窓に広がる風景を見やった。
「……乾いた星です。もはや人の住む場所ではありません」
風に乗った砂が車体を叩く。粉塵の向こう側に見えるのは、既に廃棄された建造物や、放置されたままの旧世代のスカイビークルだった。AIに制御されて空を自動で駆ける優れ物だったが、狭い地下空間では邪魔なだけだった。いずれも砂に飲み込まれており、かつて地面に広がっていた舗装道路は全く見えていない。
しかしこの砂漠の大地こそが、我が故郷である『ゲルマ星』なのだ。
死の荒野を眺めながら、隣の席に置いてあるバックパックからボトル入りの水を取り出し、サプリメントと共に飲み込む。今日の“栄養摂取”はこれで終わった。
その直後に車は停まった。靄のように視界を阻む砂煙の中に、突如高い塔のような建造物が現れた。それは道中目にした廃墟とは大きく異なり、複数の窓から明かりが漏れている。鏡面のような壁は、黄色い雲間からほんのわずかに漏れ出る日の光を反射し、仄かに輝いて見えていた。地上で唯一稼働している目の前の塔が、ゲルマ星から宇宙への玄関――“空港”である。
「禁固刑を終えられましたので、マクニール様には官職復帰が命じられています」
投獄前に剥奪されたIDカードが、運転手から差し出された。
「マクニール様の所属は10年前、禁固刑執行日と同様に地球侵略省です。役職は現地諜報部隊チーフと――」
「移住用大型宇宙船の製造は順調ですか?」
「マクニール様のプラン通りです」
「我々先遣隊が地球を侵略次第、すぐに発艦出来るように抜かりなくお願いします」
私は隣のバックパックを持ち、車から降りた。空港の滑らかな壁面が、私の網膜情報に反応してスライドする。その先の狭いスペースに数台のコンピューターが置かれ、中心には小窓のついた円柱型の“宇宙船”がセットされている。高度なステルス機能を搭載した、小型恒星間航行船である。宇宙船が発する特殊な電波を解析できるゲルマ星のレーダーだけが、その旅の道程を知ることが出来るのである。
「レオル様。こちらです」
オペレーターの女性が私を船内に案内する。彼女は『運輸省』所属を表す濃緑の制服姿だった。
「今すぐに出られますが、その前に先方からのレポートをご覧になりますか?」
小さな箱に収納されたコンタクトレンズ型の端末が渡される。私はそれを受け取るも、移動しながら済ませると答える。それから船内にたった一つの座席に腰を下ろした。
「一つ、ファイルと一緒に伝言があります。グラハムさんが『気を付けて来い』と」
「そうですか」
シートベルトが自動的に巻かれ、私の身体をきつく締め付ける。獄中の椅子よりも酷い座り心地である。私はヘルメットを被った。
ハッチが閉まる。それに合わせて宇宙船の内外から稼働音が聞こえる。そして上方のゲートが開く音がした。
『こちらからの通信は、これが最後です。離陸後はステルス機能を発動するため、超長距離通信を遮断します』
発射をコントロールするオペレーターは、機械のような口調で発射工程を進めていく。
「通信を切ります」
私も淡々と、最後の通信を終えた。
小刻みに揺れながら、宇宙船がゆっくりと上昇する。やがて、ガチャリという大きな音と共に、宇宙船が塔内のレールに接続された。
次の瞬間、レールに乗った船体が引き上げられる。急激な加速によって生じた重力が、私の肉体を押し潰そうとしてきた。
気付いた時には船体は塔から吐き出されて、鉛色の空をどこまでも上昇していく。
ゆっくりと瞼を開くと、既に宇宙船は漆黒の宇宙を漂っていた。
それから2ヶ月間の宇宙飛行を終え、私は地球と呼ばれる惑星へとやって来た。小型宇宙船は何の問題も無く海に着水し、潜水しながら陸地を目指す。自動運転に任せながら、地球の衣類を模して作成された服に袖を通した。
そして私は、砂浜に立った。
もう母星から消え去った雄大な海を、私は振り返った。
「……」
私たちゲルマ星人は母星の崩壊を前にして、種の生存を第一目的としてきた。そのために社会システムはおろか自らの思考様式をも徹底的に合理化・効率化したのである。結果として喜怒哀楽といった感情は極めて希薄となり、当然、審美性といった情動も失いつつある。私もその例に漏れることは無い。だが自分たちが遠い過去に失った大自然を前にすると、少なからず驚かされたのは事実である。
眼前の光景にわずかの間意識を奪われたが、すぐに気を取り直す。先に地球に潜入していた同胞から受け取った地図データを参照する。ここは『湘南』と呼ばれる地域らしい。私は使い捨ての宇宙船を海に沈め、海岸を歩いた。もはや母星では見ることのできない海と、藍色の空、緑の植物……どれも電子データの中でしか知らない光景だった。
きっと地球でも絶景に数えられる場所に違いない。だが、まだ薄暗い早朝だけあって観光客は全く居ない。私にとっては好都合だった。
「お疲れ様です、レオルさま」
10年ぶりに聞いた、冷たい声が私の名を呼ぶ。
私と同じゲルマ星地球侵略省所属、そして私の副官でもあるカナコ=メルシエだった。彼女は相変わらずの無表情だが、身体は年相応に成長して大人びていた。
「長旅は問題ありませんでしたか?体調は?ご気分は悪くありませんか?」
紫色の切れ長の眼が、私の顔や身体をくまなくチェックしている。確かに私は疲労を感じてはいるが、気遣いが過剰ではなかろうか。幼少期から冷静沈着で、他の同胞よりも一層感情を表に出さないのがカナコだった。その彼女の出迎えは、もっと無味乾燥なものと予想していたのだが。
「ではレオルさま。潜伏場所にご案内します」
彼女は緩くウェーブのかかった銀髪を揺らしながら、私の前を歩いた。地球ではパーカー、そしてデニムと呼ばれる服装の彼女は、どこからどう見ても地球人にしか見えなかった。
「しかしカナコ。このような景勝地に降下させるなど、観光客に目撃される危険があるのでは?」
「残念ですがレオルさま。この地『湘南』は、この国で最も汚いと言われる海の一つです。しかもこの一帯は水質が悪く遊泳禁止ですから、問題ありません」
「……そうでしたか」
私はカナコに案内されながら、波の打ち寄せる砂浜を歩いて内陸部へ進んでいった。
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