番外編

白猫王子の手なずけ方


「うーん……」


 ある昼下がり。

 セレナは自室のソファーに座り、首を捻っていた。


 ハスールからアレストリアへと戻り、数週間が経つ。

 つい先日、結婚式の日取りを一カ月早めることが決まり、慌ただしく準備を始めたところだ。


 目の前のローテーブルには何枚かの紙が並べられている。そこには、様々なデザインのウェディングドレスが描かれていた。


「シュニー様は、どれが良いと思いますか?」


 これはドレスのデザインを決めるためにシュニーが持ってきたものだ。この中から大まかなデザインを選び、そこからさらに好みのものへアレンジするらしい。

 隣に座る人に問いかけたセレナに、彼は眉尻を下げながら水色の瞳を細めた。


「セレナが好きなものを選んでいいよ」


 そう言ってセレナの髪を梳きながら、その前髪に唇を寄せた。

 最近彼はずっとこんな調子で、二人きりの時はやたら触れてくる。人前では自制してくれるようになったのだが、その反動なのか二人になると遠慮がない。

 今もセレナの顔を覗き込むようにその美しい顔が眼前にあり、近すぎる距離に気分はドレスを選ぶどころではなくなっていた。

 それでもこの状態が続くと多少は慣れてくるもので。ドレスのデザインには目もくれず、セレナをひたすら可愛がる彼に胡乱な視線を向ける。


「どれも可愛くて選べません」


 これは本心だった。

 セレナはおしゃれをしたいという願望はあれども、具体的にどういった服装やデザインが好みなのかと言われると答えに迷う。これと言って好きな形がないと言ってしまえばそれまでなのだが、今までハスールで抑制された生活を送ってきたからか、いざ自由に選択できるとなると余計に迷ってしまうのだ。


「こんな感じのが着たいとかはない?」


 シュニーはテーブルに並ぶデザイン画の中から適当に一枚を手に取り、セレナの前に持ってくる。


「この形はどう?」

「んー……」


 もちろんとても可愛いデザインなのだが、なぜかぱっとしない。どのデザインも凝っていて素晴らしく、セレナが着るにはもったいないくらいに見えてしまう。

 しかし、いまいちこれが着たい、と思えるものがないのだ。その理由はセレナにも分からなかった。


「この中に気にいるものがなければ、別のデザインを作らせるけど」


 その言葉に首を横に振る。

 デザインが気に入らないわけではない。

 ではなぜ、これだと思えるものがないのか。

 シュニーは手に取ったデザイン画を膝の上に乗せ、困ったような顔をしてセレナを見た。


「君はどれを着ても可愛いし、似合うと思うよ?」


 その言葉に何かがストンと胸に落ちた。

 そして、潔く理解する。思い至った結論をそのまま彼に伝えた。


「私は……シュニー様が、一番かわいいと思ってくれるものが着たいです」


 シュニーが水色の瞳を見開く。

 それから少しして、彼は表情を隠すように手の甲を鼻先にあてた。その頬が少し赤く染まっているように見える。


「まったく……君は本当に、僕を手なずけるのがうまい」


 感心したような呆れたような物言いで、彼は独り言を呟くように言葉をこぼした。

 セレナにとってはシュニーが全てなのだ。重要なのは自分が可愛いと思うものを着ることではなく、シュニーにどう思ってもらえるかである。

 彼から見て、一番可愛いと思ってもらえるドレスが着たい。そうでなければ意味がない。

 自分でも気づかないようなそんな気持ちがあったからこそ、ドレスを選ぶことができなかったのだ。


 シュニーはセレナの背中に左腕を回すと、そっと抱き寄せた。

 その反動で膝上に乗せたデザイン画が、パサリと静かに音を立てて床に落ちる。

 それを拾い上げようと手を伸ばしたセレナだったが、彼の右腕によってその手を掴まれた。

 シュニーはセレナの手を己の口元に寄せると、その指先を食むように唇で挟み、愛おしそうに吐息を漏らした。


「あぁ、早く君を僕だけのものにしたい」


 熱をもった彼の舌がセレナの指先に触れる。その感触にびくりと肩を揺らした。


 セレナは混乱した。なぜ今こんな状況になっているのだろうか。

 思ったことを言っただけなのに、彼の何かに火をつけてしまったらしい。

 掴まれた腕を引こうとしたが、逆に彼に腕を引かれ、その広い胸に顔を埋める形になった。

 セレナを腕の中に閉じ込めると、シュニーは苦しそうな声音で呟く。


「そろそろ限界……」


 彼の言葉の意味を理解できなかったセレナは、その腕の中で小さく首をかしげた。


「……限界?」

「こっちの話」


 そう言って、彼はそのまま黙り込んでしまう。

 その雰囲気にそれ以上聞くことは躊躇われ、セレナは彼のぬくもりに身を任せることにした。


 少しして、シュニーはその腕からセレナを解放すると、ローテーブルに向き直って言う。


「よし。それじゃあ、僕の好みで選んでいいんだね?」


 先ほどまでの雰囲気を一変させて、彼は楽しそうに聞いてきた。


「はい」

「わかった。君がとびきり可愛く見えるものにしよう」


 それから、シュニーは真剣にデザイン画とにらめっこをしていた。

 セレナはそんな彼の横顔を見つめて、自分も早くこの人のものになりたいと思ったのだった。


 彼女がその意味を正しく理解するのは、もう少し先のお話。


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