エピローグ

最終話 あの日と同じ、春の日に


 澄み渡る青空。

 陽射しはぽかぽかと心地良く、新緑の匂いを乗せた風がそよいでいる。

 季節は、春。


 セレナは純白のドレスに身を包み、厳かな扉の前で待機していた。


 ハスールから帰国して三カ月。

 今日はセレナとシュニーの結婚式当日だ。


 実のところ、一年と定めた婚約期間にはあと一カ月ほど足りていない。しかし、二人がどうしてもこの日に式を挙げたいと強く希望したため、一カ月早めることになったのだ。

 そう、今日はセレナとシュニーが初めて出会ったあの夜から、ちょうど一年の月日が経つのである。

 シュニーと正式に婚約したのはあの夜から一カ月近く先だったため、一年の婚約期間としては足りなかったが特に問題はないらしい。

 元よりハスールから戻ってきた二人は、向こうで何かがあったのが丸分かりなくらい仲良しが加速していて、とっとと式を挙げてしまえと周りからの後押しもあったくらいだ。


 そんな経緯を経て、セレナは今日この場にいる。


 頭の上から被ったヴェール越しに隣を見ると、そこには礼服を着たマルクが立っていた。彼は一カ月前にアレストリアへの移住が済み、父親役として一緒に歩いてもらうことになっている。

 この事をマルクに伝えた時、彼は初め渋っていた。父親役として男でなくても、例えばケーラと歩いても良いんじゃないかと。しかし、セレナは頷かなかった。たとえ血の繋がりがなくとも、愛情をもって接してくれたマルクと歩きたかったのだ。

 セレナの熱意に折れ、彼は了承してくれた。まさかまだ結婚もしていないのに、父親役として式で歩くことになるとはと、複雑な顔で笑っていた。



 始まりを告げる鐘が鳴り響く。

 セレナは差し出されたマルクの腕に手を添え、開かれた扉の先へと歩き出した。

 ステンドグラスから差し込む光に眩しさを覚え目を眇める。祝福のために立ち並ぶ人々を通り過ぎ、光の中にいる人を見上げた。


 そこには大好きな白がいた。

 純白の礼服を身に纏い、口元を綻ばせ、セレナに手を差し伸べている。彼は本当に白が似合う。


 彼の耳には菫色の石を使ったピアスが輝いている。これはこめかみの傷に嫉妬したセレナに対して、彼がピアスならどうかと提案したのだ。良案だと思ったのですぐに道具を用意してもらい、躊躇いなくいかせてもらった。

 これで僕は君のものだね?と、嬉しそうに彼が笑っていたのを思い出す。


 白の中に浮かぶ、湖面のように澄んだ水色の瞳を見つめた。彼に抱きつきたい衝動を抑えながらその手を取る。


 あの夜が始まりと言うのなら、今日は過去との別れか。

 セレナはこの一年に思いを馳せながら、彼の口付けに身を委ねた。




   ✳︎




 その日の夜、セレナはシュニーと二人で自室から続くバルコニーに居た。

 春の夜風が頬を撫で、その心地良さに目を瞑る。空には満月に近い少し欠けた月が輝いており、一年前のあの夜を彷彿とさせた。


 セレナの肩を抱くシュニーの腕に身を任せる。

 一年前は、こうなることなど全く予想していなかった。まさか嫁いだ先のアレストリアで、この様な幸せが待ち受けているなど。

 そんな幸せをくれた隣の人物を見ると、その水色の瞳と目が合った。


「ん?」

「少し、考えていました」

「うん?」


 彼は首をかしげて先を促す。セレナは思ったことをそのまま口にした。


「お父様とお姉さまに、感謝しなくてはと」


 その言葉に彼は柳眉を寄せる。


「どうして?」

「きっと……、何かひとつでも違っていたら、シュニー様とこうしている今はなかったと思います」


 シュニーがふむ、と頷いた。

 きっとこれまでのことは全て必然で、それがあったから今があるのだ。だからセレナは、その全てに感謝したいと思った。


「君のそういう強かなところ、すごく好きだよ」


 彼の顔が近づいてきて、その唇がセレナの頬に触れた。ちゅっと小さな音を立てて、彼はすぐに離れていった。



「……それから、お兄様の本心を知れたのもよかったと思います」


 実は今日の結婚式にゲイル王太子のみ出席を許可していた。

 ゲイルは昨日アレストリアの王城に到着し、セレナにこれまでのことを謝罪してくれたのだ。そして、彼の本心を聞かせてくれた。

 ゲイルはセレナを嫌っていたわけではなかった。むしろその逆で、ずっとセレナを気にかけてくれていたのだ。しかし、王太子であるゲイルがセレナを庇えば、マリージュたちの苛めがさらに酷くなる可能性があった。それを危惧したゲイルは、あえて無関心を装うという選択を取ったのだ。それが正解だったのか間違いだったのかは分からないが、結果的に兄に嫌われているとセレナが思ってしまったのも仕方のないことで。それについても誠心誠意、謝罪を述べてきたのだ。


 そういったやり取りもあり、二人は和解した。きっとこれからのハスールとの外交は、ゲイル王太子主導で行われることになるだろう。

 セレナは兄の本心が素直に嬉しかった。嫌われていたわけではなかった。これからは兄と妹として接することができるだろうかと、想像した未来に顔が綻ぶ。

 そのセレナの表情を見たシュニーが、不愛想な様で言葉を投げた。


「今は、他の男の話は聞きたくないな」


 血の繋がりのある異母兄でさえも、彼は気に入らないらしい。それも、今日という特別な日には仕方のないことか。

 セレナは仕方ないな、とばかりに話題を変えた。


「では、一番感謝をしなくてはならないのは、シュニー様の呪いですね」


 きっとこの呪いがなければ、二人が出会うことすらなかっただろう。

 あの日、あの時、あの場所で起きた奇跡は、全てこの呪いの導きなのだと、そう思わずにはいられなかったのだ。


「そうかもしれないね……、僕は今までずっとこの呪いを疎ましく思って生きてきたけど、あの時だけは感謝をしたよ」


 空に浮かぶ星々を眺めるように、シュニーは遠くを見つめながら過去を思い出すように言った。

 その横顔が切なさと嬉しさを混ぜたような憂いのある表情で、彼が今までどれだけ呪いによって苦労してきたのかが伝わってくる。

 だから、セレナは言った。


「きっとこれは呪いではなく、奇跡の魔法なんじゃないでしょうか」

「……魔法?」

「はい。奇跡を起こす、魔法です」


 そう言って微笑みかけると、彼は少し考えてからセレナを見て小さく笑った。


「なるほど。僕にとっては、君と出会うための魔法だったってことか」

「そう考えれば、素敵ですね」


 彼が少し困った顔をして頷いた。認めたくない部分もあるのだろう。それでも、セレナにとってそれは間違いなく、奇跡の魔法だったのだ。


「やっぱり、君には勝てないな」


 降参とばかりに眉尻を下げたシュニーは、セレナの肩に添えた腕を離して正面から見つめてきた。

 細められた水色の瞳が、少し熱っぽく見える。

 その視線に射止められたセレナは、心臓が止まったように動けなくなった。

 彼の顔がゆっくりと近づいてくる。

 唇が触れる直前で、彼はピタリと動きを止めた。


「目を閉じて」


 言われた通りにすると、彼の吐息を唇に感じ、そのまま食むように触れ合った。

 口内に感じる生温かい感触に背筋が震える。腰が引けそうになったが、彼の大きな手が首裏に回され逃げ道を塞がれた。


「ふ……ぅっ」


 息が苦しくなって彼の胸を叩くと、漸く唇を解放してくれた。

 吸い込んだ新鮮な空気にほっとしたのも束の間、次の瞬間にはセレナの足は宙に浮き、シュニーによって横抱きにされる。


「きゃあっ」


 目を開けたと同時に視界に映った星空に、思わず悲鳴を上げる。空とともに見えた彼の顔には奇麗な笑みが浮かんでいたが、その熱っぽさにセレナの心臓は飛び跳ねた。


「しゅ、シュニー様……?」


 名前を呼んでみるも、返事はなく。彼はそのまま室内へと戻ると寝室に向かい、ベッドの上にセレナを下ろした。


 彼の笑顔が怖い。

 いくら初心なセレナでも、今日と言う夜のことを何というかくらいは知っている。

 思い当たった言葉に身を固くすると、シュニーが覆い被さってきた。再び口付けをし、そのままセレナを押し倒す。


「んっ……」


 短いけれど少し深いキスをしてから、彼はその唇をセレナの首筋へと移動させた。

 そこにも唇を寄せようとした彼の動きが止まる。セレナの首筋に顔を埋めたまま、シュニーは苦い声を溢した。


「やっぱり……、これは呪いだ」


 え?と思った次の瞬間には、セレナのお腹の上に白い猫が伏せの状態で座っていた。


「まぁ」


 不満そうな目つきでガラス玉の瞳を細めながら、白猫がセレナを見ている。少しして、気まずそうに目を逸らした。


 ふふっと吐息を漏らしながら、セレナは猫を抱き寄せた。

 今日は朝から式の準備やら何やらで慌ただしかった。彼はここのところ政務が忙しく、眠くなってしまうのも無理はない。

 やっぱりこれは魔法ではなく、悪い呪いじゃないかと、そう思ってしまうのも道理である。


 セレナはいつものように、白猫のおでこにキスをしよう――と思ってやめた。

 そっと猫の顎を下から指で掬いあげ、その小さな口にキスを落とす。

 白猫がぴくりと震えた気がした。


 横になり、その白い毛に顔を埋める。

 彼の匂いに包まれて、心が落ち着くのを感じた。

 人より高いその体温が心地良い。


 ゆっくりとまぶたを閉じ、小さな声で呟く。


「おやすみなさい、シュニー様」


 返事をするように、猫が一声鳴いた。



 END.


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