25話 惨劇の跡
あてもなく城の中を歩き回る。
シュニーがセレナと離れていた時間を考えると、そこまで遠くには行っていないはずだ。
はやる気持ちを抑え、突き当たりの角を曲がったところで声が聞こえた。
それは、聞き覚えのある声だった。
少しだけ開いた扉の隙間から、明かりが漏れている。声はその部屋から聞こえるようだったが、ここからでは聞き取れない。
廊下に漂う静寂な空気に混じるように、慎重に扉の近くへと移動した。
「いい気味だわ」
「本当ね、お姉さま。あの子の顔見た?」
「えぇ。あんなに顔を青くして、思わず笑ってしまったわ」
「それにしても、あの格好で何処へ行ったのかしら」
「誰かに見られたら大変ね、ふふふ」
くすくすと笑い合う三人分の声が、扉の先から漏れ聞こえた。
その言葉に己の身体が冷えていくのを感じる。額から伝った汗が、襟元を濡らした。
此処で何かが起きている。
冷たくなった指先を動かして、ぎこちない手つきでゆっくりとその扉を押し開けた。
キィィ――
わずかに扉の軋む音が、その場に響いた。
室内の視線が扉の外へと注がれる。
中にいたのはマリージュと、双子の姉と思われる三人だった。その三人の目が思い切り見開かれ、扉を開けた人物を凝視した。
「シュニー……殿下?」
ぽつりと誰かが言う。
しかし、シュニーの耳には届いていなかった。
目の前の光景に息をのむ。
床に散らばる布切れ、この透けた青い生地には見覚えがあった。彼女が着ていたドレスの、スカートを覆っていたものだ。自分が手配して作らせたのだから、見間違えるはずがない。
その布切れの隣には、銀色のリボンが転がっている。これも見覚えがあった。確か、彼女の髪に編み込まれていたものではなかったか。
そうして視線を辿った先で見つけてしまった。
それは、金色の。
彼女の淡い、金色の髪が床に散っていた。
数は少ないが、根本から抜かれたものが多いのか、長さがあった分目に留まってしまった。
シュニーは呼吸するのも忘れ、それを見ていた。
どくどくと心臓が嫌な音を立てて脈打つ。それがやたらと大きく、頭の中で響いていた。
誰も言葉を発せず、しばらく沈黙が続いた。
それを最初に破ったのはマリージュだった。
「なっなぜ殿下がここに……?」
その声に我に返ったシュニーは、忘れていた呼吸を再開し、小さく息を吸った。
「君たちは……、ここで一体何を?」
喉の奥から絞り出した声は、少し震えていた。
その声にマリージュは慌てたように答える。
「ちょ、ちょっと遊んでいたただけですわっ」
「……遊ぶ?誰と?何をして?」
徐々に怒気が混じっていくシュニーの声に、マリージュ達は一歩後ずさる。誰も、その質問に答えを返すことができなかった。
返ってきた沈黙に、シュニーは少し考えて質問の仕方を変えることにした。
「セレナを何処にやった?」
「知りませんわ!あの子が勝手に逃げていったのよ!」
「エミー!」
はっとして口元に手を当てたのは、エミーと呼ばれた双子のうちの一人。
シュニーはそれを見て、底冷えするような笑みを浮かべた。
「そう」
その言葉と表情で全て伝わってしまったと理解したのか、マリージュは言い訳まがいなことを言い始める。
「あ、あの子が久しぶりに私たちと遊びたいと言うから、付き合ってあげたのよ!」
「そんな見え透いた嘘が通用するとでも?」
「ひっ」
言いながら近づいてきたシュニーに、さらに後ずさる三人の娘たち。
そんなマリージュたちなど視界に映すこともなく、シュニーは床に散らばる金色の髪を拾い上げた。それを大切そうに掌で包む。
彼女はここから逃げたようだ。何が行われていたのか、この床の惨状を目の当たりにすれば想像がつく。今まで感じたことがないほどの怒りが、シュニーの胸の内を覆っていった。
此処にいても時間の無駄だ、早く彼女を探さなければ。今の彼女の状態を想像して、胸を掻き毟りたくなるほどの焦りを感じた。
踵を返し部屋から出て行こうとした時、扉の外に複数の気配がした。
「おまえたち!何をやっている!?」
怒鳴りながら部屋に入ってきたのはハスールの頂点に立つ、メルセド王その人だった。
「お父様!?それにお兄様も!?」
「どうしてここに!?」
メルセド王の後ろには、王太子であるゲイルが居た。
そのさらに後ろにジェフの姿が見える。彼は仕事を全うし、二人を呼んできてくれたようだ。
王と王太子は部屋に入るなり立ち止まる。
その床に広がる光景に、二人までもが息をのんだ音が聞こえた。
「これは……」
国王の顔から血の気が引いていくのが分かった。見る見る間に顔面が蒼白へと変わっていく。それを見て、マリージュと双子も顔色を変えた。
「マリージュ!おまえがセレナと二人で話したいと言うから時間を作ってやったのに、あいつに何をした!?」
どうやら夜会の最中にシュニーを呼びつけたのは、裏にそういう理由があったらしい。もちろん表向きな理由も嘘ではないのだろうが、まんまと乗せられついて行ってしまった自分にも腹が立つ。
その感情のままに王を睨みつけると、怒りからか恐怖からか分からないが、その身体がブルブルと震えだした。
「彼女たちは、ここでセレナと遊んでいたらしいですよ。メルセド王」
酷く冷たいシュニーの声に、王はもはや立っているのもやっとと言う様子だ。
その王に代わって言ったのは王太子であるゲイルだった。
「シュニー殿下。この場を見た限りでは、何が起きていたか正しくは分かりかねます。私が責任を持って妹たちを調べてから――」
「何が起きていたかだって?」
王太子の言葉を途中で遮り、シュニーは声に怒りを滲ませ、続けて言った。
「これを見ても、まだそんな悠長なことが言っていられますか?ゲイル王太子」
王と王太子の前に右手を差し出す。その手のひらの中にあったのは淡い色をした金色の髪の毛だった。それが何を示しているのかは一目瞭然だ。
「おまえたち、まさか傷をつけたのか!?」
「き、傷はつけていませんわ!お兄様!その髪は……その、あの子の髪にリボンが絡まってしまったから、解いてあげたときに引っかかって抜けてしまったのよ!」
「そんな言い訳が通用すると思っているのか!?あれほど私が程々にしろと言っていたのに、おまえは聞いていなかったのか?マリージュ!」
「お兄様!お願いよ、怒らないで……!」
始まった兄妹喧嘩とも言えぬやり取りに、シュニーはいい加減にしてくれと思った。早くここから出て彼女を探したいのだ。こんなどうでもいいやり取りを聞いている場合ではない。
盛大な溜息を吐いたシュニーに、その場が静まる。それを見計らって、王を横目に言った。
「メルセド王、僕はセレナを探します。この場はあなた方にお任せしますが、場合によっては国が傾くこともお忘れなく」
びくりと王が肩を跳ねさせ、床に膝を突いたのが見えた。
それを一瞥し、誰の返事を待つこともなく、シュニーはその場を後にした。
真っすぐに廊下を歩き出す。
扉の外で待機していたジェフが尋ねた。
「セレナ様の行方に、心当たりがあるのですか?」
「ある」
迷いなく答えたシュニーに、ジェフはぴくりと片眉をつり上げた。
「おまえは戻って部屋にアリーを待機させておけ。あとは僕がやる」
「承知しました」
主人の命を受け、ジェフは方向を変えて歩いていった。
彼女はきっとあの場所にいる。
あの場所で、また泣いているかもしれない。
ギリッ――と、音がしそうなほど強く拳を握りしめ、シュニーは城の中を駆け出した。
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