22話 偽りの姫
しばらくその場で雑談をしていると、こちらに向かって歩いてくる人物が目に留まった。
耳に掛かるくらいの明るい金髪を揺らしながらやってきたその人は、セレナにとって馴染み深くも、どこか遠い存在のような人だった。
「シュニー王子、取り込み中すまない」
その人はセレナには目もくれず、申し訳なさそうに言った。シュニーはその人の方を向くと、不思議そうに首をかしげる。
「これはゲイル王太子、僕に御用ですか?」
ゲイル王太子。そう、彼はこの国ハスールの王太子であり、セレナの異母兄である。
セレナはこの異母兄とはほとんど関わりなく育った。それこそ、顔を知っている程度である。
この人は妹たちの間で起きていたことには無関心で、見て見ぬ振りをしていたと言うよりも、最初から見てすらいなかったのだ。セレナなど、初めから居ない存在として扱っていたのだろう。その証拠にシュニーが隣にいる今も、セレナを一瞬たりとも見ることはなかった。
「父に、あなたに紹介したい人がいるからと、連れてくるように言われまして。少し時間をもらえませんか?」
紹介したい人。それはたぶん、外交上繋げておきたい縁にある人物なのだろう。わざわざ王太子が呼びに来たのだ。きっと明日以降の会合に備えて、今の内に顔を繋げておきたいと、あの王は考えたのだろう。
「……分かりました」
シュニーは少し考えてから頷いた。
彼にとっては、この夜会は公務の一環だ。さすがにこの申し出を断るわけには行かない。
一度セレナに向き直ったシュニーは、その水色の瞳に不安を滲ませながら、言い聞かせてきた。
「いいかい?絶対に他の男と踊ってはいけないよ」
「はい」
「それから、変な人には付いていかないように」
「……変な人?」
「さっきの茶髪のやつみたいな」
酷い言いようである。あの人は一応名乗ってはいたのだが。どういう基準なのか分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
隣でやりとりを見ていた王太子が、一瞬セレナを見たのがなぜか気になった。
「なるべく早く戻るから、ここにいて」
「はい」
彼はセレナの頭を撫でると、その前髪に口付けを落としてから名残惜しそうに離れた。
「それじゃあ、行ってくる」
シュニーは王太子の後に続いて、人だかりの中へ消えて行った。
一人残されたセレナは、何をするべきかと辺りを見回す。
そう言えば、気付いたら双子の異母姉はいなくなっていた。いつから居なかったのかは分からないが、気付いたらあの刺すような視線は感じなくなっていたのだ。元よりシュニーのおかげで、途中からはあまり気にしていなかったのだが。
そして、一番上の異母姉であるマリージュは、今日は一度も見かけていない。夜会に出席していないのだろうか。昨日会った時は、楽しみにしていると言っていた気がするのだが。
まぁ、居たら困るが居ない分には問題はないので、セレナは深く考えないことにした。
せっかくなので料理でもいただこうかと足を踏み出した時、女性の声に呼び止められた。
「あの、セレナ王女殿下でいらっしゃいますか?」
その人はセレナよりも少し年上の、育ちの良さそうな顔立ちをした少女だった。艶のある黒髪を後ろで結い、若草色のドレスを着ている。
「そうですが、何か御用でしょうか?」
「まあ!本物のセレナ殿下ですのね!噂通りの美しさだわ……!」
また噂。
一体セレナについて、どういった噂が流れているのか。一人で考えても理由は分からないので、目の前の令嬢に尋ねてみることにした。
「あの、その噂とはどういった内容のものでしょうか?」
すると彼女は、その内容を掻い摘んで教えてくれた。
「あら?ご存じないですか?セレナ様のあまりの美しさに、国王陛下はその身を案じ、王宮から出すことを許さなかった、という話が貴族の間では広まっておりましたの」
納得した。
セレナが産まれてから一度も城の外に出なかったことが、そのように美化されていたとは。もしかしたら、わざとそういう噂を流したのかもしれない。不審に思われないようにと。実際は、ほとんど軟禁状態で城の奥に閉じ込められていたと言うのに。
「あの深窓のセレナ王女殿下とこうやってお話ができただなんて、皆に自慢しなくっちゃ!」
そう言って嬉しそうに笑う彼女に申し訳なさを感じた。セレナはそんな大層な人間ではない。しかし、ここで否定するのは不自然なので、セレナは深窓の姫君を演じることにした。
「アレストリアのシュニー殿下とは、本当に仲がよろしいのですね」
「えっと……、はい」
どう答えたものか迷って、結局頷いた。
「わたし、さっきのダンス、すごくドキドキしちゃいました。見つめ合って、お互いを慕っている感じがすごく伝わってきて」
感心したように言う彼女は、片手を顔にあて、少し頬を染めながらうっとりとした表情を浮かべる。
そんな風に見られていたのかと急に恥ずかしくなり、つられてセレナも顔を赤くした。
「シュニー殿下は以前ハスールに来た時の夜会でセレナ様を見初められ、その美しさに強引に婚姻を申し込んだと聞いておりましたが、お二人を見ているととても幸せそうで安心しました」
それはだいたい合っている。たぶん。
セレナ自身もそう思ってきたのだから。
ただし『美しさ』の部分については否定したかった。
しかし改めて考えると、シュニーがなぜセレナを妻にと望んだのか、正しく答えを貰っていない。以前聞いた時ははぐらかされた。今聞いても、やっぱり教えてくれないだろうか。今度時間のある時にまた聞いてみようと、彼の顔を思い浮かべながら決意した。
そうしてしばらく他愛のない会話をしていると、一人の男性の使用人に声をかけられた。
「セレナ王女殿下でいらっしゃいますね?」
「はい?」
「シュニー王子殿下がお呼びで御座います。ご案内しますので、会場の外まで来ていただけますか?」
「シュニー殿下が、ですか?」
問い返すと使用人は頷き返した。
何かあったのだろうか。彼は会場内にいるのだと思っていたが、わざわざホールの外まで行っていたのか。
呼ばれた理由は分からなかったが、彼が呼んでいるのなら、とその使用人に案内をお願いする。
黒髪のご令嬢と別れの挨拶を交わし、セレナは会場を後にした。
✳︎
ホールの外は驚くほど静けさに満ちていた。
同じ城内だと言うのに、全く違う空間にいるようだ。
つい先ほどまでのことなのに、耳に残る喧騒が懐かしく感じる。頭の中でまだ音楽が流れているような、そんな錯覚を覚えた。
使用人はどんどん城内の奥へと進む。
歩き慣れない靴を履いていたので、転ばないように必死で後について行った。
こんなところで、シュニーは何を?
当然の疑問が浮かぶが、答えてくれる人はいない。
セレナが不安を抱き始めた頃、前を歩く使用人が足を止めた。
「こちらです」
そう言って、一枚の扉を示す。
ここは、客間だろうか?
セレナは城内の間取りを把握していなかったので、その扉の先にどういった部屋があるのかは分からなかった。
案内をしてくれた使用人に礼を述べて、その扉に手をかける。
ガチャリ、とノブを下げた瞬間、勢い良く扉を引かれた。ノブに手を掛けていたセレナは、腕ごと室内に引き込まれる。
「きゃあ!」
そのままの勢いで、倒れ込むようにして室内へと転がり込んだ。バランスを崩したついでに靴が脱げ、冷たい床に手を突く。
何が起きたのか頭が理解する前に、頭上から声が聞こえた。
「いらっしゃい、セレナ」
ぞくり、と背中が粟立つ。
恐る恐る顔を上げると、一番会いたくなかった人が満面の笑みを浮かべてそこに居た。
バタンッ、と扉を閉める大きな音が室内に響いた。
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