5章

21話 まばゆい時間


 気付くとそこは戦場だった。

 アリーが他のメイドに指示を出し、慌ただしく駆け回る。

 目まぐるしく身体を触られる中で、これはいつまで続くのか……と、セレナは人形のようにされるがまま座っていた。



 朝起きると、いつもの様に人の姿に戻ったシュニーが隣で眠っていた。

 朝、と言っても時刻は既に昼に近かったので、セレナは二度寝しないように潔く起き上がる。

 その気配にシュニーも目を覚ましたのだが、彼はもう少し眠ると言って、セレナを抱きしめた後にまたベッドに潜った。今夜は絶対に眠くなるわけには行かないので、しっかりと睡眠を取るのだろう。

 横になったシュニーの髪の毛を撫でてから、セレナは寝室を後にした。



 それからアリーを呼び、軽食をとってから今に至る。

 浴室で全身を磨かれ、髪と爪は奇麗に手入れされた。顔には軽く白粉をたたき、唇にうっすらと紅を乗せると、赤く色付いたそれが熟れた果実のように艶めかしく見える。頬はほんのりと桃色に染まり、見る者の心を掴んで離さない。

 セレナの魅力を十分に引き出すような化粧を施され、アリーとメイド達がうっとりとセレナを見ていた。


「私もセレナ様に恋をしてしまいそうです…」

「だめよ、アリー」


 正気に戻って!と懇願するが、アリーはしばらくセレナを見つめて固まっていたのだった。


 そうやって盛り上がっていると、楽しそうだね?と、苦笑しながらシュニーが起きてきた。

 彼も準備のため浴室を使うとのことで、セレナ達は寝室へと移動する。

 そこで見たものに思わず感嘆の声をあげた。セレナのために用意されたであろう、美しいドレスがそこにあったのだ。

 全体的に純白色のそのドレスは、Aラインのスカート部分にふんだんにオーガンジーを使用し、ボリュームを持たせている。スカートの裾に行くほどに青く染まり、白から青へのグラデーションが鮮やかだ。肩を出す仕様の胸元には、銀と水色の糸で緻密な刺繍が施されており、清廉さを際立たせている。

 そこにいた誰もが今まで見たことがないほどの、神秘的で美しいドレスだった。


「なんて素敵なドレスなの……」


 セレナがぽつりと呟くと、アリーが拳を握って言った。


「さあセレナ様!お着替えしましょう!!」


 なぜかメイドもそれに続き、皆で拳を握って着替えに取り掛かるのだった。



   ✳︎



 煌々と輝くシャンデリア。

 天井や壁には鮮やかな装飾。

 その華やかさに負けるとも劣らず、色とりどりのドレスを纏う人々。女性は優雅に、男性は紳士的に、そこかしこで社交辞令とも取れる会話が交わされている。

 傍らには料理人が腕を駆使した豪華な料理が並べられており、味に舌鼓を打つ者、会話を楽しむ者、それぞれがその空間では主役のように輝いていた。


 そうした喧騒の中で、ひときわ目立つ存在。

 人々が遠巻きに見つめるその一角に、彼らはいた。

 一人は裾にかけて青いグラデーションが掛かった純白のドレスを纏い、淡い色合いの長い金髪を後ろで緩くまとめている。その金糸のような繊細な髪の毛に銀色のリボンを編み込み、金と銀のコントラストが美しさを引き立てていた。

 胸元には大きなアクアマリンの宝石が輝いており、それは彼女の隣に立つ人物の瞳と同じ色をしていた。


 その宝石のような透明な瞳を覗き込んだ彼女が、ふわりと笑って頬を染める。ほんのりと紅く染まった艶のある唇が何かを紡ぎ、吐息がこぼれる度に、その愛らしい姿を見た人が息をのむのが分かった。


「これだから、君を夜会に出させたくなかったんだ……」


 愚痴のような呟きは、彼らを取り巻く人々までは届かない。それを唯一耳に入れた彼女が、その菫色の瞳を覆う睫毛を瞬かせながら言った。


「どういう意味です?」

「セレナが可愛すぎるって話」


 頬を朱に染めながらも、柳眉を寄せて不機嫌を露わにしたセレナは、隣に立つ人物に抗議した。


「それは、シュニー様のほうです」


 視線を向けた先には、上下とも同じ濃い青色の礼服を纏ったシュニーがいた。その青はセレナのドレスの裾の色と同じで、例えるなら――そう、夜明けの空の色だ。

 その襟には金と銀の糸で派手すぎない刺繍がされており、彼の白い髪に良く似合っている。中に着ている白いシャツの上には菫色のタイが巻かれ、セレナの瞳の色を彷彿とさせた。

 そして、髪は右側だけ軽く後ろに流し、普段は隠している額を露わにしている。

 その見慣れないシュニーの姿に、セレナはもうずっと心臓が早鐘を打ち続けていた。


 はっきり言って直視できない。

 その美しい顔をなんとかしてほしい。


 セレナは気が気じゃなかった。

 それと言うのも、先ほどから遠巻きにこちらを見ているご令嬢方の、熱っぽい視線が刺さるのだ。シュニーを見ては頬を染め、セレナを見ては諦めたような顔をする。中には悔しそうに、セレナを睨んでくる令嬢もいた。


 そして、その中に見慣れた人物を見つけてしまったのだ。

 それはセレナの二番目と三番目の異母姉だった。二人は双子で顔立ちがよく似ている。どちらかと言うと美人な方だが、幸の薄そうな所を本人たちは気にしているようだった。


 二人は遠巻きに見ている令嬢達に混じって、鋭い視線でセレナを睨み付けていたのだが、シュニーを見た途端、頬を染めてうっとりとした顔に変わったのだ。

 胸がざわつく。以前、彼のことをあれほど悪く言っていたと言うのに、その顔はなんだ。

 セレナは言い知れぬ不安に足元がぐらつくような感覚に襲われた。目の前が暗くなり視界が狭まって行く。俯いて唇を噛みしめそうになった時、大好きな優しい声で呼ばれた。


「セレナ」


 はっとして顔を上げると、シュニーの水色の瞳とかち合った。

 彼はセレナの頬に右手を添え、その親指の腹でそっと目元をなぞる。そして、ふわりと微笑んだ。


「僕だけを、見ていて」


 その言葉に世界が明るくなる。

 閉じかけていた視界が広がるのを感じたが、セレナの瞳にはシュニーしか映っていなかった。


 そうだ、不安になるなら見なければいいのだ。彼は絶対に他の女性の元へ行ったりはしない。まだ出会って一年も経っていないけれど、彼はずっとセレナだけを見てくれていた。だから、大丈夫。

 そう思ってからは、心がずっと楽になった。


 シュニーがセレナの手を取る。


「ほら、曲が始まるよ」


 彼の声が合図とばかりに、ゆるかやな音楽が流れ始める。

 繋いだセレナの手の甲に屈んで口付けを落とすと、シュニーは小さく首をかしげて言った。


「僕と踊ってくれますか?セレナ姫」


 微笑みを返しながら、セレナは頷いた。


「喜んで」


 そうしてホールの中央付近まで二人で歩いて行くと、ゆるやかなワルツに合わせて踊り始める。

 彼らの周囲には何組かのペアがいたが、セレナには目の前のシュニーしか見えていなかった。おかげで練習した通りに身体が動く。

 緊張はとっくにどこかへ消え、彼のリードに身を任せる。繋いだ手と、抱かれた腰から伝わる彼の体温に心地よさを感じながら、セレナはダンスを楽しんだ。


 それから続けて二曲踊った。

 始めの曲と合わせて、合計三曲踊ったことになる。

 さすがに疲れたので、二人は会場の端へと移動した。


「大丈夫?何か飲み物でも取ってこようか」


 そう言って、セレナを壁際まで連れて行くと、シュニーはドリンクが並んでいるテーブルへと歩いて行った。

 それを見送り、一息ついた所で声を掛けられる。


「失礼ですが、お名前を教えていただけますか?」


 それは良く通る男性の声だった。

 セレナが声のした方へ振り向くと、そこには胸の辺りまで伸びた茶色の髪を後ろでひとつに縛り、どこか食えない微笑を浮かべた一人の紳士がいた。


「名前、ですか?セレナと申します」

「セレナ……?もしかして、セレナ王女殿下でいらっしゃいますか?」

「はい」


 その人は驚いたような表情を浮かべてから、大仰に頷いてみせた。


「そうでございましたか。これはこれは、噂に違わぬお美しさでいらっしゃいますね」


 噂?セレナは頭の中で疑問を口にした。

 噂とは一体どう言うことだろう。セレナは今までほとんど人前に出たことがない。アレストリアならまだしも、ハスールでは尚更だ。セレナが生きてきた16年間、彼女は一度もこの城の敷地から出てはいないのだ。

 首をかしげるセレナだったが、男性はそれを気にも留めず、早口で名を名乗る。それから続けて言った。


「宜しければ、私と一曲踊ってはいただけませんか?」


 その申し出にセレナは戸惑った。シュニーからは他の人とは踊るなと言われている。どうやって断ったものかと悩んでいると、その男性は強引にセレナの手を取ろうとしてきた。


「――っ」


 思わず声を上げそうになった時、後ろから伸びてきた腕に腰を掴まれ引き寄せられる。そのままの勢いで後ろに倒れ込みそうになったセレナの身体を、青色の礼服を着た人物がその胸で受け止めた。

 周囲から悲鳴にも似た声が上がる。

 ふわりと香ったよく知るコロンの匂いに、自然と安堵の息がこぼれた。その腕の中で上を向くと、彼の白い髪が見えた。


「彼女は僕以外の男とは踊りませんので」


 諦めろ、とばかりにぞんざいな態度で男性を睨むシュニー。顔は笑っているのに、その眼差しは人を射殺しそうなほど冷たい。

 それを正面から受けてしまった茶髪の男性は、いそいそと二人のもとから離れて行った。


「触られた?」

「い、いえ……」

「そう、ならいいか」


 何がどういいのか、口に出して問い掛けそうになったが、にこにこと笑う彼の顔が怖すぎて口を噤んだ。聞いたら最後、とんでもないことをされる気がしたから。


 シュニーはセレナを抱いていた腕を離し、反対の手に持っていたグラスを渡してきた。それを両手で受け取る。


「君が好きそうなものを適当に選んできた。アルコールは入ってないものにしたから安心して」


 その言葉通り、一口飲むと程よい酸味が口の中に広がる。いくつかのベリー系の果物を合わせたフルーツジュースのようだった。くどすぎない甘さがとても美味しい。

 セレナはシュニーに礼を述べて、喉の渇きを癒した。


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