20話 噂の真相
湯浴みを済ませると、アリーはそのまま退室した。
一人になった居間で、セレナは今日の出来事でいまだひとつ気になっていたことを思い出す。忘れていた不安がじわじわと胸に湧き起こり、考えないようにしないと、とそれを振り払うように首を横に振った。
今日はもう寝ようと寝室に続く扉をノックする。
彼はもう猫の姿で寝ているだろうか。彼も疲れているだろうからそうかもしれない。
返事がないことにそう結論付けて、セレナはノブに手を掛けた。
彼を起こさないようにとゆっくり扉を押し、音を立てないように部屋の中に入った。静かに扉を閉めて、落ち着いた所で振り返る。
一瞬心臓が止まったかと思った。
てっきり寝ているとばかり思っていた人物が、ベッドの向こう側の窓辺に寄りかかり、その窓から外を眺めていたのだ。
暗い室内を照らすのは、月明かりのみ。
月光に浮かび上がる横顔が、恐ろしいほどに奇麗だった。物憂げなその表情に、セレナは息をするのも忘れるほど、ただ呆然と彼を見つめる。
夜着一枚しか纏っていない彼は、そのはだけた胸元が艶めかしいほどの色香を放っていて、思わず息をのんだ。
扉の前から動けないでいると、彼の視線がゆっくりと移動してセレナを捉える。
驚いたように目を見開いた彼に、セレナはやっとの思いで言葉を口にした。
「起きてらしたのですか……?」
「え?……あぁ、うん。いろいろと思い出していたら、眠れそうもなくて」
シュニーもセレナと同じで、今日のことを思い出していたのだろうか。それにしては、随分と切なげな表情をしていた気がするが。
彼の近くに行こうと窓辺に近づいた。
セレナが隣に来ると、彼は再び窓の外を見て言う。
「ここから、あの庭園が見えるんだね」
「庭園……、ですか?」
そう、と頷く彼の視線の先を追うようにして、窓の外を見た。
そこにはアレストリアの王城程ではないが、そこそこ奇麗に整備された庭園が広がっていた。この庭園の特徴は、背の高い木が多い所である。庭園というよりも、一見すると森の小道のように見える場所もある程だ。
セレナはその光景に懐かしさが込み上げた。
まだハスールにいた頃、異母姉たちから逃げるのによくこの庭園に隠れたものだ。背の高い木は隠れ家に最適で、お世話になったことを覚えている。
良い思い出はあまりないが、セレナはこの庭園が好きだった。
そう言えば昔ここで――と、忘れかけていた記憶が浮かび上がりそうになった時、視線を感じて隣を向くと、月明かりに光る水色の瞳と目が合った。
この月光に揺らめく透明な瞳を、自分は知っている気がする。
しかし、掘り起こそうとした記憶が表に出てくる前に、シュニーが口を開いた。
「それで、君は僕に何か聞きたいことがあるのかな?」
「えっ」
どうしてそう思ったのか尋ねると、彼は小さく笑って言った。
「さっき扉の前で物欲しそうな顔をしていたから」
「してません!!」
「……すまない、でも僕に聞きたいことがあるでしょう?」
「うっ……」
くつくつと笑いながら冗談まじりに言うシュニーに、セレナは観念するように頷いた。
「まずは座ろうか」
差し伸べられた彼の手を取って、ベッドの縁に二人並んで腰を下ろす。彼がサイドテーブルに備え付けられていたランプに明かりを灯した。
シュニーが視線で、それで?と問いかけてくるのを横目に、セレナは心のもやもやを解消するべく、意を決して口を開いた。
「単刀直入に申し上げます」
「どうぞ」
「……殿下は以前、本当にたくさんの女性と遊ばれていたのですか?」
やっぱりそのことか、と彼が呟いた。
昼間マリージュに言われたことがずっと引っかかっていたのだ。シュニーはこの噂について、わざと流したとは言ったが否定はしていなかった。それに気付いてしまい、セレナはずっともやもやした気持ちを胸に抱えていたのだ。
「嘘ではない……、かな」
それはつまり、肯定ということである。
彼の過去をどうこう言うつもりはないが、簡単に割り切れる物でもない。
セレナは絶望とも嫉妬ともとれぬ表情でシュニーを見上げた。その顔を見て、彼が慌てて言う。
「待って。ちゃんと話すから、聞いてくれる?」
その言葉に頷くと、シュニーは昔を思い出すように語り始めた。
アレストリアには15〜18歳までの四年間、王侯貴族が通う王立学院が存在する。
在籍は必須ではないが、現在の国王と王妃は推奨しており、その息子である王子たちは全員その学院を卒業していた。
シュニーは兄弟の中でもとりわけ頭が良かった。
学院に通う前から家庭教師が付いていたのだが、その時点で既に、学院で習うような内容は全て学び終えていたのだ。
それでも学院に入学した理由は、所謂人付き合いや人間関係の構築など、勉学だけでは学べないものを習得するためだった。それは、今後国政に携わるには必須なものだったからだ。
しかし、学習内容が全て頭に入っていたシュニーには、学院の授業がとてつもなく退屈で仕方が無かったのだ。退屈なだけならいい、適当に時間を潰せばいいのだから。
しかし問題は、襲い来る睡魔であった。
シュニーは眠気を感じると呪いが発動して、その姿を猫に変えてしまう。授業中に突然猫になるわけにも行かず、彼はどうしても耐えられそうもない時は、授業をさぼるようになった。
もちろん両親には伝えていたし、学院側にはもともと身体が弱く、早退したということにしておいた。
そんな学院生活を送る中で、シュニーはたまたま校舎の外にある校庭のベンチで眠ってしまった。気づいたら猫の姿になっており、その瞬間は誰にも見られていなかったようだが、少しして気づいた女子生徒が集まってきてしまったのだ。
あれよあれよという間に、女子生徒の間でもみくちゃにされる。彼の猫姿はそこいらの猫と比べても、かなりの愛らしさなのだ。
しばらくしてやっと解放されるも、また別の日にたまたま猫になってしまい、庭園を隠れるように移動していた所を目敏く女子生徒に見つけられる。
そして気付くと、もみくちゃにされるという日々が続いたのだ。
それはもう、シュニーにとっては地獄でしかなかった。彼は猫の時、触られることを非常に嫌う。引っ掻いて逃げ出すことも考えたが、相手に怪我をさせるのは躊躇われた。
数日ごとに女子生徒と戯れるシュニーを見て、同じく学院に在籍していた二つ年上である二番目の兄、ロイアルドが言った。
『おまえの噂は女遊びが派手、で決定だな』
誤解だと叫んだが、ある意味事実である。
あの状態は側から見たら、複数の女子生徒と戯れているようにしか見えない。
シュニーは結局、もうそれでいいです、と項垂れるしかなかった。
結局一年近くそれは続き、耐えられなくなったシュニーが両親に直訴した。その結果、保健医に事情を話して部屋のベッドを使わせてもらうこととなり、落ち着いたという。
セレナは一通り話し終わって、複雑な表情を浮かべる彼の顔をまじまじと見てしまった。
確かに、たくさんの女性と遊んでいた(猫の姿で)
確かに、たくさんの女性と戯れていた(猫の姿で)
確かに、たくさんの女性に可愛がられていた(猫の姿で)
セレナは、ふむ、と頷くと、シュニーに向き直って言った。
ならば、やるべき事はひとつである。
「事情は分かりました。ではシュニー様、今すぐ猫になってください」
「は?」
「さあ!」
「なんでそうなる?」
片手で頭を抱えたシュニーが、意味が分からないと言うように唸った。
理由は簡単だ、セレナも猫のシュニーをたくさん可愛がればおあいこである。どうせもう寝る所だし、ちょうどいいではないか。
「シュニー様?」
笑顔のセレナが一歩にじり寄ると、シュニーが一歩退く。それを何回か繰り返したところで、そう言えば、とセレナが疑問を口にした。
「シュニー様は猫のとき、私が触れても嫌がりませんね?」
「それは……」
彼が明らかに目を泳がせた。
視線を空中に彷徨わせてから、セレナの瞳を見つめる。そうして、しばらくしてから目を閉じた。
きらりと光の粒子のようなものが弾ける。一瞬目を閉じて、次に開いた時には目の前に白猫が座っていた。
「まぁ、眠くなっちゃいました?」
そう言ってシュニーを抱き上げ、いつものように優しく撫でた。掌を滑る白い毛がとても心地良い。
しばらく感触を楽しんでから、明かりを消しベッドに横になる。シュニーはセレナの腕に抱かれていた。
「先ほどの質問の答え、聞けなかったわ」
そうぽつりと呟くと、シュニーが『ニャー』と鳴いた。
『君と、約束したから』
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