18話 真実
角を曲がった廊下の先で、シュニーが盛大な溜息を吐いた。
「なかなか強烈だね。君のお姉さん」
呆れたように言う彼に、すみませんと謝るしか出来なかった。
「君が悪いわけじゃない。それよりこれからどう――」
しようか、とシュニーが言いかけたところで聞き覚えのある声に呼ばれた。
「セレナ様!!」
「マルク!?」
今度は何だ、と声のした方を見ると、騎士団の隊服を身に纏った、30代半ばくらいの男性がこちらに駆けてくるのが見えた。
彼は息を切らしながら二人の前までくると、呼吸を整えるのも忘れて嬉しそうに言った。
「会えて良かった!あなたが先ほど到着したと聞いて急いで来たんだ。元気そうで何よりです」
「私こそ会えて嬉しいわマルク。こちらはアレストリアのシュニー殿下よ」
隣に立つ婚約者を紹介すると、騎士服を着た人物は一礼してから名乗った。
「お初にお目に掛かります。王宮騎士団所属のマルク・サーヴィスと申します。以前セレナ様の護衛担当をしておりました」
護衛、と言うのは少しだけ語弊がある。と言うのも護衛と言うのは名ばかりで、本当の任務はセレナの監視だ。セレナが逃げないように、また余計なことをしないようにと、見張り役として置かれていたのがマルクである。
しかし彼はそんな役目は忘れた、と言わんばかりにセレナに良くしてくれたのだ。監視しているように見せ、裏では必要な日用品やちょっとした嗜好品などを分けてくれた。
王女でありながら最低限の物しか与えられず、その与えられた物すら異母姉たちに奪われる日々を送っていたセレナにとっては、彼の助けは本当に有難かったのである。
「マルク、ちょうど良かったわ!あなたに聞きたいことがあったの!」
実はセレナが乳母であるケーラの居場所を知っているかもしれない、と頭に浮かべた人物がマルクなのだ。
ケーラとマルクは親子ほど歳が離れているが、とても親しく見えた。彼らは二人で協力して、セレナの味方になってくれていたのだ。表立って行動する事は出来なかったようだが、それでも二人の優しさに助けられたのは一度や二度ではない。
事情を話すと、彼は快く頷いて教えてくれた。
ケーラは今も同じ家に住んでいるそうだが、体力の限界もあったため王宮での勤めを退職し、今は細々と内職をして食いつないでいるらしい。マルクは心配でたまに様子を見に行くそうだ。健康面では特に問題はないようだが、セレナが居なくなってから精神的に弱っているらしく、案内するから顔を見せてやってくれと頼まれた。
元よりそのつもりだったので、シュニーを見ると、もちろんだよと快諾してくれた。
そう言うわけで二人は今、ハスール市街にある洋服店にいた。
市井に出るには二人の服装は目立ちすぎるため、取りあえず王宮近くの洋服店まで馬車で行き、そこで着替えることにした。
もともと観光のために庶民に紛れるような服は持ってきていたのだが、まだ時間もあるしせっかくだから買いに行こうとシュニーが言い出したのだ。街の様子を見たいから、と彼が言うのでセレナは付き合うことにした。
「かわいい」
着替えを終え、試着室から出たセレナに掛けられた第一声がそれだった。
浅黄色の膝丈のワンピースに茶色い革製のブーツを合わせ、上から真っ白なコートを羽織っている。上流階級の貴族の娘風である。今の季節は冬で、ここの大陸は真冬でもそこまで冷え込まないのだが、さすがに外を出歩くには寒いのでコートを着ることにした。
「かわいい、セレナ」
先に着替えを済ませ待っていたシュニーが、もう一度同じことを言いながら抱き着こうとしたが、それに待ったをかける。
「殿下、人前です」
「スミマセン」
素直に謝った彼に拍子抜けしつつも、肩を落としている姿が可愛くてつい笑ってしまった。
そして改めてシュニーを見る。
彼は鉄紺色の上下に、グレーのシャツと黒いブーツを合わせていた。いつもよりラフなその服装に自然と胸が高鳴る。最後に彼は黒い厚手のマントを羽織り、それに備えついているフードを被った。
彼の髪色は少々目立つのだ。
ハスールでは金髪の人口は多いのだが、白髪はほぼ居ない。アレストリアでも彼のような真っ白な髪は珍しく、見かけることはあまりないと言う。
彼の髪色は母親譲りであるが、そのフェルーシアは少し離れた北方の国の出身で、そちらでは白髪は珍しくないらしい。
『おじいさんになっても、しらがが目立たなくていいよね』
なんて冗談を言っていたのを覚えている。
「では、行きましょうか」
仲睦まじいやり取りを見ていたマルクが、苦笑しながら出発を促した。
彼は今日は本当は非番だったらしく、セレナの到着を聞いて急いで寮から駆けつけて来たのだと言う。せっかくの休日を無駄にしてしまい申し訳ないが、頼れるのは彼しかいなかったので丁寧に礼を述べた。
店を出ると冬の冷気を含んだ風が頬を撫でる。凍えるほどの寒さではないが、冷えたその空気に小さく身震いした。
念のため、護衛は少し離れた場所で待機してもらっている。この護衛はアレストリアから同行している騎士たちだ。マルクも現役の騎士であるし、いざとなったら俺が盾になりますと張り切っていた。
人通りのある市街地を進み、少し歩くと住宅街に出た。さらにそこから10分ほど歩き、小さな路地に入った所でマルクが足を止める。
「ここです」
そこにあったのは簡素な集合住宅だ。いかにも独り身の者が住うような作りのその建物は、一階と二階に分かれており、マルクは一階の奥の部屋へと進んで行った。見た目は質素だが造りはしっかりしているようで、セレナは少しだけ安心した。
一番奥の突き当たりの部屋の前で止まると、マルクは扉をノックする。少しして中から返事があった。
「ケーラさん、マルクです。入りますよ」
言うなりマルクは勝手に扉を開けた。
ケーラはわざわざ出迎えはしないらしく、いつもこうらしい。二人はセレナが思っていたよりも、よほど親しいようだ。
中に入ると懐かしい匂いがした。ケーラがよく使っていた香の香りだ。セレナにも分けてくれたので、こっそり使ったのを覚えている。結局異母姉たちに見つかって取り上げられてしまったが。
狭い室内を進むと、椅子に座る一人の中年の女性がいた。歳は50代後半くらいで、しらがの混じった金髪を後ろで一つに纏めている。優しそうな目元が印象に残る顔立ちをしていた。
その女性はセレナたちを目に留めると、少しくすんだ緑色の瞳を大きく見開いて、勢いよく立ち上がる。
ガタンッと、彼女が座っていた椅子が倒れる音が響いた。
「セレナ様!?」
名前を呼ばれたときにはもう、セレナは動き出していた。
「ケーラ!!」
お互いに駆け寄り、触れた場所で抱き合う。
久しぶりの再会に、セレナは込み上げてくる涙を止めることが出来なかった。二人の間に伝う雫が、その衣服を濡らしていく。ケーラは何も言わず、ただ震える背を優しく撫でてくれていた。
しばらくしてセレナが落ち着いた頃、遠目から様子を窺っていたマルクが静かに口を開いた。
「ケーラさん、セレナ様は今一時的に帰国されていて、あなたに会いたいと言うことで此処まで連れて来ました」
「そうだったの。ありがとうマルク。セレナ様もお元気そうで何よりです」
頭を撫でられ、また涙が込み上げて来そうになったが、ぐっと堪えて笑顔で言った。
「ケーラも元気そうで良かったわ。本当に会えて嬉しい……えっと、ケーラに紹介したい人がいるの」
セレナが言うと、離れたところで見守っていたシュニーが、フードを外しながら二人の前まで歩いて来る。ケーラはその人を見上げ、驚いた顔をして言った。
「こっ、これは第三王子殿下、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
ケーラはシュニーを知っていたようで、慌てたように挨拶をした。それを見たシュニーは口元を綻ばせて言う。
「気にしないで下さい。初めまして、ケーラさん。あなたにお会いできて、とても光栄です」
シュニーにはケーラのことは一通り話をしてある。彼もセレナを大切にしてくれた人に早く会いたいと言ってくれていた。それがとても嬉しかったのを思い出す。
セレナはシュニーを見上げ、泣き腫らした目でふにゃりと微笑んだ。彼はそんなセレナの涙を指で掬いながら、それは反則、と小さな声をもらした。
「さて、積もる話もあるでしょうから、まずは座りませんか?」
しんみりとした空気を割ったのはマルクの声だ。
それに応えるようにケーラが椅子を用意してくれた。一人住まいのこの家では四人分の椅子はなく、セレナとケーラが二人並んで小さめのソファーに座り、その近くに一人用の椅子を二つ並べて、そこにシュニーとマルクが腰を下ろした。
目の前の小さなテーブルにはお茶が用意されている。これもカップが足りなかったのだが、マルクが遠慮してくれたので、用意された三つのカップが並んでいた。
「ごめんなさい、ケーラ。急に押しかけてしまったから……」
申し訳なさから謝ると、彼女は気にしないでと笑ってくれた。
それから二人は時間を忘れ、たくさん話をした。
内容はアレストリアでの生活についてがほとんどで、ケーラはセレナの話のひとつひとつに驚きの声を上げていた。セレナがアレストリアでハスールとは比べられないほど幸せな生活を送っていると分かり、彼女は我がことのように喜んでくれた。
また、セレナの口振りからシュニーを大好きなことが伝わってしまったらしく、あらあら、と笑われてしまったのも一回や二回ではない。もちろんシュニーの呪いについては話していないが。
そうして一時間半ほどが経っていた。
そろそろ王城に戻るかと言う時に、途中から真顔でケーラのことを見つめていたシュニーが、徐に口を開いた。
「失礼ですが……ケーラさん。あなたは、セレナと血の繋がりがあるのでは?」
唐突に言われた余りにも信じられないその内容に、その場の時間が止まった。
空気さえも流動をやめてしまったのではないかと思われるくらいの静寂の中で、喉から絞り出すような声がその場に響いた。
「どうして……、そう思われるのです?」
辛うじて聞き取れた、ケーラのその声は震えていた。
「あなた達は並ぶと雰囲気が似ている。特に目元がそっくりだ。それだけじゃない、声も似ている」
セレナはケーラを見る。
確かに二人の髪色はよく似ていた。二人とも光を透かしたような、淡い金髪なのだ。それに対して目の色は違う。セレナが菫色なのに対し、ケーラは燻んだ緑色をしている。
だが、気にするのはそこではない。
セレナは気付いてしまった。昔、ケーラから貰った、実母を写したという姿絵。それに描かれていた母の姿とケーラが重なるのだ。
あの絵はセレナが産まれてから母の体調が良くなく、医者から長くは保たないかもしれないと言われ、急いで病床の母を描かせたものらしい。セレナを抱く慈愛に満ちた母のその顔は、ケーラがセレナに向ける顔とそっくりであった。
母がセレナを産んだのは17歳の時で、今のケーラとは年齢はだいぶ離れているが、その纏う雰囲気がそっくりなのだ。
「ケーラ……?」
だんだんと青褪めていくケーラの代わりに口を開いたのはマルクだった。
「――ケーラさん。もう隠す必要もないでしょう。本当のことを話してあげたらどうです?」
「マルクは……、それでいいのかい?」
「構いません」
マルクがその言葉に頷くと、覚悟を決めたのか、ケーラはゆっくりと話しはじめた。
セレナの実の母は、エルナという名前の王宮で働くメイドの一人だった。
16歳の頃より働きはじめたエルナは、その見目の可愛さからすぐに、セレナの実父であるメルセド王に目をつけられる。
そうして本人の意思とは関係なく王に手籠めにされ、すぐにセレナを身籠るのだ。
そして、そのエルナの母が、王宮で乳母として働いていたケーラである。ケーラは娘を王宮に入れたことをとても後悔していた。こんなことになるとは露ほども思っていなかったのだ。
そしてこの時、エルナには婚約者がいた。
幼馴染みであるその人は騎士団に入り、王に忠誠を誓い日々その腕を磨いていた。エルナが18歳になったら結婚しよう、そう話していた夢は叶うことはなかった。そのエルナの婚約者だった人がマルクである。
彼は王の仕打ちに騎士団を去ることも考えた。
しかし、できなかったのだ。
王はエルナの忘れ形見であるセレナを蔑ろにし、上の姉たちは幼い頃からセレナをおもちゃのように扱った。血は繋がっていなくとも、愛した人の子がそんな扱いをされるのを見ていられなかったマルクは、義母となるはずだったケーラと協力して、セレナを守ることに決めたのだ。
これが、セレナの出自に関する真実である。
全てを聞き終えたセレナは、ただただ静かに涙を流していた。その震える細い肩を、ケーラがそっと抱きしめる。
「お祖母様…」
ケーラは血の繋がったセレナの実の祖母であり、マルクは血の繋がりはないが、父と言ってもいい存在だったのだ。
あの腐った王宮の中で唯一味方をしてくれた二人は、セレナの祖母と父だったのだ。
どうにも表しようのない感情が胸を占め、三人はしばらく肩を寄せ合って泣いていた。
シュニーはそれを難しい顔をして、ただ黙って見ていた。
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