17話 望まぬ再会


「ふぅ…」


 小さく息を吐く。

 緊張から解放され、強張っていた身体が緩むのを感じた。


 ここはアレストリアの東側に位置する国、ハスール。

 三日ほど前に国境を超え、本日王城に到着した。

 着いて早々、国王である父親との面会を済ませ、今やっと一息ついたところである。

 この国は何一つ変わっていなかった。

 殺風景な街並みに、毎日生きることに必死な人々。城の中の空気もどこか淀んでいる。

 その中で国王だけは煌びやかな衣装を纏い、髪はたっぷりと油で撫でつけ、作った笑みを浮かべていた。


 アレストリアに輿入れしてから、もうすぐ八カ月が経つ。

 長いようで短いその月日で変わったのは、セレナを取り巻く環境だけだった。

 国王はセレナに労いの言葉を掛けて来たが、どうにもお誂え向きなその態度に笑ってしまいそうになった。あの人は相変わらず、外面だけは良いのだ。セレナの隣にはシュニーがいたため、その手前よそ行きな顔を貼り付けていたのだろう。

 今回ハスールにはアレストリアと同盟関係を構築するという目的がある。そのため、ハスール側は大きな態度では接してこないだろうと予想しているが、何があるかは分からない。

 セレナは極力自然に、そして短い挨拶を済ませて謁見の間を後にした。


「おつかれさま」


 セレナの頭をぽんぽんと撫でながら声を掛けてきたのは、他でもないシュニーだ。

 先ほどの謁見の間での挨拶は、セレナを庇うように彼がそのほとんどを仕切ってくれた。セレナは思い出したように相槌をうつ程度の会話しかしておらず、シュニーの気遣いに感謝を述べる。


「ありがとうございます、助かりました」

「気にしないで。辛くなったら僕に任せて?」


 心強い彼の言葉に、胸の中が安心感で満たされる。シュニーが傍に居てくれるだけで、セレナは強くなれた気がした。



「さて、挨拶も済んだし早速だけど――」


 これからの予定を確認する。

 今日はこの後セレナの育ての親である、乳母のケーラに会いにいく予定だ。夜会は明日の夜で、それ以降はハスール側とシュニーの会談が予定されている。ハスールに滞在するのは五日間で、余裕があれば王都観光を楽しもうとシュニーと話をしていた。


 まずはケーラについて。

 先ほどの挨拶の際に居場所を尋ねてみたのだが、セレナがハスールを発ってから王宮での勤めを退職したらしく、今はどこにいるか分からないとのことだった。もともと通いの使用人であったため、自宅を訪ねれば会える可能性はあるのだが、セレナは彼女の住所を知らない。


「自宅の場所が分からないとなると手詰まりだな……」


 腕を組んで考え込むシュニーだが、セレナにはひとつ心当たりがあった。頭に一人の人物が浮かぶ。

 彼なら知っているかも――と、顔を思い浮かべたところで名前を呼ばれた。できれば聞きたくなかったその声に、全身から血の気が引くのを感じた。


「久しぶりね、セレナ」

「マリージュお姉さま……」


 恐る恐る視線をやった廊下の先に、鮮やかなピンク色のドレスを纏った女性がいた。派手なドレスとは対照的に、どこかぱっとしない顔立ちをしている。地味な顔を補うためなのか、赤みの強い金髪をこれでもかときつく巻き上げていた。

 彼女は一番上の異母姉である、マリージュだ。

 セレナは異母姉たちの中でも、特に陰湿な行為をしてくる彼女が苦手だった。


「シュニー王子も、ごきげんよう」

「お久しぶりです、マリージュ王女」


 シュニーは以前ハスールに訪れた際にマリージュと対面していたようだ。

 挨拶を交わすと、マリージュはセレナを見て言う。


「私、あなたのことを心配していたのよ?」

「……心配?」

「えぇ。王子殿下は、いろいろと聞くから」


 マリージュは心配そうな目つきとは対照的に、口の端をつり上げて笑って言った。

 当人の前でそれを言うとは無礼にも程がある。セレナ自身のことなら何を言われても耐えられるが、彼を悪く言うのは許せなかった。


 恐れから震え出しそうな身体を叱咤し、言い返そうと口を開き掛けたところでセレナは動きを止めた。

 シュニーがセレナの手を握ったのだ。思わず彼を見上げると、小さく首を横に振るしぐさをした。そしてその端正な顔に、誰をも魅了しそうな美しい笑顔を浮かべてマリージュを見る。


「それは僕が複数の女性と遊んでいる、というやつかな?」


 アレストリアの王子の悪い噂として流れている内のひとつがそれだ。特に第三王子は女遊びが派手と言う内容をよく聞くのだ。


「失礼ですが、その通りですわ殿下。私、姉として心配で……」

 

 心にもないことを言う。あれほど人を罵り蔑み、陰湿な行為を繰り返してきたと言うのに。彼のことだって何も知らないくせに。

 忘れかけていた暗い感情が湧き上がってくるの感じ、無意識に繋いだ手を握りしめた。

 するとその手を口元に引き寄せ、シュニーが真っすぐセレナを見つめる。


「ご安心を。今は彼女一筋ですので」


 ちゅっ、と音を立てて手の甲にキスをされた。

 一瞬思考が止まりかけるが、ね?と首をかしげて微笑まれ、我に返る。


「――で、殿下!」

「なんだい?」

「人前です!」

「気にするのはそこなんだ?」


 なんとなく驚いたような表情をしてから、シュニーは眉尻を下げて微笑を浮かべた。


「人前ではやめてくださいとあれほど……!」


 隣に異母姉がいることも忘れ、セレナは恥ずかしさを誤魔化すようにシュニーに詰め寄る。彼はおどけたように肩を竦めてみせたが、その間も繋いだ手が解かれることはなかった。


 痴話喧嘩を始めた二人の間に、おほんっ、という咳払いの音が割って入る。


「仲がよろしくて結構」


 その声にセレナは、はっとして異母姉を見る。

 マリージュが引き攣った笑みで二人を見ていた。


「お、お姉さま……」

「良かったじゃない、セレナ。殿下は今までお付き合いされた数ある女性の中でも、あなたをお気に召されたようね」


 どこか棘のある言い方にセレナが柳眉を寄せると、マリージュは扇を口元にあて、それから小さく笑うような吐息を零した。

 噂はわざと流しているとシュニーは言っていた。それは本当だと思う。でも否定もしていなかったのだ。

 胸の奥に引っ掛かりを感じたセレナだったが、繋いだ手を急に引かれ腰に腕を回されたため、思考は中断された。


「彼女はとても魅力的なので」


 言った本人がさらに魅力的な微笑みをマリージュに向ける。それを真正面から受け止めてしまったマリージュが息を飲む音がした。だが、シュニーとの距離が近すぎてそれどころではなかったため、セレナがそれを知ることはなかった。

 そんなセレナの慌てようを横目にシュニーは続ける。


「それでは、僕たちは予定があるのでこの辺りで失礼します」


 言うが早いか、シュニーがセレナの腰を引いて歩き出す。マリージュの隣を通り過ぎようとした時、低い声音が響いた。


「セレナ。明日の夜会、楽しみにしているわ」


 冷たいその声に、得体の知れない不安が胸の中を覆って行った。


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