12話 招かれざる客
「ん〜〜っ」
大きく伸びをし、凝り固まっていた筋肉を解すように肩を揉み込む。滞っていた血流が動き出すのを感じ、セレナは気持ち良さそうに目を細めた。
だいぶ前から進めているハンカチへの刺繍は大詰めを迎えていた。あとは彼のイニシャルを入れるだけなのだが、それだけでは味気なくなりそうなので何か良い案がないかと模索しているところだ。
時計を見上げると、まもなく午後三時を迎えようとしていた。
お楽しみのティータイムの時間だが、今日はアリーがセレナの外出着の打ち合わせに参加するらしく、先ほどから席を外している。
代わりのメイドがティーセットを運んできてくれる手筈になっているので、セレナは事前に用意してあった茶菓子をテーブルに広げようと立ち上がった。
その瞬間、扉をノックする音が部屋に響く。
もうきたのかしら?と小さく首をかしげた。
三時にはまだ早いが、タイミングとしては完璧である。
「どうぞ」
入室を促すと、一人のメイドが顔を覗かせた。
彼女は部屋に入るなり、一礼してから言う。
「失礼致します。セレナ様に面会を希望されている方がいらっしゃっております」
「私に面会ですか?」
全くの心当たりのなさにセレナが問うと、メイドが頷いて続けた。
「レインテッド公爵令嬢、ロマリア様がお見えです」
その名前には聞き覚えがあった。
先日庭園でばったり会った、フェルーシアの口から発せられた名前だ。
あの時の会話を思い出す。直接確認したわけではないが、会話の流れから以前シュニーと婚約していたという女性だろうか。
――そんな人がなぜ私に面会を?
もちろん直接面識はない。
それどころか名前を聞いたことがある程度の関係だ。
「いかがされますか?」
セレナは迷った挙げ句、王城まで足を運んでくれた女性を無下にすることもできないと思い、面会を了承した。
そのままの足で応接室へと向かう。
途中ティーセットを運んできてくれたメイドに会い、謝罪をして帰ってもらった。
セレナは廊下を進みながらも迷っていた。
一人で会っても大丈夫だろうか。
本日シュニーは午後から会議で、それが終われば自室に戻ると言っていた。彼が戻るのを待つべきか。
しかし、いつ会議が終わるのか分からないため、待っていたら最悪1〜2時間も待たせることになってしまう。待たせるくらいなら一度出直してもらった方が良いだろうが、此処まできてしまった以上、覚悟を決めるしかなさそうだ。
応接室の扉の前で、セレナは大きく深呼吸を繰り返した。一回、二回と肺に空気を送り込んで、心臓を落ち着ける。
そうして、ノックをしてからゆっくりと扉を開いた。
扉の先では一人の令嬢がソファーに腰掛けていた。
きつく巻かれた栗色の髪に、ヘーゼル色の瞳。真っ赤なドレスは凛とした雰囲気の彼女にとても似合っている。紅を塗った唇は赤く色づき、その少し幼さの残る顔つきとの対比が、絶妙な色香を放っていた。
間違いなく美人ではあるのだが、きつめの印象が好みを左右する顔立ちであった。
彼女がロマリア・レインテッド公爵令嬢。
セレナよりも二つ年上である。
「初めまして、セレナ王女殿下。わたくしはロマリア。レインテッド公爵家の娘でございます」
奇麗すぎる微笑みを浮かべて挨拶をした後、彼女は自己紹介をしてきた。それに続き、セレナも名乗る。
「初めまして、ロマリア様。セレナ・ハスールと申します。どうぞ、セレナとお呼びください」
「お気遣いありがとうございます。では、セレナ様とお呼びさせていただきますね」
挨拶が済んだところで、セレナはロマリアの向かいに腰を下ろした。
「今日はどういったご用件でしょうか?」
元より相手の意図が掴めていなかったセレナは問いかけた。
ロマリアは一体どんな目的でここに居るのだろうか。そして、なぜセレナを呼び出したのだろうか。
彼女がシュニーの以前の婚約者だとしたら、婚約についてのことだろうか? しかし、それはセレナがシュニーと出会う前の話であって、セレナには一切関係のないことのはずだ。
何を言われるか想像もつかない。
急に不安が押し寄せてきて、小さく震える手をぎゅっと握りしめた。
「セレナ様に、お聞きしたいことがございまして」
「聞きたいこと、ですか?」
「はい」
そう言って俯くロマリア。
短い沈黙のあとにゆっくりと顔を上げた彼女は、その美しい顔に冷ややかな笑みを浮かべて言った。
「どうやって殿下を誑かしたのです?」
「……え?」
言われた意味が理解できなかった。
――殿下を誑かす?私が?
婚約を申し込んできたのは彼の方だ。
誑かしたとしたら、それはどちらかというと彼の方ではないのか。
セレナは求婚された時点では、シュニーと面識すらなかったのだから。
返答に迷っていると、ロマリアは先ほどまでの清廉な雰囲気を一変させて煽るように言い放った。
「どんな卑怯な手を使って、あの方を手に入れたのかって聞いているのよ」
セレナは困惑した。ロマリアは一体何を言っているのだろうか。
卑怯?手に入れた?意味が分からない。
セレナが何かしらの方法を行使して、シュニーを懐柔したとでも言うのだろうか。
言葉を発せないでいると、ロマリアは次々と言い募る。
「身体を使って抱き込んだのかしら?殿下はそれに釣られるような方には思えないけれど、あなた、顔はいいものね」
顔は、の部分を強調された。
確かにセレナは美人ではあるが、その身体つきは平均よりだいぶ痩せている。胸はまだ発育途中だし、ハスールでは最低限の食事しか与えられていなかったため、女性的な丸みを帯びた身体つきとは程遠かった。これでもアレストリアにきて、少しはましになったのだが。
その点、目の前のロマリアはと言うと、女性的な柔らかな身体つきに、ドレスの上からでも分かる豊満な胸の膨らみが見てとれる。
明らかな体型の差に、セレナ自身もそこは納得しかけた。
「でも、顔はいいけど、それだけじゃない」
口の端を吊り上げて、上から下へとセレナの全身を見定めるように視線を動かすロマリア。同じ女性と言えども、これはさすがに気分が悪い。
遠慮のない彼女の態度に、セレナは腹の底で仄かな怒りが芽生えるのを感じた。そのおかげか不安から来た震えは止まったのだが。
「ロマリア様は、私が色仕掛けで殿下を手なずけたと仰りたいのですか?」
「はっ」
バサリ、と扇を広げる音が室内に木霊した。
扇を口元にあてたロマリアは、その下卑た笑みを隠して言う。
「それしか考えられませんもの」
広げた扇の下で、くすりと笑う息遣いが聞こえた。
セレナは失礼なその振る舞いに憤りを感じたが、思考はより冷静さを増していた。
言い返したところで、ロマリアを喜ばせるだけかもしれない。そう考えたセレナは、先ほどから感じていた疑問を口にする。
「失礼ですが、ロマリア様は殿下のことがお好きなのですか?」
「好きに決まっているじゃない!!」
その瞬間、バチンッ!と言うけたたましい音が鳴り響いた。
ロマリアが、持っていた扇を目の前のローテーブルに叩きつけたのだ。
「わたくしがどれほどあの方をお慕いしていたか!あらゆる手を尽くして、やっとお傍にいる事を許してくださったと思ったのに!」
乱暴なロマリアの様子に動けずにいると、彼女は堰を切ったように叫び続けた。セレナはただ呆然とそれを聞いていた。
「なぜわたくしが婚約を破棄されなければならなかったの!?殿下はわたくしの何が気に入らなかったというの!?」
やり方は強引だったのかも知れないが、ロマリアの声音からは、本当にシュニーの事を慕っている気持ちが伝わってくる。
もし地位や利益のためだけにシュニーとの婚約を望んだのであれば、セレナは彼女を軽蔑するしかなかったのだが、どうやら違うらしい。
――では、二人の間に一体何があったというのか。
一週間で婚約を破棄するなど普通は考えられない。シュニーが理由もなくそんな横暴なことをするとは思えないので、呪いのことで何かあったのだろうか。
「ロマリア様は、殿下が婚約を破棄された理由を知りたくて、ここまでいらしたのですか?」
「えぇ、そうよ。あなたなら何か知っているかと思ったの」
残念ながらセレナはその理由を知らない。
「殿下は、理由をお話しにならなかったのですか?」
「契約不履行による婚約破棄と言われたわ。……でもその原因を教えてはくださらなかった!父も殿下に詰め寄ったそうだけど、結局分からずじまいよ」
少し冷静さを取り戻したのか、ロマリアは居住まいを正すと小さく溜息をつく。
そして、憎しみに満ちたような目つきでセレナを睨みつけた。
「あなたもわたくしと同じように、すぐに見捨てられるかと思っていたのに……なぜ、まだ殿下の隣に居られるの?」
「それは……」
分からない。けれど、心当たりはあった。
シュニーは以前、将来自分の夫となる者が猫の姿に変わるなんて嫌じゃないか、と聞いてきたことがあったのだ。あの時セレナは深く考えずに、思ったことをありのままに答えた。
『嫌だなんて……むしろお得じゃないですか?だって殿下と一緒にいれば、猫のかわいさも堪能できるんですよ?一人で二倍のおいしさです!』
その後、吹き出したシュニーがしばらく笑っていたのを覚えている。全く君は……と、目尻に涙を溜めながら嬉しそうに笑っていたのだ。
あの時を思い出すと、シュニーが婚約者に求めるものが見えてくる。
セレナは答え合わせをするように、目の前のロマリアへと質問を投げかけた。
「ロマリア様は、猫はお好きですか?」
「……猫?猫に限らず、動物は嫌いよ。ドレスに毛は付くし、汚いし、臭いし」
近寄りたくもない、と吐き捨てるように言い放つ。
人間誰でも好き嫌いはあるが、ロマリアの場合は動物に対して極端な嫌悪感を抱いているようだ。
「――では、この王城で猫を見たことはございますか?」
「そういえば……、婚約を破棄される前日に、庭園で白猫をみたわ」
当時を思い出すようにロマリアは語り出した。
シュニーの婚約者として王妃主催のお茶会に参加したロマリアは、帰り際に庭園の片隅で白猫を見たのだという。
「足元に擦り寄ってこようとしたから、思わず蹴り飛ばしてしまったの。だってこの城で猫を飼っているなんて聞いたことがないし、野良猫だと思ったら汚らしくて!もう、ドレスの裾に毛が付くし最悪だったわ」
身体が、スーッと冷えていくのを感じた。指の先が冷たくなって行く。心臓を抉られたかのような痛みが胸を襲った。
向かいに座る人物の雰囲気の変化に気づくことなく、ロマリアは続ける。
「あの猫、わたくしを睨みつけてきて本当に気に食わなかったわ。扇で追い払ってやったら、角が当たったのか頭から血を流していたわね」
「血を……?」
「えぇ、いい気味よ。すぐに逃げていったけど」
なんということを。
その猫の正体は、間違いなく――
想像するだけで痛々しいその状況に、セレナは怒りから全身が震え出しそうな感覚に陥る。今にも叫び出しそうなほどの激情が心の内から湧き出てくるのを感じ、必死でそれを止めようと、爪が食い込むほど両手を強く握りしめた。
震える唇から紡ぎ出されたセレナの声は、驚くほど低く掠れたものだった。
「……ロマリア様が傷つけられたその猫は、殿下の愛猫です」
「え?嘘よ!シュニー殿下が猫を飼っているなんて、聞いたことがないわ!」
そんな筈はないと勢いよく立ち上がり、セレナの言葉を否定するロマリア。
動揺する彼女を見上げて、セレナは話を続けた。
「とても大切にされている猫なので、外に出すことは滅多にないのです。ですので、殿下が猫を飼われていることはごく一部の者しか知りません」
ロマリアに本当のことを言うわけにはいかないため、それらしい嘘を並べた。嘘ではあるが、彼女に伝われば問題はない。
重要なのは『シュニーの愛猫を傷つけた』という事実だ。
先ほどまで苛立ちによって赤みが増していたロマリアの顔が、徐々に白く変わって行く。
それを一瞥し、セレナは追い討ちをかけるように問いかけた。
「ところで、執務棟の窓からあの庭園が見えるのはご存じですか?」
「執務棟から……?」
その言葉で全てを察したのか、ロマリアの顔が白を通り越して青く染まった。
――もし、殿下が一部始終をたまたま目撃していたとしたら?
それは、皆まで言わなくとも分かるだろう。
殿下が飼われている大切な猫を、ロマリアは傷つけた。それを殿下が目撃していたとなれば、婚約破棄は必然だ。
セレナは咄嗟にそういう筋書きを立てた。
嘘ではあるが、嘘ではない。実際にシュニーは当事者として、その場にいた筈なのだから。
一国の王子を傷つけて婚約破棄で済んだのなら、むしろ処罰としては軽い方だろう。シュニーの温情に感謝するべきだ。
実際は猫を害したという事実しかないので、事を荒立てず婚約破棄で済ませたのだろうが。
ロマリアの話を聞いて、セレナ自身も納得した。
シュニーが話したがらない訳だ。酷すぎる。
ガクガクと震え出したロマリアの手から扇がこぼれ落ちる。立っているのもやっとと言う様子で、恐る恐る尋ねてきた。
「そ、その猫は、今は……どうして……」
冷え切った笑みを顔に貼り付けて、セレナは答える。
「少し甘えん坊がすぎますが、今も元気にしていますよ」
その言葉に、あからさまにほっとした様子で息を吐くロマリア。
額から伝う汗をハンカチで拭おうとするが、震えるその手は酷く拙い。その姿は、セレナがこの部屋に訪れたばかりの頃の彼女からは想像もできないほど、憔悴しているように見える。
「あなたは……あの猫を、大切にされているのね」
俯き独り言のように呟いたロマリアの言葉に、セレナは頷く。
「えぇ、そうですね。今は私が、あの子の飼い主なので」
セレナはいまだ心に燻る怒りに蓋をして、今度は愛しい人に向ける柔らかな微笑みを浮かべた。
それを見たロマリアは何かを悟ったように目を閉じる。それから深々とお辞儀をして、真っすぐにセレナを見つめた。その表情には後悔の念が宿っているように見えた。
「事情は分かりました。わたくしはとんでもない事をしでかしたようですね。この事は父にも話して、後日正式に謝罪させていただきます。セレナ様へのご無礼についても、大変失礼致しました。あなた様が望むのであれば、わたくしは罰を受けましょう」
初めの頃の凛としていた彼女の雰囲気とは程遠いが、それに近い落ち着いた声で謝罪を口にした。
そんなロマリアに、セレナは小さく首を振る。
「いえ、私に対しての謝罪は結構です。処罰も望みません。その代わり、シュニー殿下には誠心誠意、謝罪をしてください。それと、殿下が猫を飼われていることは内密にお願いします」
「分かりました。父には、わたくしがシュニー殿下の大切な物を傷つけた、と詳細をぼかして伝えさせていただきます。セレナ様の寛大な御心に感謝を」
そうして丁寧に別れの挨拶を述べてから、ロマリアは部屋を後にした。
その顔色は悪いままであったが、彼女の表情はどこか憑き物が落ちたような安堵を浮かべていた。
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