10話 二人の王妃
しばらく適度な距離でお茶を楽しんでいると、珍しい声がした。
「あら、シュニーにセレナちゃんじゃない!こんなところに二人でいるなんて、もしかしなくてもデートかしら?」
隣から、げっ!と言うような声が聞こえた気がする。
ガゼボの外に目を向けると、二人のご婦人が立っていた。
一人は腰の辺りまで伸ばした癖のある白髪に、紺色のドレスを着ており、もう一人は真っすぐに伸びた黒髪に、藤色のドレスを合わせた装いをしている。
「フェルーシア様!ダリア様!」
セレナは慌てて腰を浮かせ、挨拶のために駆け寄ろうとしたが、急に腕を掴まれ後ろへと引き寄せられた。バランスを崩したところで、今度は腕を掴んだのとは逆の手が腹に回され抱き寄せられる。
その結果、そのまま倒れ込むようにして腰を下ろした先は、シュニーの膝の上だった。
何が起きたのか理解が追いつかなくて、シュニーに体重を預けながら目を瞬かせていると、感嘆の声が聞こえてきた。
「あら」
「まあ」
扇を口元にあてて凄いものを見たとでも言うように、ご婦人方がそろってセレナ達を凝視している。
「でっ、殿下!離してください!!」
「いやだ」
シュニーの膝の上でもがくが、逆にセレナを抱く腕の力を強めるだけだった。
「何?母さん」
ご婦人の一人に胡乱な視線で問いかけるシュニー。
『母』と呼ばれた白髪の女性は、シュニーよりも色素の薄い水色の瞳を細めて、笑うように言った。
「あらあら、シュニー。あんまり強引なことをすると、セレナちゃんに嫌われてしまうわよ?」
「余計なお世話だよ」
早くどこかへ行けとでも言うようにシュニーがぞんざいに答えると、今度は黒髪の女性が割り込んできた。
「そうよ、シュニーちゃん。いくら婚約者ができて嬉しいからと言って、無理強いは良くないわ」
「だからちゃんはやめてくださいって、言いましたよね!?ダリア様!?」
「あら、シュニーちゃんこそ、ダリアお母様って呼んでくれないじゃない?」
「無茶言わないでください!」
交わされるやりとりに、セレナはただただ驚いていた。これ程声を荒らげるシュニーを見たことがなかったからだ。と言っても本気で怒っているわけではなく、どちらかというと揶揄われているようだが。
「まぁまぁダリア、それくらいにしてあげて?セレナちゃんの前だし」
ね?とセレナに微笑み掛けたのは、現王妃であるフェルーシアだ。ふわふわの白い髪がシュニーとそっくりで、年齢の割にかなり若く見える。
「そうね、これ以上苛めたらかわいそうね。セレナちゃんの前だし」
ね?と続けて同じように微笑んできたのはダリアである。彼女は第二王子を産んだ二番目の王妃で、女性にしては高めの身長に凛とした雰囲気が特徴的だ。
二人の王妃からの視線を受け止めたセレナだったが、シュニーの手前どう答えるべきか迷った挙げ句、ぎこちない笑みを返すしか出来なかった。
先程までのやり取りを見て分かる通り、この国の二人の王妃はとても仲が良い。普通王妃が二人以上いる場合は仲違いすることの方が多いものだが、この国は違うのだ。
アレストリアは王族のみ一夫多妻制を認めている。それは呪いの性質上、どうしても妃を娶ることが難しい王子が存在するからだ。例えば猛獣に姿を変える王子など、恐ろしくて近づける女性はなかなかいない。
そう言ったことを考慮して、シュニーのような比較的害のない獣に変わる王子が、複数の妃を持てるような制度になっているとのこと。
セレナはこの話をシュニー本人から聞いたが、彼はセレナ以外の妃を娶る気はないと言っていた。
最初に話を聞いた時はまだこの国に来てすぐの頃だったので、シュニーが他に妃を娶ったとしても仕方がないと思っていた。しかし、今となってはそれは絶対に嫌だと思ってしまう辺り、セレナも独占欲が芽生える程にはシュニーの事が好きらしい。
そう言った事情もあり、現国王には二人の王妃がいるのである。
アレストリアの王子三人の仲が良好なのは、特にこの二人の王妃が関係していた。幼い頃から母親同士の仲が良く、一緒になって揶揄われる事もあり、それらから自身を守るために王子達は気付いたら結束するようになっていたのだ。
これが母親二人の作戦だったのか偶然なのかは本人たちしか知らないことだが、今となっては王子達本人もこれで良かったのだと思っていた。
王子達が成長しても王妃二人の仲は変わらずだ。
最近では女子会と称して、二人で頻繁にお茶会を開いているらしい。セレナも何度か参加した事があるのだが、毎回シュニーとの生活についていろいろと聞かれるので頭を悩ませる事もしばしばだった。
「それにしても本当にびっくりよねぇ。この子がこんなに懐くなんて」
フェルーシアが片手を頬にあてて、さも驚いたと言うように呟くと、ダリアもそれにうんうんと頷く。
それから庭園にある普段お茶会を開催する場所として使っている広場を見て、そういえば、とフェルーシアは続けた。
「ロマリア嬢の時は大変だったのに」
「母さん」
その場の和やかな空気を切り裂くように、冷たい声が響いた。
フェルーシアは、しまった、と口元を扇で隠しながら息子に謝罪する。
頭上から響いたシュニーの低い声に、セレナはびくりと身体を震わせ動けないでいた。
これ程冷たい彼の声を聞いたのは初めてだ。シュニーはセレナの前で怒った姿を見せた事がない。だからこそ、怒気を含んだその声に身が竦みそうになった。
ロマリア嬢とは、セレナと出会う前に婚約をしていたという人のことだろうか。
シュニーはその人のことを話したがらない。気にならないと言えば嘘であったが、シュニーが話したくないのであれば無理に聞くことはできないと気にしないようにしていた。
頭上を振り返るようにしてちらりとシュニーを見上げると、ちょうど目を伏せて視線を下げていた彼と目が合ってしまった。
切なげな彼の表情に心臓が鷲掴みにされたように動けない。
彼は何を考えて、誰を思い出しているのだろうか。
もしかして、そのご令嬢のことをまだ――
辿り着いた疑問に、セレナは指先が冷たくなるのを感じた。
もし、その婚約破棄が望まないものだったとしたら?
シュニーがまだ、その人のことを想っているのだとしたら?
そんなことはありえない。
彼がこの数カ月の間にくれた愛情は本物だった。それくらい、セレナにも分かる。
では一体何が、彼をこんな表情にさせるのだろうか。
気付いてしまった疑問に、もやもやとしたものが心の内に広がっていくのを感じ、セレナは小さく唇を噛んだ。
「こら、何してる?」
それを目ざとく見つけたシュニーが叱り付ける。
指先でふにっと押すように、唇を撫でられた。
「またクッキー食べさせるよ?」
「それはだめです!」
思わずぶんぶんと首を横に振って拒否すると、残念、と言いながらシュニーが笑ってくれたので、セレナの心は幾分か軽くなった。
「まぁ、本当に仲良しね」
セレナはまたしてもびくりと身体を震わせる。
一瞬シュニーと二人の世界に浸かってしまい、フェルーシア達が居ることをすっかり忘れていたのだ。
なんだか凄く恥ずかしいことをしていた気がする。
それ以前にいまだにシュニーの膝の上に居ることもおかしいのではないか。完全に下りる機会を失った。
どうしたものかと悶々と考えていると、ダリアが言った。
「シュニーちゃんったらセレナちゃんが気になるのか、よく執務棟の窓から見ているものね」
「なっ……!」
それは言わない約束でしょう!?
とばかりにシュニーが身を乗り出し掛けたが、膝の上にいたセレナによって阻まれる。
「執務棟の窓からこの庭園が見えるところがあってね。セレナちゃんがお茶会に参加している時、誰かさんがよく覗いているみたいなの」
「ちょっ……!」
追い討ちをかけたのはフェルーシアである。
言葉にならない声をあげて抗議しようとするシュニーだったが、その頬が見る見るうちに赤く染まっていった。
彼の白い髪と赤い頬の対比がとても奇麗だな、と思ってしまう。
「今のは聞かなかったことにして……」
参ったとばかりに頭を掻きながら言う彼がとても可愛く見えて、セレナは胸の内に溜まったもやが晴れていくのを感じた。
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