3章
9話 甘いひととき
よく晴れた昼下がり、セレナは城の敷地内にある庭園にいた。
季節の花が咲き乱れ、辺り一面に甘い香りが漂っている。よく整備された庭は見栄えも素晴らしく、庭師たちの腕の良さが見て取れた。
今は初夏も過ぎ、もうすぐ本格的に夏がやってくる季節である。しかし今日は比較的涼しげな気温だったため、せっかくだから庭園でお茶をしようと言う運びになったのだ。
庭園の中程にある白いガゼボにて、セレナはとても困惑していた。頬を赤く染め、心なしか身体は火照っている。この身体の熱さは、決して気温のせいだけじゃないだろう。
そうさせた犯人が、目の前にある小さなテーブルからクッキーをひとつ掴み取るのを、セレナは目で追った。
ごくり、と喉が鳴る。
そのままクッキーはセレナの口元に差し出され、犯人が楽しそうに言った。
「はい、あーん?」
先程から何度か続けられているこの遊びに、セレナはそろそろ心臓が限界を迎えそうだった。なんと言っても、恥ずかしすぎるのだ。
「で、殿下」
「ん?」
「あの、私……自分で食べられます」
「ダメ」
即答で拒否され、セレナはがっくりと肩を落とした。
隣に座りクッキーを差し出してくるシュニーは、始終楽しそうだ。
セレナが観念したように口を開けると、クッキーが口内に放り込まれ、香ばしい甘さが口の中に広がった。きっととても美味しいクッキーのはずなのに、味がいまいち分からない。
そしてセレナの鼓動が忙しないのは、クッキーのせいだけではなかった。
シュニーとはお互いの体温が感じられるくらい身体が密着しており、それを近いと抗議すると、夜寝るときと同じでしょう、と諭される。確かにそうなのだが納得出来るはずもなく、さらに抗議しようとしたところでクッキーを差し出され、なし崩しにこの状態に収まってしまった。
寝室で寄り添って寝るのはだいぶ慣れたが、外となるとまた別だ。誰かに見られているかもしれないと思うと気が気ではない。
「久しぶりにゆっくりできるから、たくさん君を甘やかしたいんだ」
そう言ってセレナの頭に頬をすり寄せて、甘い声で言うシュニー。さらに近くなった距離に、そろそろ心臓が壊れるのではないかと思った。
シュニーは立て込んでいた仕事がひと段落したようで、今日は久々にまともな休日を取っていた。
今日からは少しゆっくり出来るらしいので、セレナも最初は喜んでいたのだが、今のこの状態に先が思いやれたのも事実である。
ちらりと彼を見上げると、水色の瞳が覗き込んでくる。伏し目がちな瞳にかかる睫毛の長さに色気を感じ、吸い込まれそうな透明な瞳に目が離せなくなった。
思わず見つめ合うこと数秒。
シュニーが、ふっと笑ったかと思うと、セレナのまぶたにキスを落とした。
「そんなに見つめられると、その気になってしまうよ?セレナ」
「はい!?」
その気とは!?という疑問は怖くて聞けなかった。聞いたらいけないような気がした。
右へ左へと視線を彷徨わせ、最終的に上目遣いでシュニーを見上げると、彼の喉が、こくり、と上下したのが見えた。
「……僕の飼い主さまが、かわいすぎる」
シュニーがふーっと息を吐いたのが伝わった。
彼の腕が腰に回され、セレナの身体を手繰り寄せる。
彼の顔が、近い。
セレナはどんどんうるさくなる心臓の音を聞きながら、この状況から逃げる手段を必死に考えていた。
全身で感じる彼の熱に思考はなかなか纏まってはくれなかったが、それでもやっとの思いで反撃にでた。
「で、殿下は私のことをかわいいかわいいって言いますけれど、猫の殿下の方が何倍もかわいいですよ!?」
きょとんとした顔の彼を尻目に、セレナは猫姿のシュニーのかわいさをひとつひとつ上げていく。
ぴんと立った耳がかわいいだとか、凛とした口髭がかわいいだとか、ふわふわな毛はとても触り心地が良いし、ピンク色の肉球はずっと触っていてもあきない等々。
思いつく限りの、シュニーのチャームポイントを並べていった。
するとそれを聞いていたシュニーの頬がだんだんと朱に染まっていく。
口元を手で押さえながら、恥ずかしそうに言った。
「いや、うん。嬉しくないわけじゃないんだけど……なんか、すごく複雑」
セレナはハッとして、猫ばかり褒めすぎたことを後悔した。それならとさらに言い募る。
「もちろん今の殿下もとても素敵です!殿下のお顔はとてもお美しいですし、涼やかな目元が――」
言い掛けたところでシュニーの手によって口を塞がれた。もご、と思わず変な声が出る。
「それ以上はいいから……」
頬を染めたシュニーが、困惑した表情で懇願してきた。
セレナは少し勝ち誇った気持ちになり微笑むと、シュニーも苦笑で返してくれた。
「……君はたまに、とても強かになる」
そんなところが堪らなく好きなのだけど、と呟きながら、シュニーが観念したように近すぎる距離を解いてくれた。
二人の間に吹いた風に少し寂しさを感じるも、セレナはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
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