7話 持ちつ持たれつ


 セレナにとってこのアレストリアの王城に来た日のことは、どうやっても忘れられない。


 あの日、猫になったシュニーと同じベッドで眠りについたまではよかった。


 問題は、その翌朝で。


 いつの間にか人の姿に戻ったシュニーが、セレナの隣で横になっていたのだ。既に起きていたようで、その水色の瞳がセレナを見ていた。

 寝起きの衝撃的すぎる光景に思わず全力で悲鳴を上げると、何事かと警備の騎士らしき人たちが駆けつける足音が聞こえてきた。


 シュニーは問題ないからと早々に彼らを下がらせると、にっこりと、それはそれは眩しいばかりの奇麗な笑みを浮かべて言った。


「おはよう、かわいい僕の飼い主さま?」


 昨日よりいくらか柔らかい雰囲気を纏ってはいるが、どこか意地の悪そうなシュニーの顔を見て、寝起きでぼんやりとしていた頭に現実が浸透して行く。

 セレナは潔く自分の置かれた状況を思い出し、身体から血の気が引くのを感じた。

 慌てて身体を起こすと、ベッドの上で土下座せんとばかりに腰を折って言う。


「わ、私ったら大変な失礼を……!本当に申し訳ありません!」


 昨夜のセレナは浮かれていた。

 そのため、シュニーが猫になると言う事実を受け入れてはいたが、正確に理解していなかったのだ。

 今ならジェフが言わんとしていたことが理解できる。


 そう、シュニーは睡眠をとればその場で人の姿に戻るのだ。もちろんセレナと一緒に寝たと言うことは、目覚めるのも一緒と言うことになる。

 この状況になって、やっとジェフが言っていた呪いの特性についても理解できた。もし、呪いがシュニーの身体だけを猫に変えるものだとしたら、目覚めたとき彼はきっと服を着ていないはずで……

 今以上の大惨事を思い浮かべて、呪いの特性に感謝するしかなかった。


 さらに昨夜のセレナの行動は一国の王子に対して取って良いようなものではなく、いくら姿形が猫だったからと言って相当無礼な行動を取ってしまった自覚がある。

 俯いた顔を上げることができないでいると、そんなセレナを見下ろしながら隣に座るシュニーが言った。


「いいよ、謝らなくて」

 

 彼の言葉にびくりと身体を揺らす。

 謝罪を受け入れられないほど、怒っているのだろうか。セレナは両手を握りしめて、震え出しそうになる身体を押さえつけた。


 シュニーが近いてくる気配がする。

 まさか、殴られるのだろうか。


 そう思った瞬間に、彼の長い指が俯くセレナを上向かせるようにその頤を掬い上げ、交差した視線の先で水色の瞳が細められた。


「その代わり、僕にも君を可愛がらせて?」

「……え?」


 添えられた指が、セレナの顎の下辺りを掬うように撫でる。


「ひゃうっ」


 思わず変な声が出た。

 こちょこちょと指を動かされると、擽ったさに身動ぎをしてしまう。


「ちょっ……と、まっ……ひぅっ」


 シュニーの指から逃れようと身体ごと彼から離れようとしたが、逆に腕を掴まれ引き寄せられた。

 気づくとセレナはシュニーの腕の中にいて、その胸元に顔を埋める形で抱きしめられていた。

 彼の鼓動がとても近くに感じる。

 シュニーはいつの間にか上着を脱いでいたようで、胸元の辺りまで緩められたシャツの隙間からは、彼の鎖骨が見え隠れしていた。


 近い。


 一気に上がる心拍数に、このままでは心臓が壊れるのではないかと錯覚する。

 離れようともがくが、シュニーはセレナを解放することなく彼女の淡い金色の髪に触れた。

 その髪を梳くように何度も撫でると、やがて満足したのかその腕の中から解放してくれた。


「……殿下、今のは?」

「ん?昨日のお返し」


 そう言ってシュニーが意地悪く笑う。

 まさか、昨夜セレナが猫のシュニーにしたことを、彼はセレナにしてきたのだろうか。

 先ほどの彼の行動を思い返そうとしたけれど、再び心臓の鼓動がうるさくなりそうだったので止めることにした。


 シュニーとはその日から毎日同じベッドで寝ている。夜は猫になったシュニーをセレナが抱きしめ、朝起きると人間に戻ったシュニーがセレナを抱きしめる。

 どうしてこうなってしまったのか。

最初が肝心とは言うけれど、最初から大いにやらかした感がある。

 それでも猫の温もりを感じながら眠るのは大変心地が良かったので、セレナはまぁいいか、と思うことにした。




   ✳︎




 執務室にあるソファーの上、昼食をとった後に寝不足のせいで猫へと姿を変えてしまったシュニーを膝上に乗せながら、セレナは彼と出会った日のことを思い出していた。


 あれからもうすぐ二カ月が経つ。

 ハスール国王であり、父でもある男にアレストリアに嫁ぐように言われた時は、自分がまさかこのような生活を送ることになるとは、夢にも思っていなかった。

 余りにも急で強引な輿入れに、当時は不安と憤りしかなかったものだが、今は毎日幸せを感じている。


 シュニーはセレナを大切にしてくれた。

 時折強引で少し意地悪だが、そんなところも今は好きだと思えてしまう。彼の婚約者になれて本当に良かった。


 アレストリアの王子たちに付き纏う悪い噂も、元を辿れば呪いが原因なのだろう。王太子と第二王子の二人とも挨拶を交わしたが、どちらも噂に語られるような人物ではなかった。

 それどころかシュニーに噂のことを尋ねると、あれはわざと流しているんだ、と教えてくれた。

 王族が獣に姿を変えるなど、断じて他国に知られてはならない。

 そのため、妃になる者はこの秘密を守り抜き、さらに獣に変わってしまう王子を愛せる者でなければならなかった。そう言った条件があるために、易々と近づいて来られなくしているそうだ。

 その影響で婚期を逃した王子たちもいたそうだが、それはまた別の話である。


 セレナはどうして自分を選んでくれたのかシュニーに聞いてみたが、


『君を好きになってしまったから』


 と、はにかむように言われたら、頬を染めて俯くしかなかった。




 シュニーが眠りについてから少しすると、執務室の扉を控えめにノックする音が聞こえ、ジェフが姿を見せた。

 セレナの膝の上で丸まるシュニーを一瞥し、小さな溜息をひとつ。


「だからあれほど、夜更かしはするなと申し上げたのに……」

「すみません」

「セレナ様が悪いわけではありません」


 悪いのは主人であってセレナではないとジェフは言ってくれるが、その夜更かしの原因なだけあって罪悪感は湧いてしまう。


 シュニーのこのあとの予定としては、特に人と会ったり出向いたりする用事はないが、元々書類仕事が溜まっていたため、それがさらに押されるだろうとのことだった。

 これは今日も帰ってくるのは遅そうだな、と想像する。しかし今日こそは早く寝てもらおうと、セレナは夜更かし禁止令を出そうと心に決めるのだった。



 そんな小さな決意を燃やしていると、ソファーの近くまできたジェフが、それにしても、と呟いた。


「シュニー様のこの様子には、本当に驚かされます」


 白猫の背を起こさない程度にそっと撫でながら、セレナはジェフを見上げる。


「セレナ様はご存じないでしょうが、本来殿下は猫の姿の時に触れられることを、極端に嫌います」


 思わずセレナの口から、え?という声が漏れた。


「幼い頃、家族に散々撫で回されたのがトラウマになっているようで、今では撫でようとすると毛を逆立てて威嚇し、抱き上げようものなら爪を立てて逃げていくのが常でして」

「まぁ……」


 その猫は本当にシュニーなのか?

 という疑問が浮かぶくらい、セレナの記憶にある彼とは違っていた。

 セレナの前では撫でると気持ちよさそうに喉を鳴らし、抱き上げると満足そうにすり寄ってくる。

 まるで、別の猫である。


「ですので、セレナ様が初めて王城にやってきた日、猫の姿になってしまった殿下に触れた時は、本当に驚きました」


 セレナは記憶を思い起こす。

 確かにあの時、シュニーを抱き上げたセレナを見て、ジェフは驚いたような顔をしていた。

 その意味を今更ながら知って、セレナは膝の上ですやすやと寝息を立てる白猫を見た。

 そして、ジェフが微笑んでいう。


「間違いなくシュニー様は、セレナ様以外の膝の上で眠ることはありませんよ」


 その言葉に、心の中に温かいものが広がった。

 自分の何が良かったのかは正直分からないが、それでも本当に好かれているらしい。それだけは、十分伝わった。


 愛おしむようにその白い毛を撫でて、セレナは呟く。


「殿下――私も、大好きです」


 その声は、昼下がりの微睡んだ空気に溶けるように消えていった。


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