6話 その人は


 王都に到着してから一泊し、翌朝馬車に乗り込もうとしたところで見慣れない人物がいることに気づいた。


 その人は少し癖のある純白の髪をしていて、それは陽の光に当たると眩しく輝いて見えた。

 そよそよとした風が吹いて、ふわりと揺れた白い髪の下からは、真昼の湖面を切り取ったような澄みきった水色の瞳がのぞく。

 顔立ちは中性的でいて、すらりと伸びた手脚はその人のスタイルの良さを際立たせていた。

 またその服装は白地に紺色の飾り模様のついた派手すぎないもので、少し見ただけで仕立ての良い物だと分かる。

 まるで絵に描いたような美青年だ。


 セレナは息をのんだ。

 これほど美しく神秘的な人間を見たことがなかったからだ。

 目が合うと、その人は優しく微笑んだ。


「あぁ、やっと会えた」


 そのままセレナの前まで歩いてくると、涼やかな声で言う。


「挨拶が遅れてすまない、僕はシュニー・ダリ・アレストリア。この度は僕の求婚を受けてくれてありがとう、セレナ姫」


 聞き慣れない呼ばれ方にきょとんとしていると、彼は恭しくセレナの手を取りその甲に口付けた。

 途端、ボンッという音がしたのではないかと言うくらい、セレナの顔が勢いよく赤く染まった。

 彼は少し驚いたような顔をしてから、口元を綻ばせる。


 火照る頬を彼に掴まれているのとは反対の手で押さえ、頭の中を整理する。

 目の前の奇麗な人がシュニー王子。セレナの婚約者となる人。


 どうして、こんなにも美しい王子様が私を……?


 セレナ自身もそこいらの王族にはいないくらいの美人であるのだが、自分の容姿を気にかけたこともなく、さらに城から出たこともないため、自覚する機会はなかった。


 混乱するセレナをよそに、シュニーはその手を握り直して馬車へと案内する。


「詳しい話は移動しながら話そうか」


 セレナはこくこくと頷いて、シュニーの手を頼りに馬車に乗り込んだ。




 座席に腰を下ろし一息つくと、セレナは挨拶を返していないことに気づき、慌てて名を名乗り無礼をわびた。


「君にまた会えたことが嬉しくて、気にしていなかったよ。……そうだ、セレナと呼んでも?」


 先程は記憶違いでなければ『姫』と呼ばれた気がする。間違いではないのだが到底自分のことだとは思えないので、呼び捨てでも構わないかと聞いてきた彼に了承の返事をした。

 彼のことも好きなように呼んでくれて構わないと言われたので、無難にシュニー殿下と呼ぶ事にする。さすがに出会ってすぐの、他国の王子を呼び捨てにする勇気はなかった。


 そしてふと浮かんだ疑問を口にする。


「失礼ですが、殿下は私と会ったことがあるのでしょうか?」


 先程シュニーは、また会えた、と言った。

 ということは以前に会ったことがあるはずだが、セレナには心当たりがない。

 向かいに座った彼は、あぁ、と小さく呟くと、一度窓の外を見るように視線を逸らしてから答えた。


「……夜会の時に少し、ね」


 という事はやはり夜会の会場にいた短い時間で、シュニーはセレナを目に留めたという事だろうか。

 曖昧な彼の返答に釈然としないものを感じたが、そんなことより、とシュニーが話題を変えたので、セレナは疑問を振り払った。



 それからシュニーは婚約についての詳しい内容や、これからのアレストリアでの生活について話してくれた。


 まず婚約期間は一年間で、何事もなければ来年の新緑の季節に結婚式を挙げ、正式な夫婦になるという。

 婚約について特別な決まりはないが、ひとつだけ『王家の秘密について絶対に口外しないこと』というものがあった。


「秘密、とはなんでしょうか?」

「……それについては、あとで詳しく話すよ」


 『秘密』と言われれば内容が気にならないわけがない。

 セレナは疑問を述べたが、シュニーからは曖昧な返事をもらっただけだった。

 まさか、王子達の悪い噂に関することだろうか。そう思考し身を震わせたが、シュニーに悟られてはまずいと思い考えないようにした。


 また、セレナが生活するのは王城にある居住棟で、シュニーの自室の隣の部屋になるという。

 生活に必要なものがあれば用意するので、遠慮なく言ってほしいと言われた。さらに侍女を一人つけるので、シュニーに言いにくい事があればそちらに頼るように配慮してくれた。

 身一つでハスールからやってきたセレナには、どれもありがたいことだった。



 適当なところで昼食も済ませ、道中彼との話は思いのほか弾んでいた。

 セレナは閉塞的な環境で育ったが、人見知りではなかった。それはシュニーも同じようで、なんだかんだで話題が途切れる事もなく、夕方には王城が見える位置まで辿り着いた。

 せっかくだからと観光も兼ねて、王都の有名らしいレストランで夕食を済ませ、その後30分ほど馬車を走らせるとようやく王城へと到着した。


 この間にセレナはだいぶ、シュニーに対する印象が変わっていた。

 最初こそ曖昧な返答であったが、話の内容が生活に関することや他愛もない雑談へと移ると、セレナの質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれた。

 シュニーは年齢によらず博識で、時折冗談も交えつつ退屈しないように話題を運んでくれた。セレナも彼と話すのが楽しくて、時間を忘れてしまったほどだ。


 アレストリアの王城は、ハスールの王城の三倍はあるのではないかと思うくらい大きかった。

庭園も広すぎて先が見えない。これは一人では迷いそうだ……、などと考えていると馬車が止まった。


 城に入るとそのままの足で、自室となる部屋まで案内される。セレナの荷物が大きめのトランク一つしかないことにシュニーは驚いていた。


「これは早急にドレスやアクセサリーを用意しなければ……」

「そこまで気を遣っていただかなくとも、持ってきたドレスを着回せばなんとかなりますので!」

「僕がしたいんだ」


 彼のやろうとしていることに申しわけなさを感じ、拒否したセレナだったが、そう言われてしまっては黙るしかなかった。



 そうして自室へと足を踏み入れると驚愕した。

道中泊まった、広すぎると感じた宿部屋よりもさらに広い。しかも寝室はこことは別の隣の部屋になるようで、そこも確認すると、どう見てもハスールでセレナが使っていた部屋の倍以上はあった。

 備え付けられている家具はどれも高級品に見える。壊してしまったらどうしよう、なんて過った不安は口には出せなかったが。


 部屋までついて来てくれたシュニーに、ソファーへ座るように促された。

 旅の疲れがあるだろうが、国王陛下と王妃殿下がセレナの顔を見たいと言っているらしく、案内の者が呼びにくるらしい。


「疲れているのにすまない。僕がどうしても結婚したいと言った君が気になるみたいで……」


 そんな風に両親に伝えていたのか。そう思うと同時に、気にされるほど自分が特別な人間ではないと考え、背中に冷や汗が伝うのを感じた。


 シュニーの従者であるという、ジェフという名の灰色の髪をした青年が紅茶を淹れてくれる。

 それを味わいながらシュニーと二人ソファーに座り待っていると、扉をノックする音が聞こえた。

 国王陛下と王妃殿下の準備が整ったようで、謁見の間へ案内してくれるらしい。シュニーはここで待っているらしく、付き添いとしてジェフをつけてくれた。


 緊張を隠せないセレナに、そんなに肩肘張らなくても大丈夫だよ、と言ってシュニーは送り出してくれた。



 国王陛下と王妃殿下との謁見は、思っていたような厳かなものではなかった。

 二人は笑顔でセレナを歓迎してくれた。

 大国の王という割には柔和な雰囲気を纏う国王に、美しく品があるが優しい顔立ちの王妃。

 あまりに和やかな空気に、シュニーは母親似だな、などと考える余裕さえ生まれるほどだった。



 それから十分ほど会話をして、疲れているだろうからまた今度ゆっくり話しましょう、と潔く解放される。

 シュニーが言っていたように緊張していたのが馬鹿らしくなるほど二人は気さくで、挨拶はあっという間に終わってしまった。


 謁見の間を出るとジェフが待機しており、来た時と同じルートを辿って自室まで案内してくれた。城内が広すぎて、一回歩いただけでは到底自室まで辿り着けそうもなく安堵する。


 さすがに疲れたな、と思いながら廊下を歩き自室に着くと、ジェフが扉を開いてくれたので中に入る。


 そこで見た光景に思わず固まってしまった。


 先程部屋を出る時シュニーが座っていたソファーの上に、毛足の長い真っ白な体毛をした猫が座っていたのだ。

 その猫は、ガラス玉のような水色の瞳を大きく見開いてセレナを見ていた。


「猫ちゃん……?」


 セレナがぽつりと呟くと、白猫はびくっと体を震わせてどこか気まずそうな表情を浮かべながら、狼狽えるように視線を彷徨わせた。

 異変に気付いたジェフがこちらにやってくる。そして、言葉を失ったように驚いた顔をして猫を見た。


「この猫ちゃんは殿下が飼われている子ですか?」

「それは……えぇと」


 ジェフに問うと彼は困ったように頭を掻いて、言葉を濁した。


 シュニーはここで待っていると言っていたが姿が見えない。代わりに彼の愛猫だろうかと思われる猫がソファーの上にいる。きれいに手足をそろえて、なぜか口をぱくぱくさせながらジェフを見ていた。


 その様子がかわいくて、セレナは白猫に近づくとゆっくりと手を伸ばし、その白い毛に覆われた体を撫でた。嫌がるそぶりを見せなかったので、今度は猫の顎の下を指先で掻くようにして撫でると、しばらくして白猫が気持ち良さそうに目を細めて、ごろごろと喉を鳴らしてきた。


「気持ちがいいのね」


 あまりの可愛さについ顔が綻んでしまう。

 セレナは猫を飼ったことはなかったが、知識として猫がリラックスしている時に喉を鳴らすことを知っていた。

 これなら大丈夫かしら、とセレナはそっと白猫を抱き上げてみる。

 抵抗もなくセレナの腕の中に収まった白猫は、満足そうに再び喉を鳴らした。

 優しく頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を閉じる。


 それをそばで見ていたジェフが、思わずと言ったように息をのんだ。

 セレナがどうしたのかとジェフを見上げると、彼は至って難しい顔をしながら覚悟を決めたようにして、信じられない話を聞かせてくれたのだ。



 いわく、アレストリア王家には秘密がある。

 男系の王族がある一定の条件に触れると、その身体が獣の形へと変化してしまうという。

 それは『呪い』と言われ、王族とそれに連なる近しい者たちしか知らない事実らしい。


 そんなこと信じられるわけがない、とセレナが思ったことは誰も責められないだろう。

 話を聞くために座ったソファーで、膝上に下ろした猫をまじまじと見つめてみる。その水色の瞳は見覚えがあった。


「もしかして……、シュニー殿下ですか?」


 こくっ、と白猫が頷いた。


「まぁ」


 どうやら自分はとんでもない人の婚約者になったらしい。信じられないが、信じるしかない。

 だって今目の前にいるかわいらしい白猫は、どう見てもシュニーの面影があるのだ。ペットは飼い主に似るというが、この場合は人間を動物にしたらこうなる、という見本だろうか。


 シュニーが気まずそうに視線を逸らした。


 それからジェフが教えてくれたのは、シュニーは『眠くなる』と呪いが発動するということ。

 眠気を感じると猫になり、睡眠を取ってから数時間ほどで元に戻るという。

 なので、夜は大体猫の姿で眠りにつくということだ。


 本当は後日改めて説明する予定だったそうだが、セレナが退室した折にシュニーが眠気に負けて、呪いが発動してしまったのだろう、と言うことであった。

 確かにもう21時を過ぎていることだし、今日一日の行動を考えれば眠気を催しても仕方がない。現にセレナも疲労から眠気を感じている。


「今夜殿下はもう、元の姿に戻らないと言うことですか?」

「そうなりますね」


 申し訳ございません、とシュニーの代わりに謝罪をするジェフに、気にしないように言う。

 なってしまったものは仕方がない。

 眠いのであれば、寝てしまえばいいのだ。


「私も少し疲れたので、今日はもう寝ようと思います」


 湯浴みも済ませていないが、明日の朝でも大丈夫だろう。今日はいろいろあったので、正直怠かったのだ。

 セレナはシュニーを抱えて立ち上がった。

 それから腕の中の猫を見て巡俊する。しばらく見ているとシュニーが首をかしげて、どうかした?と問いかけているように見えた。


「このまま、殿下と一緒に寝ても大丈夫ですか?」

「ニャ!?」


 よほどびっくりしたのか、シュニーが猫の声を発し、瞳をまん丸に開いてセレナを見ている。


「それは、やめておいた方が……」


 ジェフが首を横に振って訴えるが、セレナは譲らなかった。

 一緒に寝たら気持ち良さそう、と思ってしまったのだ。深い意味はなく、単純に。

 そう、セレナはまだ初心な16歳なのだ。

 動物の体温は人間よりも高い。添い寝したら、きっと心地良いだろう。


「ちゃんとお世話しますので、お願いします」


 ――世話とは?


 と、シュニーとジェフが同時に疑問を浮かべたことは言うまでもなく。しかし、セレナはそれを知る由もない。


 しばらく白猫と従者が見つめあって沈黙が続いた。

 先に折れたのは従者の方であった。


「……分かりました。では、今晩はセレナ様に殿下のお世話をお任せします」

「いいんですか!?」

「えぇ、随分懐いているようですし、問題ないでしょう」


 可愛がってあげてくださいね?とにっこりとした笑みを貼り付けてジェフが言う。

 これは完全に開き直って面白がっている顔だ。

 セレナの腕の中でシュニーは絶望した。



 シュニーを連れて寝室へ続く扉へ向かう。

 両手が塞がっていたセレナに代わって、ジェフが扉を開けてくれた。


「殿下は明日の午前中は特に予定がありませんので、朝はゆっくりされて差し支えありませんよ」


 セレナは頷いて、ベッドの上にシュニーを下ろした。

 一緒に寝られることが純粋に嬉しくて、どうしても顔が緩んでしまう。幼い頃に描いていた、動物を飼う夢が叶ったような気分だったのだ。


「あぁ、それと」


 扉を閉めようとしたジェフが、思い出したように言う。


「この呪いは人の身体を獣に変えるのではなく、その人が身につけているものも全て獣に変化させる、と言った類のものなので、ご安心ください」


 セレナは何に安心するのか、と思考を巡らせたが、眠気の襲ってきた頭で考えてもうまく答えに辿り着けなかった。

 難しいことは明日考えればいい、そう思いながらベッドに潜り込む。


 扉が閉まる音が、静かな室内に響いた。

 ベッドの端の方では、白い猫が所在なさげに座っている。

 セレナが呼ぶと、最初は首を横にふって拒否していたシュニーだが、やがて観念したようにセレナの隣に伏せた。


「おやすみなさい、殿下」


 小さな声で呟くと、返事とばかりに尻尾の先がセレナを撫でた。

 そんなしぐさに心が温かくなるのを感じながら、セレナはすぐに夢へと落ちる。

 しかし、それからしばらくの間、もうひとつの寝息が聞こえてくることはなかった。




 翌朝、静かな王城の一画で、悲鳴とも叫び声ともとれぬ絶叫が響いた。

 女性の危機迫るその声に、何ごとかと警備の騎士たちが駆けつけるも、悲鳴の発生源である部屋への入室は許可されなかった。


「問題ない、下がれ」


 部屋の中から響いた第三王子の声に、騎士たちはその場から解散せざるを得なかったのである。


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