2話 望まれずとも


 このアレストリアの王族には、王家の者とそれに近しいものだけが知る秘密がある。

 そう、彼ら王族はある条件に触れると、獣の姿へと変化してしまうのだ。

 それは男系の王族にのみ現れる症状で、彼らはこれを一種の呪いだと言っている。どんな獣に変わるのかは人によって違い、一定の条件を満たすと人の姿に戻る。

 シュニーの場合、呪いが発動する条件の内容から、だいたい夜から朝にかけて猫の姿になることが多かった。



 朝食を済ませ、セレナは自室のソファーに座り、シルクのハンカチへ刺繍をしていた。

 シュニーは朝食をとらないので、ベッドで別れたきり会ってはいない。

 刺繍はあまり得意ではないのだが、どうしても猫姿のシュニーをハンカチに写したくて、ちまちまと進めている。完成はまだ先になりそうだ。


 窓から差し込むキラキラとした日差しに眩しさを感じるが、嫌いではない。外の庭園から聞こえる庭師たちの笑い声も穏やかだ。


 セレナは侍女の淹れてくれた紅茶を一口啜り、ほっと息をついた。

 自分にこんな穏やかな日常がやってくるなんて。



 セレナはハスール国の第四王女として産まれたが、その暮らしは穏やかなものではなかった。

 母は身分が低く、セレナ自身は望まれた子ではなかったため、王宮の一画で細々と生きてきた。

 異母姉たちはセレナを蔑み、罵り、陰湿な苛めを繰り返してきた。

 それと言うのもセレナは姉妹たちの中で、取り分け容姿が整っていたのだ。

 母親譲りの淡い金色の髪は金糸を垂らしたような癖のないストレートで、日の光を吸収したようにキラキラと輝いている。憂いを帯びた菫色の瞳は見たものを震えさせ、ふっくらとした唇は果実のように紅く色付いていた。


 一度でもその姿を目に留めたら、心を奪われてしまう者は決して少なくはないだろう。


 自分にくるはずだった条件の良い縁談も全てセレナに奪われるのでは、と異母姉たちが危惧したのも自然の流れである。

 そんな事になってしまったら堪ったものではないと考えた異母姉たちは、ドレスや生活に必要な日用品などは全て自分たちのお下がりを与え、セレナに新品を使うことを許さなかった。

 実の父である国王ですら、上の姉たちの方が可愛いが故にそれを黙認していたのだ。


 母はセレナを産んですぐに亡くなってしまったため、ほとんど記憶にない。

 王城で働くメイドの一人であったらしいが、父が戯れに手を出した結果、身篭ってしまったのがセレナであるそうだ。結局産後の肥立ちが悪く、そのまま亡くなってしまったらしい。

 母の事は、物心ついた頃に全て乳母から聞いた。自分に母親がいない理由を、身内は誰も教えてはくれなかった。


 異母姉たちには、母の事についても何度も咎められた。


『おまえの母親が死んだのは、おまえを産んだからだ』


それは決して間違いではないのだろう。


だったら、誰に謝ればいい?

謝ったら、赦されるのか?

私は、生きていてもいいのだろうか?


 何度も考えたが、答えは出なかった。

 だからこそ、自分に素直に生きようと思った。

 自分は愛されて生まれたわけではないのかもしれないが、母がつないでくれた命を無駄にしたくはなかった。


 前向きに生きていれば、どんなにつらくともいつか報われる時がくる。


 それは、唯一セレナに優しくしてくれた乳母の言葉だ。セレナが卑屈にならずに済んだのは、彼女がいてくれたからである。


 そうして強かに成長したセレナは、16歳を迎えるその年に開かれた社交界デビューの場で、運命と出会う。


 あの夜の奇跡が、全ての始まりだった。


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