カムイの娘─有澤雪穂編─
有澤雪穂がアイドル部に入った切っ掛けは、
「ねぇねぇ、そこの可愛いリボンの美少女ちゃん!」
と、当時の部長であった関口澪の、まるでナンパのような一言がすべての始まりであった。
「その髪留めさ、どこで買ったの?」
澪は返事を急いで求めようとはしない。
「…これ、ハンドメイドです」
苫小牧の祖母が作ってくれた、今では形見となっていた模様入りの大きなリボンがついたバレッタスタイルの髪留めである。
「その模様は?」
「何かよく分からないんです」
雪穂は言った。
のちに澪は知ることになるが、それはシマフクロウが翼を広げた模様が、シングルラインで縫い取られた紺色のリボンバレッタで、恵まれた髪質のロングヘアを束ねてある。
それが、クッキリした二重瞼の色白な雪穂によく似合った。
雪穂はアイドル部に入るつもりもなければ、そもそもアイドルに興味がない。
どちらかと言えば洋楽やジャズが好きで、サックスを習っていたことがあったからか、あれば軽音楽部に入りたかったのだが、
「うちの学校、軽音楽部ないんだよね…」
澪に言われるまで知らなかった。
「でもアイドル部って言っても楽器はOKだから、もしかしたら軽音楽活動、出来るかもよ」
この澪の言葉で、アイドル部を覗いてみることにしたのである。
週末、ダンスレッスンに参加した雪穂は、自分があまりにも踊れないことにショックを受けた。
「ダンスやってなかったら、そんなもんだって」
同期で入った岐部優海に言わせると、そんなところらしい。
「…やめようかなぁ」
雪穂は諦めが早過ぎる嫌いがあったのだが、
「私だって最初はひどかったからなぁ」
後ろから言ったのは、長内藤子である。
「雪穂ちゃん、悪いけど最初の頃の私より上手いよ」
藤子は運動音痴であったらしく、
「私なんかダンスの練習中、靴飛ばして行方不明にしちゃってさ」
雪穂は思わず笑い出した。
「でもダンスってリズム感だから、サックス吹いてる雪穂ちゃんならこなせるんじゃないかなぁ」
ちなみに藤子は楽器も苦手らしかった。
雪穂が自宅の駐車場でダンスの自主トレを始めると、
「練習場作ってやる」
と建設現場で余った資材を使って、父親が雪穂の登校中に、昼休みの合間を使って姿見つきの練習スペースを作ってくれた。
雪穂は見てはじめは驚いたが、夜中までダンスの練習をしていくうち、五月の連休明けにはいっぱしに踊れるようになり、
「あんた、ホントは踊れないフリしてたんじゃないの?!」
と優海に疑われる始末であったが、何とか出来るようにはなった。
連休明けからは、リラ祭と呼ばれる学園祭のステージ練習が始まった。
コントをすることになったのだが、
「私なんかに出来るかなぁ?」
そうは言っていたが、お通夜のコントで焼香のシーンに差し掛かって、雪穂が足のしびれた役を演じてみると、
「雪穂ちゃん、上手いよね」
演技が上手いことに、副部長の桜庭ののかが気づいたらしく、
「あれなら歌が下手でも、女優さんでイケそうだわ」
と、予言めいたことを言った。
事実、このときのコントの経験は女優となってからコント番組で活かされ、
「有澤ちゃんってさ、他の女優さんと違ってコント上手いんだよね」
と、のちに大御所のコメディアンから評価を得るに至るのだが、それははるか先の話であった。
ボイトレも雪穂は習ったのだが、歌はまぁ普通というか人並みで、同学年に歌の上手い優海がいてリードボーカルとなっていたから、
「雪穂ちゃんは演技のほうを磨いたほうが良いかも」
という澪のアドバイスで、演劇の発声やミュージカルの動画を見たりと、あまりアイドルらしからぬレッスンを自分なりにしていたらしい。
リラ祭のコントで人気の出た雪穂は、どういう訳か告白されることがふえた。
「雪穂ちゃん、彼氏いる?」
などと訊かれるのはしょっちゅうで、中には下駄箱にラブレターが入ってたり、
「私の彼女になってください」
などと、陸上部の選手──女子高である──から直接打ち明けられることなどもあった。
でもさぁ、と雪穂は、
「私…普通なんだよねぇ」
彼氏はいないが、さりとて
「こんな場合は、どうしたらいいのかな…」
そのような折に、三年生の乾美波が退部するしないと騒ぎになったことがあって、
「美波先輩に辞められたら困ります」
と、雪穂は美波を引き止めたことがあった。
ところが。
このときに少し誤解を招くような面があって、
──乾と有澤はデキている。
と、噂が立ってしまったことがあった。
ところが雪穂は、
「まぁ、女子高あるあるだから」
と、いとも簡単に片付けてしまう。
この豪気さには、日頃雪穂と言い合いをしていた優海が、
「あの子には勝てない」
と、素直に敗北を認めたことがあった。
のちに優海は、
「私には勝てない人が二人いた。それが橘すみれと有澤雪穂で、しかし二人がいたから自分の才能に早く見切りをつけて、違う道を歩くことが出来た」
と述懐している。
その当の雪穂は、実はデビューの関係で代替わりと同時にアイドル部を早く辞めている。
「札幌から通うことは出来ないの?」
長谷川マネージャーに問うたが、
「朝ドラのオーディションなんて、誰でも簡単に受けられるもんじゃないですから」
しかし雪穂にすれば、
「受かるかどうか分からないものに対して、アイドル部を辞めなきゃなんないなんて、リスクが高すぎる」
というのが本音で、迷った雪穂は藤子に相談をした。
このときの藤子の答えというのが、
──あとから後悔しなければ、辞めなくても辞めても変わらないと思うよ。
といったようなもので、
「受かったら辞める」
という条件付きでオーディションを受けた。
結果は最終選考で落とされたのだが、
「だって北海道から出たアイヌ系の田舎娘だもん。朝ドラのオーディションなんてレベル高いから、落とされたところで何の不思議もないし」
というラジオでの発言がきっかけで、実は差別で落とされたのでは──という疑惑があらわれたのである。
アイヌ系への差別は根深い。
それは雪穂は子供の頃からよく知っていて、例のリボンバレッタだって、アイドル部の活動のときに雪穂は使わない。
「うちのパパも、それで若いときはグレたみたいだし」
しかし立ち直ってからは一代で建設会社を起こし、そのおかげで今の雪穂があることを、雪穂もよく分かっていたようであった。
それだけに。
あまりアイヌの話はしなかったのだが、オーディションの日は例のリボンバレッタをつけていた。
雪穂は御守のつもりであったらしい。
しかしこれがのちに、
──出演していただけませんか?
と、まさかのオファーに繋がり、結果論として雪穂はアイドル部を早く辞めることになったのであった。
「卒業ライブ、出たかったなぁ」
それだけが唯一の心残りであったらしいが、
──アイドル部の大感謝祭をします。
と企画が持ち上がると、
「ずる休みしてでも出る!!」
雪穂は言い出したら聞かないところがあったからか、スケジュールをこじ開けて出演を決めた。
国立競技場ライブの日。
雪穂は例のリボンバレッタを、初めてライブでつけた。
それはいつもより誇らかに、大人っぽくショートボブスタイルになっていた雪穂を飾っているようにも、雪穂をカムイが護っているかのようにも見えたが、
「アイヌ以外から見たら、ごく普通に可愛らしいデザインのリボンバレッタだもん」
という言葉を、雪穂はふと思い出したらしかった。
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