雨に唄えない─鮎貝みな穂編─


 鮎貝みな穂が札幌へ来たのは、大震災の年の夏である。


 若林の実家の一階が津波に浸かってしまい、はじめは改修が終わるまでのつもりであったらしい。


 市で用意してくれた団地は手稲本町の小学校の近くで、みな穂の父親が札幌へ転勤してくると、近くのマンションへさらに移った。


「いじめられなきゃいいけど…」


 というみな穂の心配は杞憂で、同じマンションの違う階にいた赤橋あやめというクラスメイトが、


「みな穂ちゃん、一緒に帰ろ」


 と毎日声をかけてくれたことで解消した。



 あやめには一つ下に嘉勢ひかるという幼なじみがあって、ひかるの家にはママ友の繋がりで花島るなという、ギャルの姿をした友達もいたが、


「るなちゃんバンドやってるからさぁ」


 どうやら中身はギャルではなく、至って普通であるらしかった。


 るなは友達が多い。


 同じ中等部にいた紺野ひまり、ひかるの幼なじみという繋がりから知り合った鶴岡さくらや、竹実香織もいた。


 歳が近い中でみな穂だけ地元ではなかったが、


「みな穂ちゃん、一緒に遊ぼ?」


 最も社交的であった香織のおかげで、仲間はずれにされることもなく過ごすことが出来た。



 とりわけ赤橋あやめとは同じマンションであったから、交換日記をつけたり、一緒に宿題をしたり…と、共にいる時間は長かった。


 みな穂とあやめが大通公園のそばの本屋まで参考書を買いに出たとき、みな穂は一度だけだが、デモに遭遇したことがある。


 声高に主張を叫び、プラカードにはイデオロギーを書き、その日は雨であったが傘もささずに、おのれの意を拡声器にのせて、信号の向こう側のテレビ塔めがけて叫んでいた。


「…何か、騒がしいよね」


 というだけで特に感懐もなく、世の中には様々な人はあるが、死んだ人間ほど静かなものはないと思ったのか、


「…あやめってさ、ああいったの見てどう思う?」


 みな穂は訊ねた。


「なんとも思わないけどなぁ」


「津波で流された友達がいるんだけど、その子はもう霊になってて、別に雨風も巻き起こさないし、騒ぎもしないし、そんなに静かなものだったら、もっと大切に生きなきゃなんないのかなって」


 みな穂には、違う世界が見えていたのかも知れない。




 のちにあやめがいじめに遭った際、それでも自死を選ばなかったのは、もしかするとみな穂のことがあったかも分からない。


「私なんかは偶然生き残っただけだし」


 みな穂の口癖でもある。


「人って死ぬときはあっけなくて、向こう側でなくて隣り合ったりなんだよね」


 修羅場をくぐったことがなかったあやめにはこのときよく分からなかったが、この頃からみな穂が必死で何かを探し求めているようには、はっきり理解できた。


 同じクラスになったあやめとみな穂は、高等部にアイドル部という聞いたことのない部活動ができた噂を聞いた。


「アイドルしながら部活って、どんなのなんだろうね」


 香織やるなが気にし出す中、あやめとみな穂は、るなのママ友の一人から、


「萩野森さん家の唯ちゃんがメンバーだから、訊いてみる?」


 と、当時二年生のメンバーとして入って間がなかった萩野森唯を紹介してもらった。


 附属の中等部出身の唯は新入部員を探すために後輩にリサーチをかけており、バドミントン部にいたあやめは、興味こそあったらしいのだが、


「一人じゃ心細いから」


 と、みな穂に付き合ってもらうことにしたのである。


 リラ祭の一般公開日、トークライブの出番があけた唯と待ち合わせたのは部室で、


「…赤橋あやめちゃん?」


 バドミントン部らしい日焼けしたあやめを唯は見つけた。


 隣のみな穂は、黙ってお辞儀をした。


「友達に付き添ってもらったんです」


 鮎貝みな穂です、とみな穂は挨拶をした。


「鮎貝さんって大人っぽいよね」


 唯のファーストインプレッションはそれであったらしい。


 誰もいなかった部室で唯から簡単な説明を受けてその日は帰ったのだが、


「なんかさ、楽しそうじゃない?」


 というあやめに、


「簡単なもんじゃないと思うけどなぁ」


 みな穂は冷静に言った。



 少し興奮気味のあやめに、


「でも私は止めないよ。だって、あやめの人生だもん」


 冷静ではあるが、心からの友であったからこそ、みな穂はあやめを止め立てなんかしなかったのではなかろうか。


「みな穂ってさ、どちらかといえばクールっていうかドライなところあるのにさ、ちゃんと考えてくれたりもしてるよね」


 あやめはみな穂のそうした一面を見抜いている。


「私はステージに立つのは苦手だから、マネージャーなら入ってもいいかな」


 みな穂は少しだけあやめのことが心配でもあったらしい。



 そうして唯にはみな穂がマネージャー志望であることを、あやめの希望とともに伝えたのであるが、


「ちょうどマネージャーは要ると思ってたからちょうど良かった」


 というのもあって、イベントで出るときなどは唯はスケジュールを教えて、見てもらうようにはしていたのである。


 代替わりをして唯が部長となって、初めてのイベントがオープンスクールであったのだが、このときに唯は、


「みな穂ちゃんはマネージャー志望だったよね?」


「はい」


「でも、マネージャーにするには、何か惜しいんだよねぇ」


 唯は大人っぽいみな穂を見て、


「一人ぐらい大人びたメンバーがいてもいいよね」


 といったような感は抱いていたらしい。



 たまたまマネージメントをしていた長内藤子がメンバー復帰を果たした時期でもあったので、


「メンバーやりながらマネージャーやってみない?」


 みな穂に問うた。


「でも、人前は苦手ですし…」


「最初はみんなそんなもんだって」


 現に有澤雪穂なんぞは最初かなり人見知りで、


「あんなのでメンバーつとまるのかなって思ったことあったもん」


 と、みな穂より人見知りが強かった話をした。


「あの有澤雪穂…先輩が?!」


 あやめには驚きであったらしい。



 この日はみな穂は結論を出さなかったが、


「…まぁセンター張る訳でもないし、後ろ側なら」


 というぐらいには、年末ごろには考えも少し変わっていたようであった。


「今度の正月、部員に二人を紹介するから」


 唯の招集で岐部優海の家までやって来ると、唯にLINEでメッセージを入れ、しばらくして唯が出た。


「こっちだよ」


 あやめとみな穂は唯についていくと、


「今度入りたいって附属の子を連れてきた」


 とメンバーに引き合わせた。


 テレビで見たことのあるメンバーが居並んでいて、みな穂は緊張し始めたが、


「みな穂ちゃんって背高いけど、なんかスポーツやってた?」


 と聞かれたので「少しだけ水泳してました」と答えた。


 

 水で無駄なものが削られるんだね、といったようなやり取りのあと、


「そんな、砥石じゃないんだからさ」


 言ったのはブルーの振袖を着た有澤雪穂であった。


 アイヌの血を引いていた雪穂は、この当時のメンバーの中では一、二を争う人気で、


「よろしくー」


 と雪穂はニコニコしながら二人を座らせた。


「なんか妹ができるみたいで嬉しいなぁ」


 あやめとみな穂を、特になんの理由もなく気に入ったようであった。


 後に雪穂は、


「あやめとみな穂が仮に来なかったら、アイドル部は私たちの代で終わっていたかも知れない」


 と述べているのだが、それはみな穂という芯のあるキャラクターがあらわれて、チャラチャラとそれまで少し浮ついていた感のあったアイドル部が、変わってゆくきっかけになったのかも知れないことを指していた。


 余談ながら、のちにみな穂がデビューした際、真っ先に挨拶に赴いたのは、有澤雪穂のもとであった。



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