ツインテールをほどくとき─橘すみれ編─
原宿でスカウトされたとき、橘すみれは中学生であった。
修学旅行で東京へ行き、最終日のお土産を買いに行くのが目的で、スカウト待ちなどといった優雅な身分ではない。
が。
相手はスカウトとはいえ、マネージャーでしかも女性で、
「長谷川カナ」
という可愛らしい名前とは裏腹に、グレーのスーツに黒縁のメガネをかけ、ロングヘアもくしけずったような体裁がなかったので、
──新手の宗教勧誘か?
と、すみれは最初は警戒をあらわにしていたようである。
ツインテール姿のすみれを見た長谷川マネージャーは、
──華がある。
というので声をかけたらしい。
ちなみにこの頃からすみれはツインテールにしていたのだが、たまにほどくときがある。
当時片思いをしていた隣のクラスの
すみれのいた旭川の中学は、生徒数が多くない。
体育の授業は、隣どうしのクラスが合同で受ける。
そのため、すみれと廣健は同じ体育の授業となり、果然すみれは廣健と近づくこともあった。
廣健の蠣崎家は父親の代までいた
いっぽうのすみれもダンススクールに通っていたりしたので、スポーツは出来ない訳ではない。
当然のことながら、廣健とすみれは陸上やバドミントンなど、男女混合で行なわれる競技では鍔迫り合いを演じることがあって、
「時間切れにつき引き分け!」
と、勝負がつかなかったことすらあった。
しかし。
たまに廣健は、わざとではないがすみれに敗けることがあった。
すみれにすれば勝負なので別に驚きはないが、
「女子に負けるとは情けない」
と廣健は言われたりすることもあった。
「ま、勝負はときの運だからね」
としか言わなかったが、実際にはかなり悔しかったらしいものの、
「いずれ勝てば良い」
という肚づもりもある。
そんな平和な日々であったところに、長谷川マネージャーがすみれの母親と一緒に中学へとやって来たのだから、当たり前だが中学は灰神楽の立ったような騒ぎとなり、
「橘すみれを是非モデルデビューさせたい」
というので、学校始まって以来のことだけに、どうしたら良いものか、
東京あたりの中学ではこうしたことは物慣れた者が必ず一人二人ばかりあって、
「とりあえず受験を終わらせてから考えましょう」
というような話で済むのだが、そうした
そのため、
「これは罠に違いない」
新手の詐欺である──と見て通報したものがあって、長谷川マネージャーは、警察署まで連れて行かれた。
結局のところ当たり前ながら無罪で、放免はされたものの、
「橘すみれのスカウティングはかなり難しい」
と言われてもいたらしい。
そのような騒ぎがおさまった頃、
「橘、ちょっといいか?」
廣健に呼び出されたすみれは、意外な言葉を聞いた。
「うちのクラスに、大内っているだろ?」
すみれは顔が歪んだ。
握り飯を潰したような顔と、金持ちの子息らしい鼻持ちのならなさ加減から、
──毒まんじゅう。
と陰で呼ばれていた同窓生である。
「毒まんじゅうがどうかしたの?」
「あいつさ、すみれのことが好きらしいんだよ…」
よりによって、どうしたことかとすみれは泣きそうな顔をした。
「それで、俺に仲を取り持ってくれって言うんだけど…でも俺、実は橘のことが好きでさ」
ずいぶんサラリと言ってのけた。
「だから渡したくなくてさ、それで」
悪いが廣健のことを好きなふりをしてくれないか──というのである。
しばし考えていたが、顔を赤らめたすみれは周りを見回してから、
「あのね…実は私も、蠣崎のこと好きなんだ」
これには逆に廣健が驚いたが、
「じゃ、カップル成立だな」
廣健は握手を求めた。
すみれは手をつなぐことで応じた。
早速二人で手をつなぎながら廊下を歩いていると、
「蠣崎!」
見ると、顔を真っ赤に怒らせた毒まんじゅうこと大内がいる。
「話が違うだろ!」
「…仕方ないだろ。俺は橘に話をしたけど、俺だって橘が好きだから、しかも彼女はお前のことをあんまり好きではないらしいから、守ることに決めたんだ」
自分で告白しなかったお前が悪い、としたたかに言い放った。
「金があるからって、誰でも言うことを聞くと思うなよ」
廣健の凄みに、とうとう毒まんじゅうは泣き出した。
「裏切り者…!」
「なんとでも言え、意気地なし」
廣健は悪役をかぶることで、すみれを守りたかったのかもしれない。
ざわついた中でも廣健は、
「俺が告白してつきあってるんだから、なんの不満があるんだ」
と、ことあるごとにすみれをかばった。
すみれは廣健に申し訳なさを感じながらも、しかし内心では男らしく守ってくれる廣健に、モデルになりたいという夢は打ち明けづらかったらしい。
が。
雪のちらつく帰り道で、
「橘、モデルになりたいんだろ?」
「…えっ?」
「なんとなく分かるよ、彼女だもん」
すみれは涙目になった。
「俺が邪魔なら別れてもいい。俺は橘の味方だから、橘の好きなように生きればいい」
廣健には覚悟が備わっていたらしい。
廣健は立ち止まった。
「お前は北海道の田舎なんかで、くすぶってちゃいけない」
廣健はすみれをハグしてから、
「…だから、気にしないでモデルの世界へ行け。俺のことは、気にするな」
すみれは無言でうなずいた。
「…だけど、卒業まではこのままでいさせて」
すみれは廣健に軽くキスをした。
廣健は照れくさかったが、
「ツインテール、可愛いのな」
廣健はすみれの髪をなでた。
卒業の日、手をつないで雪道を歩きながら、
「札幌の学校かぁ…しばらく逢えないね」
廣健は地元へ残る。
「でも、私絶対に蠣崎を迎えに行くよ」
どんなに時間がかかってでも──すみれは述べた。
「だから、私その時まで誰とも付き合わない。…蠣崎は、別に構わないけど」
ツインテールを揺らしながら笑った。
「売れたらどうするんだよ」
「売れればスキャンダル回避できるから、却って安心かもよ」
すみれは述べた。
田舎道にちらつく小雪だけが、二人を包み込んでいた。
すみれが札幌へ向かう直前、二人は旭川の市内をデートした。
買物公園の歩行者天国をぶらぶらし、二人で写真を撮り、ゲームセンターのプリクラの撮影のときには、すみれは廣健と並んでピースをしてフレームにおさまった。
「こんなにそばにいたのは初めてかも」
僅かな時間の縮まりを惜しむように、二人は手をつないで歩いた。
「すみれ、元気でな」
廣健は何気なく手を振って、この日は別れた。
そのようにしてすみれは札幌へ進学したのだが、入学して間もない連休中、廣健が信号待ちの自転車ごと、路肩まで突っ込んで来た酔っ払い運転の車にはねられて亡くなったことを人づてに聞いた。
「それで、すみれちゃんにこれをって」
連休前の亡くなる直前、旭川で見つけて買ってあった物らしい。
「…ん?」
開けると小さなネームプレートに、
「HIROTAKE&SUMIRE」
と刻印がしてある。
一枚は一緒に荼毘にふされ、残る一枚は形見としてすみれに…と蠣崎家からすみれへ渡されたのである。
人前ですみれは我慢した。
しかし。
部屋に戻るとすみれはベッドに顔を押し付け、声を放って
すみれはこれをペンダントにし、入浴のときだけは外したが、それ以外は肌身から離すことなく、メジャーデビュー以降もつけていたらしい。
外すようになったのは東京進出以降で、すみれは後に銀行の貸金庫に預けた。
現在、すみれの初恋は、銀行の地下金庫に眠っている。
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