第36話 蒼の恋情
「桜妃の暗殺を企てていたのは、世羅姫の父親だったよ」
「父親? 娘を四妃に持ち上げて、自身の権力を確固たるものにしようとしたかったとか、そんなもの?」
「だいせーかい。桃花は頭が良いねぇ。御褒美にお菓子をあげよう」
ころん、と零れ落ちたまぁるい飴玉を手のひらで受け止め、胡乱げな目で男を見る。にこにこと笑みを浮かべた桃真は事も無げに「後宮の侍女からもらった媚薬効果付きだよ」と、思わず振りかぶって――ふと思いとどまった。
せっかくもらった菓子をぶん投げるなんてもったいない。しかし媚薬効果。
頭を巡らせて、店に帰ったら遊女の誰かにあげよう。桃真――美貌の若様から頂いたと言えば喜んで貰い手が見つかるはずだ。半月あたりの遊女たちがきゃあきゃあ
黄色い声を上げていたので取り合いになるかもしれない。
「……受け取るんだ」
「えぇ、まぁ。今後の参考に」
「今後の参考……? 僕としては今食べてくれても構わないけど」
「結構です。これは有意義に使わせてもらいます。
困惑に首を傾げる桃真をよそに、いそいそと懐にしまいこむ。
たった三日だったけれど、お世話になった蒼邸の使用人たちに挨拶をして回っている最中だった。桃真に呼び止められて、客間の一室で茶を飲みながら事の顛末を聞いていた。
なんとなく、そうだろうな、と思っていたので特に驚きはなかった。世羅姫は後宮を去り、父親は職を追われて牢獄に入れられた。世羅姫が罪に問われなかったのは恩情だろうか。それなりに主上も棟に通っていたようだし、その分父親の罪が重くなったのかもしれない。
解決したのであれば、桃花はそれでよかったし、詳細には興味がなかった。桃真も深く語るつもりはないようで、一度言葉を区切り、お茶を啜った。
静かな沈黙が流れる。
「……以前、紅家についてそれとなく調べてみると言っただろう」
「そういえば、すっかり忘れてました」
「だろうね。がっつり葵妃と関わっているものな。――それで、桃花に聞きたいことがあるのだけれど、君の吐息は花を咲かせることができる? 涙は、傷を癒すことができる?」
「――……は?」
何言ってんだコイツ。
桃真自身も何を言っているんだろう自分は、という気持ちだった。
人は吐息で花を咲かすことなんてできないし、ましてや涙で傷を癒すこともできない。眉唾物の寝物語だ。鳳黎の話では、血肉を食べれば不老不死に、なんてことも言っていた。
「いや、……は?」
「だよねぇ、わかってる、その反応はわかってたさ! まず前提に、天女が存在していたという話から始まる」
「とうとう頭が沸いてしまったの?」
「とにかく、話を聞いてくれ」
疲れたように目頭を親指で揉み、溜め息を吐く。口を噤んだ桃花に、聞いた天女の話を教えた。胡乱げで、訝しげに目を眇める桃花だったが、ある一点で「あ」と小さく声を漏らした。
「関係しているのかわからないけど……わたしは人よりも傷の治りが早いんだ。たとえば、軽い切り傷なら半日で治ったし、打撲とかなら一日か二日で跡形もなく治ってしまう。その、天女の癒しの力が作用しているなら、わたしの母が天女だった、とかに繋がるの?」
「本当に、冴えているね。ここで紅家が出てくるわけさ」
本当かどうかもわからない、身籠った女の話を聞いて嫌悪に眉を顰めた。
聞いた限り、望んで身籠ったようには思えなかった。無理やりの末、できた子が自分なのかもしれないと思うと、嫌悪で全身に鳥肌が走るのを止められなかった。母も、父もわからぬこの身であるが知らなくてよかったことだと心底思う。
茶総大将は、おそらく紅家の蒼目の奥方と面識があり、当主が狂っていく様を知っていたのだろう。
蒼目の女への執着心は、妻を失ってなお燻り続け、だかろこそ桃花に気を付けろと言ったのだ。養い子や使用人に色変わりの目の女人を囲い、当主に見つかってしまえば最後、何が何でも囲われてしまう。
桃花の瞳は何よりも澄んだ、深い海を閉じ込めた宝石だ。じぃっと見つめていると魅了され、彼女の虜になってしまう。そんなところも、徒人とは違うように思えた。
紅家当主が囲っている色変わりの瞳は何も蒼だけじゃない。赤や緑、多岐にわたっているが、やはり一番求めているのは蒼色だ。数多くの色変わりの瞳がいながら、純に蒼と呼べる瞳は片手で数えられるほど。大事に大事にしまわれて、囲われて、寵愛を受けているようだ。
――もし、桃花が見つかってしまえば、抗う術などないに等しい。一介の遊女が、大貴族の当主様に逆らえるはずがない。囲われてしまえば最後、籠の鳥だ。ゾッとした。蒼い瞳に別の女の影を重ねられて愛されるだなんて、気持ちが悪かった。
おそらく、葵妃から父である当主に話が行っていることだろう。見つかるのも、時間の問題だった。
「ねぇ、桃花、僕は君のことが好きだよ」
「そ、れは、今言うことですか?」
「今だから言うのさ」
涼やかな瞳が桃花を見つめ、一心に熱を注いでいる。恋と言うには熱く、愛と呼ぶには歪んだ劣情に、ドキリと心臓が大きく脈打つ。腹の奥が熱くなって、手のひらがじんわりと汗ばんだ。
「本当は、君を花街に帰したくない。ずっと、この邸にいてほしい」
「そんなの、無理だよ……。わたしは、光雅楼に返しきれない恩がある。あなたの気持ちには答えられない」
「けれど、このまま花街にいて、紅家が来たらどうする? ただの遊郭の店主が、四大彩家をおさえることができるとでも? 逆に店に迷惑をかけることになるだろうね」
うっそりと、笑んだ桃真に言葉が詰まり、息が止まる。考えなかったわけじゃない。けれど、それならどうすればいいと言うのだ。
唇を噛みしめ、黙ってしまった桃花を、立ち上がり優しく抱き寄せる。
「僕なら、君を、桃花を守ることができる」
「……桃真様」
「蒼家は紅家に引けを取らない、むしろ互角と言ってもいいくらいだ。僕なら君を守ることができる。僕に、君を守らせてほしい。君のあどけない笑みが好きだ。舞っている妖艶な姿が好きだ。手を繋ぎたい、唇を合わせたい。僕の贈った簪を身に着けて欲しい。君の好きなところを上げたらきりがない。君を想うと、心臓が熱を持って、恋しくて愛おしくて仕方がないんだ」
するりと、手のひらが持ち上げられ、指先が絡み合う。桃真の手は、桃花よりもずっと大きくて、節くれだった男の人の手だった。手のひらに豆があり、桃花の手のひらにある剣ダコとよく似ていた。親指がするすると指の付け根を撫でて、きゅっと手首を握られる。
いくら桃真が柔和で花のような美貌をしていようと男性であることに変わりなく、体格差を自覚してしまった桃花はカァッと顔を真っ赤にして、抱きしめられた体を放そうと腕を突っ張った。彼の焚いている香の匂いに包まれて、全身が熱くなる。
闇を垂らした黒絹の髪に指を通したい。海を閉じ込めた蒼玉は食べてしまいたい。白玉の艶やかな肌に手のひらを這わせたい。剣ダコのある手指を絡めたい。頭の天辺から、足のつま先まで、愛でて愛したい。
耳元で囁かれる、砂糖菓子よりも甘い睦言に沸騰してしまう。
頑張ってる君が好き。ぶっきらぼうなところはいじらしい。君の小さな赤い唇から、僕の名前を呼ばれるのがひどく嬉しいのだ、と。恥ずかしげもなく言葉を積み重ねる桃真に、桃花は耐えられなかった。恥ずかしいのと、嬉しいのと、戸惑いでいっぱいいっぱいになり、ろくに言葉も紡げない。
「好きだよ、桃花」
飾り気のない、とても簡素であっさりとした恋の言葉に、今までで一番大きく胸が高鳴った。
「ぁ、あっ、わ、わたしっ」
ドクドクと胸の鼓動が耳のすぐそばで聞こえて、心臓が口から飛び出してきそう。
「返事は、今すぐじゃなくていい。桃花が花街に帰るまでに、ゆっくり考えて欲しい」
顔が近づいてきて、口づけをされるのかと思ってきゅっと目を瞑った。
「っ、ふふ、ねぇ、そんな可愛い顔してたら食べちゃうよ」
喉を転がして笑い、耳たぶを柔く食んで、離された。
急速に遠のいていく体温に、目を瞬かせて、自身の早とちりにキッと桃真を睨みつける。勢いよく左手を振り上げた。
「あははっ、ほんと、可愛いなぁ」
「ばかッ!!」
手首を絡めとられて、抱きすくめられる。甘く爽やかな香りに、頭がくらくらした。
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