第35話 王と次期側近

「桜妃殺害未遂で十年の実刑とは、少々軽すぎるのではありませんか?」

「殺人未遂の求刑の相場は七年以下だ。桜妃に手をかけようとしたとして十年にしたのだ。あれでも一応、碧家の傍系、下手に長引かせれば上申状が届くだろう。むしろ十年で留めたのだから、感謝されてもおかしくはなかろう」

「……はぁ、そうですか。近々、碧家から謝罪の品でも届くんじゃないですか」


 くつくつと喉を震わせて低く笑う桜に、相手をするのが面倒になった桃真は手元の紙に視線を落とした。

 世羅姫――もとい彼女の父である中書省の官吏・草悦然ソウエツネンは出世欲に溢れているのを除けば、とても良い能吏であった。頭も良く回り、中書省の侍郎に推されているくらいだったのに、非常に残念なことだ。

 紙面には草悦然の経歴や系譜が事細かく書かれており、女癖と酒癖が悪く、過去に何度かいざこざを起こしていたらしい。それでいて、仕事の面ではやり手の官吏であり、なぜ今回桜妃暗殺を企てたのか疑問である。

 懲罰房に入れられた草悦然はだんまりを決め込んで、頑なに口を割ろうとしない。六夫人である娘の世羅姫を四妃のひとりに据え、権力を強めたかったと述べているが、それが真実すべてだとは考えづらかった。


 事件はたった三日で片が付いた。

 世羅姫に買収され、宮内に香炉を置いた桜妃の侍女が自白したのだ。罪悪感に苛まれ、夜も眠れず、目の下の黒い隈を白粉で隠した侍女は、身の内に抱えきれず耐えられなくなり泣きながら桜妃に告白をした。

 世羅姫に指示をされてやったことだ、と。

 そこからは芋づる式に父親の草悦然が引きずり出され、近く兇者と思われる男と接触していたことも裏付けが取れた。

 兇者の男は、街の外れで死んでいるのが発見されている。顔は悦然に確認済みであり、死因は出血多量だが、その犯人はいまだ見つかっていない。


「草官吏ともあろう人が、何を事急いたんでしょうね」

「さぁな。しかし、よかったじゃないか。愛しの舞姫殿とひとつ屋根の下だったんだ。少しくらい進んだんだろう?」

「……たった三日で何が進むというんだろうね!」


 その声は珍しく不貞腐れていた。

 進むかと、桃真だって思っていたさ。けれど思いのほか桃花が奥手で初心で、いけないことをしているような気持に駆られるのだ。進むなら、一歩どころか二歩三歩とどんどん進みたい。

 熱に浮かされた蒼い瞳を見ていると、かき抱いて唇を合わせ、しなやかな肢体に手を滑らせたいと劣情に乱される。


 あの蒼桃真が、ここまで気持ちを乱されているのを見ているのはとても面白い。所詮他人事だから娯楽感覚、野次馬根性である。神と等しく貴い王は俗世に興味津々だった。

 そういえば、後宮の花たちで事足りるので花街に足を向けたことがなかったなぁ、と今度桃真を伴て訪れる計画を頭の隅で立てた。


 舞姫にご執心なのは何も桃真だけではない。武闘会で、花見の席で舞姫の美しく可憐な舞を目にした一部の若い官吏や武官たちが密かに思い馳せているのは巷の噂である。妻子がいる者まで虜になっているのは少々厄介だが、それだけの魅力が舞姫にはあったのだ。

 なにより、深い海を映した蒼い瞳が目に焼き付いて離れない。――けれど、古い狐狸たちは知っているだろう。狂わせの蒼い天女の話を。


「紅家の隠し子らしいじゃないか」

「……どこからその話を」

「お前がコソコソと調べていることなどお見通しだ。どこまでわかっている? 紅家当主に蒼目の妻がいたことは?」


 にやにやと人の悪い笑みを浮かべる鳳黎に苦虫を噛み潰した。

 ユウはすでに紅家から撤退させたため、情報は行き詰っていた。きっとこの男は自分以上に情報を持っているのだろう。本当に、嫌気が差す。いつもいつも、何をするにしても人より上を行くのだ、この男は。


「知ってる、当主殿は随分とご執心だったらしいじゃないか。……すでに亡くなっているらしいがね」

「そう。今のお前みたいに、蒼目の女人にご執心だったんだ」

「……あの男と一緒にしないでもらいたい」

「――ところで、天女の話は知っているか?」


 人の話を聞いているのかいないのか。

 話を区切った鳳黎に「御伽噺の? それとも楽曲の?」と尋ねた。


「どっちもだ。寝物語の天女と、舞姫殿が舞った悲花天女物語の天女は同一である」

「はぁ、なるほど」

「このふたつの元になった天女物語そ掘り下げると、とある文献に辿り着くんだ。天女とはこのよのものとは思えぬ美しい相貌をしている。白い花の面に、黒い絹の髪、紅要らずの唇――そして総じて、蒼い目をしているそうだ」


 ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。

 鳳黎が上げた容姿と、桃花の容姿がぴったりと当てはまった。


「紅家の蒼目の女人は不可思議な術を使ったそうだ。吐息は花を咲かせ、涙は傷を癒した」

「桃花が、天女だと?」

「もしかしたらの話だ。しかし、もしそれが本当なら諍いの原因となるだろうな」

「――関係ないさ、そんなこと」


 敬語の外れた桃真に目を眇める。

 あくまでも仮定の話。しかし限りなく事実に近い話だ。


「関係ない。彼女が天女だろうとなかろうと、僕が桃花のことを想っているのに違いはないのだから。ねぇ、鳳黎、僕は桃花を絶対に手に入れるよ」


 あのふわふわお坊ちゃんとは思えない、意志の強さに笑いが堪えきれなかった。これ以上は野暮だってわけだ。

 来るもの拒まず去るもの追わずだったあの桃真が、ひとりの少女に熱中しているだなんてこれ以上ない面白い話だ。ここにもうひとりの悪友がいたなら、酒の肴に困らなかっただろう。


 桃花を文字通り手に入れるのなら、蒼家の力くぉ使えばすぐだ。彼女の雇先である光雅楼に金を積めばいいだけなのだから。

 花を売らず、芸を売る彼女は光雅楼にとって重宝する存在だろう。現に、最高級遊女と夜を共にするために必要な金を、七日に一度の舞台で稼ぐというじゃないか。

 本人に身請けされる気もなく、店側も簡単に手放すとは思えない。口だけはうまい男だから、きっとうまくやるんだろう。

 ――これだから、人というのは面白いんだ。


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