第33話 蒼邸


 桃真の家、もとい蒼邸は、四大彩家のやしきのわりにこじんまりとした造りだった。


 桜妃暗殺未遂事件が解決するまで、桃花は蒼邸にて軟禁されることになる。手足を拘束されたり、部屋から出てはいけないだとかはなく、邸の中であれば自由にしてよいと言われた。

 兇者を仕向けた黒幕は内部にいるというのが王の見解だ。桃花は体のいい隠れ蓑にされたのだ。厄介ごとに巻き込まれた、と舌を打ちたくなる。


「桃花は誰が怪しいと思う?」

「……を含めるのなら、葵妃様と、玲香でしょうか。個人的には、世羅姫がどうしてあんなにもわたしに敵意むき出しだったのかも気になりますけど」

「うーん、それについてはなぁ……」

「なんですか?」


 池に映る月を眺めながら酒を飲み交わしていたふたりは、とても軟禁している・されているようには見えなかった。

 春桜宮と同じくらい、むしろそれ以上の居心地の良さを感じてしまっている。春桜宮では桜妃に連れて歩かれることが多かったが、蒼邸では桃真が出仕している間は邸でひとり静かな時間を過ごしていた。時折、侍女がやってきてはお茶や菓子を置いて行って、舞いの練習をしたり、書を読んだり、我ながら優雅な時間を過ごしていると思う。


 意味深に言葉を途切らせる桃真に、怪訝な表情かおをする。

 黒幕探しは難航しているようだった。賑やかだった春桜宮からは活気が失われ、東南区画の姫君たちは外出を控えるようになったという。


「なに? 早く言ってよ」

「ふふ、そう急かすものじゃないよ。桃花は、どうして僕が主上について後宮内を出歩いていると思う?」

「えぇ……? 綺麗な女の人を見たいから?」


 とは言ったものの、桃真がそんな性分ではないと知っている。笑顔ではぐらかし、ごまかして、実は興味のないことにはとんと関心が向かないのだ。


「今は八割くらい君に会いに行っているんだけど」

「そういうのはいいから」

「つれないなぁ。……僕はね、毒の芽となる花を摘み取る役割なのさ」

「毒の芽の花?」


 愛する夫以外に目を奪われるような尻軽女を振るいから落とす役目だと、桃真は言う。


「世羅姫はね、どうやら僕に恋をしているらしい」


 思わず言葉を飲み込んだ。いくら桃花でも、その言葉の意味はわかる。否、


 王の妃のひとりでありながら、桃真に恋をしてしまった世羅姫。今はまだ何もなくとも、いずれ不和が起こるのは目に見えている。

 凛々しく凍えた美しさを持つ若き王と、柔らかで穏やかな花の美貌の側近。女人であればどちらも好ましく思うだろう。――けれど、王の妃である姫君たちは、王の妻であり、国の母となる女性である。国を担う女人が、よその男にかまけていては国が傾いてしまうだろう。


「王のための花園に、異物が混入していてはいけないだろう? 間違って、ほかの花が枯れてしまうじゃないか」

「つまり、桃真様と仲の良いわたしに嫉妬した世羅姫の犯行だ、と」

「僕はそこまで言っていないよ。嗚呼、でも、嬉しいなぁ。僕と仲良しだと思ってくれていたんだね」


 ぶわっと顔が赤くなる。お酒を飲んでいるせいで、口が軽くなっている。

 あの宴の時、拒否したはずなのに桃真は相変わらず距離が近いし、「振られた」なんててんで思っちゃいない。むしろさらに距離が近くなった気がする。


 卓子の上で固く握りしめた手を、そっと上から包まれる。空いている手で頬を撫でられ、輪郭をなぞり、顎をすくわれる。


「ぁ、」


 頬は赤く火照り、酔いのせいで瞳は潤んでいた。ぷっくりとみずみずしい唇が薄く開くと、紅くてらついた舌先が覗き、情欲をそそられた。

 みずみずしい果実にかぶりつくように、押し倒したい意志を抑え込んだ自分自身を褒め称えたい。寝台に押し倒して、射干玉の髪を散らし、服を乱して、やわらかな太ももに手を這わせ――そこまで思い描いて、桃真はパッと手を放し、残り少ない杯を仰いだ。酒と共に欲も飲み込まねばやってられなかった。


 欲しいと思った女が、ひとつ屋根の下にいるという状況は酷く耐えた。これが恋であると、桃真は認めた。どこが好きかと問われれば、答え難い。艶やかな絹の髪、遠い海を映した瞳は閉じ込めて自分だけを映したい。白魚の指先が宙をもがき、するりと体を剣が滑るさまは目を奪われる。

 女性とはそれなりに景観があるが、こんなにも欲しいと思ったのは桃花だけだ。御伽噺の天女のように、心を奪われ、目を奪われ、触れたいと思うのだ。


「心配しなくても、すぐに解決するよ。それまで、この邸でゆっくりするといいさ」


 今日はもうおやすみ、と額に口付けて席を立つ。これ以上は、純白の少女を汚してしまいそうで、薄汚れた自分が浮き彫りになって苦虫を噛み潰した。


 月は高いところまで登り、降りてくるのを待つばかりだった。


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