第19話 梅重


 紅梅に濃紅こきくれないを重ねた梅重うめがさねの衣は、しっとりと重みがあり、細みの肢体にまとわりついた。

 香の焚かれた部屋で、そのひとつで一財産となるだろう長椅子にもたれた女性は、細い手に持った扇子をぱちんと閉じる。


「あの子はうまく使ったかしら」


 脳裏に思い浮かべるのは、自身のことを嫌煙する少女に仕える侍女。実家から送られてきた薬草を分けてやったが、何に使うのかは聞かなかった。わざわざわたしを訪ねてきたということは、ただの薬として使うわけではないのだろう。

 面白そうだから、というだけで分け与えたが、やはり思った通り事態は面白い方向へと転がった。


「桜妃のお客様は意識を取り戻したの?」

「はい。祥師により、解毒薬が処方され、快方に向かっております」

「そう。ねぇ、瑛祝エイシュク、私もあの子が欲しいわ。梨李紗リリシャばっかりずるいじゃない」

「……招待状をご用意いたします」


 甘い香で満たされた部屋は、どこかみだりがましい雰囲気を醸し出し、必要最低限しか明かりの灯されていない灯篭は、ぼんやりと部屋の主の影を映し出す。酒の入った杯を傾けながら、卓子に無造作に放られた文を指先で弾いた。

 蒼い目の少女。天女の如く舞う姿。春桜宮に招かれているお嬢さんの情報がつらつらと綴られていた。


 武闘会で披露された剣舞は素晴らしかった。自然と引き込まれる魅力があった。

 なにより、面布をしているから、なおさら蒼い目に視線が向かった。この国では珍しい、色変わりの瞳。蒼州で採れる蒼玉のように美しく、深い海の色をした瞳。――欲しい、と思ってしまった。


 昔々に、父から聞いたことがある。母ではない女を愛していたと。その女は気の強さを煌めかせた蒼い瞳に、とても美しい容姿をしていたと。蒼い瞳の舞い手を見たとき、その話を思い出した。


 到底子供に聞かせる話ではないのだが、父はきっと、娘に同じ素質を感じたのだろう。そこらへんの官吏よりも頭が働き、武芸にも秀でた姫君。何度、男であれば、と惜しがられただろう。男であれば、家督を継げる器が彼女にはあったのだ。

 下に弟が二人いるが、長男は自由奔放の放蕩息子で、次男は気の弱い吃音症。どちらも家督を任せるにはいまいち不安な性格をしていた。だからこそ、いざという時のために、父は娘に一族のすべてを教えた。――けれど、その娘は後宮入りしてしまい、最上級妃の四妃のひとりにまで上り詰めてしまった。


 黒髪を椅子から垂らして、王の夜渡りを待つ。

 普段の涼やかな彼女からはとうてい想像できない、濃厚で濃密な夜を王と過ごすのだ。そこに愛がなくとも、姫は妃としての役目を果たさねばならない。子を成せば、一族の名はさらに上がり、位も上がることだろう。

 王家に次ぐ位を持つ一族であるが、朝廷に参入している者は少ない。気難し屋の多い一族だから、官吏として国に尽くすことのほうが珍しかった。


「お父様は喜ぶかしら」


 今もなお、過去の女に囚われている父は、蒼い瞳に括っていた。蒼い瞳の美しい女。もしかしたら腹違いの妹かもしれない少女に、姫はくふくふと喉を転がして笑い声を漏らした。

 数か月に一度送られてくる紅山草のお礼の文に、蒼い瞳の舞い手について一筆したためた。


「主上がお越しになられます」

「そう……わかったわ」


 ぱちん、と扇を閉じて、優艶な仕草で長椅子から起き上がる。外へ繋がる扉を開けば、夜の暗がりの中、ひとつの明かりがこちらへと近づいてきていた。

 手櫛で乱れた髪を整え、王を出迎えるために扉へと寄る。

 夜伽か、それともに来たのか。無性に心がわくわくした。


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