第18話 毒
異変が起こったのはすぐだった。
「……? げほっ、」
喉が熱く、胸が苦しくなって、息が荒くなる。
「は、ぁ、げほっ、ごほっ……!」
「桃花?」
怪訝な視線を向けられる。
茶器が手からこぼれ落ちて、軽い音を立てて割れた。座っていられず、卓子に手をついて椅子から転げ落ちる。
「桃花さん!?」
「げほっ、がっ、ヒュッ、ひぐ、」
「毒か!」
場は騒然とした。
喧騒が遠くに聞こえ、視界が朦朧とする。胸が苦しくて、喉奥が熱い。舌先が痺れ、頭がぐわんぐわんと大きく揺れた。ふら、と揺らぎ、倒れそうになった桃花を支えた桃真は、その顔がひどく蒼褪めていながら高い熱を持っていることに気が付いた。
「珀怜、医局へ連絡を!!」
「は、はい!」
「春桜宮に運びます」
子供の頃に、ひどい熱を出して寝込んだ時を思い出した。とても体がだるく、瞼を持ち上げていることすら辛い。
「と、ぅま、さま……」
「喋るな。すぐに侍医を呼ぶ」
厳しい面立ちは彼に似合わなかった。
あぁ、毒を盛られたのか、と熱に浮かされる頭で冷静に思う。以前にも、舞姫としてはやし立てられる桃花を妬んで毒を持った遊女がいた。その時はひどい吐き気と、眩暈に襲われて足元がおぼつかず、二週間は寝込む羽目になった。
小柄な彼女を抱き上げた時、あまりにも軽い体重に眉根を寄せた。もともと細く華奢だったが、まさかここまで軽いとは思わなかった。
なんの毒かは分からないが、下手に動かすのはまずいだろう。全神経を注いで、揺らさないように細心の注意を払って宮まで急ぐ。
完全に気を抜いていた。主上や妃が口にするものはすべて毒見役が口にしてから食していたから、今回も大丈夫だと思っていたのに、このような事態になってしまった。
主上や桜妃を狙ったものなのか、それとも桃花か、自分か。狙いが差だけではないが、犯人はすぐに絞れるだろう。
毒が入っていたのは月餅か茶か、桃花を狙ったのであれば茶器に付着していたかもしれない。加害者は月餅を用意した尚食か茶を淹れた侍女に絞られる。月餅は主上も桜妃も口にしており、茶も同じ急須から注がれた。――となれば、茶器に毒が付着していたと考えられるだろう。
それか、主上か桜妃を狙った毒が桃花に当たってしまったか。
繊細な硝子細工を扱うように寝台にそっと寝かせる。顔色は蒼褪めているのに、頬は熱くほてり、苦し気に眉が寄せられている。
「蒼様! 侍医を連れてまいりました……!」
息を切らした珀怜が部屋に飛び込んでくる。よほど急いだのだろう、妃に仕える侍女にあるまじき呼吸の乱れはめったに見れるものじゃない。
連れられてきた侍医の
「祥
「毒ですかな」
「えぇ、そうです」
「ふむ……失礼」
袖をめくって手首で脈を測り、瞼を親指で持ち上げて瞳を確認する。その間も桃花は苦しそうで、桃真は気が気じゃなかった。
脈拍は通常よりもかなり早く、瞳孔は収縮を繰り返している。顔色は蒼褪めているが、発熱と発汗をしており、おそらくだが軽くえづいているところから吐き気もあるのだろう。――
薬となる草だが、時にそれは毒にもなる。切り傷には血止めとして、発熱には熱冷ましとして使われるが、摂取しすぎると血の気が一気に引いて、現在の桃花と同様の症状が起こってしまう。
「何か食べていたのですかな?」
「茶請けに月餅を」
「祥師、こちらです」
皿に盛られた月餅を持った桜妃に、目を瞬かせた祥は改まって恭しくお辞儀をした。
「頭を上げて構いません。今、主上もいらっしゃいます。それで、桃花さんの容体は?」
「解毒薬を飲ませればすぐに良くなりましょう。幸なことに、医局に材料がそろっております」
「よかった……!」
月餅をひとつ手に取った祥は、それを半分に割ってにおいを嗅ぎ、一口齧った。ゆっくりと咀嚼して飲み下し、再度半欠けに鼻を寄せる。
「ふむ、美味でございますな」
「師! 毒が入っているかもしれませんのに!」
「一口くらいなら平気でございますぞ。ふむ、やはり紅山草ですな。かすかにツンとするにおいがいたしまする。主上と桜妃様もお召し上がりになられたのですかな? 蒼様も?」
「え、えぇ、皆食しました。けれど、なぜ桃花だけが?」
「体調が悪かったのもありましょう。ここ数日気温が下がり寒い日が続いておりましたからのぉ。紅山草は薬として使いますが、使いようによっては毒となります。過剰摂取が過ぎると毒でございまする。月餅に少量の紅山草が混ざっております。この娘さんは主上や桜妃様よりも多くの月餅を食されていたのでは?」
言われてみれば、ぱくぱくと手が進んでいた。月餅が好物なのだ、と珍しく笑みを浮かべて教えてくれたので、主上も桜妃も微笑まし気にひとつふたつで手を止めたのだ。
春桜宮の侍女であれば、桃花の好物が月餅だと知っている。好みの茶、味まで把握しているのだ。だって、桜妃様の大切な大切なお客様なのだから、心地よく過ごせるように精いっぱいのおもてなしをしたいのだ。
よその侍女から受けていた嫌がらせを鑑みると、ひとえに決めつけられないが、加害者は春桜宮の侍女である可能性が高まった。
「ひとまず、儂は医局に戻り、薬を煎じて参りまする」
「――祥老師、医局から紅山草を持ち出した人物は把握しているか?」
「ははぁ、陛下。えぇ、えぇ、もちろん存じておりますとも。医局からの薬草、薬の類の持ち出しは全て帳簿に記しております。帳簿もお持ちいたしましょう」
祥のいなくなった部屋はしんと静まり返った。不安げな桜妃と、冷たい相貌を凍えさせた王。桃真は似合わない険しい表情で、珀怜は顔色を悪くして控えている。
「おそらく、これは舞い手殿を狙った犯行であろうな」
「そんな、まさか……!」
「紅山草が毒になると知っているのはそれなりに知識を持っている者です。ある程度の知識教養を身に着けていても知らない者の方が多い」
「――紅山草を王都へ卸しているのは紅家だ」
「まさか、葵妃様を疑っているのですか!?」
葵妃――後宮の南に、夏を司る
紅家直系の姫君であり、涼やかで落ち着いた女性である。
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