第17話 悩み事


「桃花様、ご自身の立場をよくお考え下さい」


 厳しい顔つきで吐き捨てて、部屋を出て行ったのは桜妃付きの侍女である玲香レイカ


「よく考えろっても……はぁ」


 ズキズキと痛むこめかみに、桃花は溜め息を吐いて寝台に倒れ込む。

 近頃は雨続きで外でのお茶会もできず、桜妃にお呼ばれしない限りは部屋に引きこもる日々が続いていた。雨が降ると体調不良を起こすのは幼い頃からで、花街に居ついている医師によく薬を貰っていたのだが、処方してもらっていた薬はとっくになくなってしまった。後宮でお世話になっている身としては「薬をください」だなんて言い出せなかった。


 頭痛の種のひとつでもある悩み其の一は、燕珠姫についてだ。

 顔を合わせれば話をするくらいだったのが、ひとりで出歩こうものならどこからともなく現れてくっつかれる。そう、くっつかれるのだ。やんわりと手を握られて、そっと指先を絡めとられて、ぴったりと腕に抱き付かれる。

 可愛らしい姫に好かれて嬉しくないと言えば嘘になるが、燕珠姫の瞳の奥に渦巻く情欲はどうしたものか。同性には興味がないのだけどなぁ、と思わず遠い目にあってしまう。

 燕珠姫は桃花に恋をしているのではない。舞い踊る姿に恋をしているのだ。憧れに近い感情を抱いているのだ。それも無自覚だから指摘のしようもなく、慕ってくれる姫を無碍にすることもできなかった。

 簡易的な舞を見せてあげれば、白くまろい頬を赤くして興奮気味に称賛の嵐だった。興奮しすぎて頭に血が上り気絶してしまうんじゃないかと心配になる。


 頭痛の種其の二は、何かとちょっかいをかけてくる桃真について。

 王様にくっついてやって来たかと思えば、菓子を渡されたり、耳環や飾り帯を渡されたりするものだから困っている。客間の一角が気づいたら桃真からの贈り物で溢れかえっていた。華美すぎない耳環は普段用で使わせてもらっているが。蒼一色の着物を贈られたときなんて顔が引き攣ってしまった。

 蒼色を身に着けられるのは、蒼性の者だけで、何を考えているんだこのお坊ちゃんは、と舌先まで出かかったのは新しい記憶だ。

 桜妃は興味津々な表情で「どこまで進んだの?」と聞いてくる始末。進んでもいなければ始まってもしらいない。ワクワクした目で見られても困るだけだ。


 頭痛の種其の三は、つい先ほどの侍女・玲香である。

 玲香の桃花を見る目は厳しく、ここ最近はことさらにキツい視線を送られていた。立場をよく考えて、と言うが、玲香の言う立場とは花街の遊女としてのことを指しており、よく考えろというのは桜妃の賓客でありながら桃真や燕珠姫とお茶会をしていることだろう。

 桃真や燕珠姫からの誘いを断れない桃花にどうしろと言うのか。燕珠姫のお誘いには桜妃もあまり良い顔をしないため、雨が降っているのを理由に断っているのだが、桃真については桜妃自ら宮へ招いているのだから避けようもない。


 結局のところ、ただ舞が得意なだけの遊女がちやほやされているのが許せないのだろう。


「あー……しんどい」


 髪が乱れるのも構わず、ふわふわの布団の上をゴロゴロと転げまわる。

 頭は痛いし、体はだるい。明らかに精神的負荷による体調不良だ。手持ちのクスリは飲み切ってしまったし、今日は具合が悪いのでお休みします、と言ってしまおうか。

 簡単にまとめていた紙をほどいて、のそりと寝台に寝転がる。

 トントン、と叩音がして扉が開いた。


「あら、お休み中でございましたか」


 侍女頭の珀怜だった。


「いえ、……えぇっと、どうしました?」

「桜妃様がお茶にいたしましょうとのことです。雨続きで気が滅入ってしまいますからね。空気も冷たいですし、温かい緑茶と月餅を用意しています」

「月餅……」

「以前、好きだと言っていましたよね」


 確かに、好物だ。月に見立てた丸い形に、中に甘い餡が詰まっている。渋い茶と一緒に食べると甘さが引き立って、とっても美味しいのだ。

 体調不良と月餅を天秤にかけた結果、月餅が勝ってしまった。花より団子。花街にいては甘菓子なんてめったに食べられない高級品である。食べられるときに食べなくては。光雅楼にいた時よりも少しばかり肉付きがよくなっている気がした。帰ったら内儀様に食事制限を強いられること間違いない。


「すぐに準備します」

「あら、髪くらい私が結ってあげますよ。さぁ、後ろを向いて」

「え、、いや、あの」


 戸惑う桃花を強引に座らせて、寝台に放られた簪を拾い上げる。

 銀に、水晶の玉飾りがついた質素な簪だが、うっすらと透かし彫りで蓮の花が彫られている逸品だ。桃真からの贈り物であると気づいた珀怜は何も言うことなく笑みを深めてやる気を出した。


 化粧を施していない桃花はお人形のように整った美貌をしている。日がな一日部屋にこもりがちな性分なもので、肌は色白でツヤがあり、猫目の蒼い瞳は愛嬌がある。小さな鼻に、小さな唇は口紅要らずの赤。そこらの姫君に劣らぬ美貌を持った少女が舞う姿はまさしく天女と呼ぶに相応しい、舞姫だ。

 さらさらの髪を編み込んで、くるりと簪でまとめれば完成だ。鏡台の前に散らばった化粧道具の中から紅を筆にとって唇に塗ってやる。濡れた瞳に、赤い唇は酷く蠱惑的で同じ女であってもクラッとくる色香があった。


「はい、完成。さぁ、茶室へ行きましょう」


 珀怜はわたしのことを子供か何かと思っているのではないだろうか。当たらずとも遠からず、珀怜の桃花へ抱く印象は懐かない猫だった。


 茶室とは、茶を楽しむためだけに作られたへやである。四方を開け放つことができ、晴れている日には風に吹かれる桜を眺めながらお茶会を楽しんだり、桜とともに舞う桃花を鑑賞したりもした。

 天女の如く舞う桃花と、普段のぶっきらぼうな桃花は別人かと疑うほどに差が激しい。しなやなか女性かと思えば、猛々しい男性にもなり、あどけない童にもなる。


 茶室にはすでに桜妃が待っており、毎度のことながら王様と桃真もいた。


「やぁ、桃花。今日も会えてうれしいよ」

「一昨日も会ったばかりじゃないですか……」


 卓子の並びは、桜妃の左隣に王様、向かいに桃真、右隣りに桃花だ。はじめのうちは桜妃の正面に王様が座っていたのだが、いつの頃からか気づいたら桃真が隣になっていた。つまり王様の正面を陣取っているわけだ。今ではもう慣れてしまって、お茶の味もしっかりと感じられる。


「ご機嫌麗しゅう、王様、桜妃様」

「舞い手殿も、体調は崩しておらぬか? 雨が続いているからな。風が冷たいだろう」


 一瞬ドキリとしたが、吊り灯篭の灯りで顔色はごまかせているはずだ。白粉をはたいてごまかそうかとも思ったが、舞う意外で滅多に化粧をしない自分が化粧をしていたら逆に怪しまれるだろうと、珀怜に塗られた口紅以外の化粧はしちなかった。

 よくよく見れば、白い肌はさらに蒼褪めており、紙のように白くなっているのだが、暖色の吊り灯篭のおかげか誰にも気づかれることがない。


「雨が止んだら、桃花さんの舞が見たいですわ。雨を題材にした舞なんてものもあるんですの?」

「はい。遊郭では雨と悲恋がよく結びつきされるものなんですが、客の男に恋をした遊女が、叶わぬ恋に悲しみ打ちひしがれる舞があります。涙の雨、なんてよく言いますよね。剣舞というよりは、扇舞のほうが合う舞なんですが」

「あら、扇舞! 私、見てみたいと思っていましたの!」


 きらきらと目を輝かせる桜妃に、苦笑いを隠すように月餅を口に含んだ。甘い餡がとても美味しいが、体調が悪く、塩梅の良くない胃にはすこし重たくて、無理やり茶で飲み下した。


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