第14話 お気に入り
花園を出て、春桜宮が見えてきたところで足を止めた。暴力を甘んじて受け入れる姿を見たとき、カッと頭の奥が熱くなった。
桜妃と同じ年頃だというのに、まったく違う性格のふたりには驚いたものだ。天真爛漫で活発な桜妃に比べて、やや後ろ向きな思考に用がなければ部屋を出ようとしない桃花。引きこもりがちな桃花の手を引いて、外へ連れ出す桜妃はお姉さんぶっていて、桃花を最初に見つけたのは僕なのに、というくだらない嫉妬にかられる。
一官吏は用がなければ後宮へ入ることもできず、春桜宮に引きこもる桃花と会えるのは主上に連れられて後宮を訪れたときのみだ。
面布をしていない桃花は、贔屓目なしに見ても整った綺麗な顔立ちをしている。外朝でひそかに、「春桜宮に可憐な少女がいる」と噂になっているのを知ったときは好みが焼かれる思いだった。
いつもの如く主上の付き添いで春桜宮を訪ねたまではよかったが、珍しく桃花は不在で、主上は桜妃と話し始めてしまったので探しに出たのだ。花園を訪れたのはたまたまで、桃花を見つけられたのはとても幸運だった。
桜妃の賓客ということを知らない輩に無体を働かれていたらと思うと、自然と足並みは早くなり、以前「花園を見てみたい」と言っていたのを思い出せたのは僥倖だった。予想通り、地に足のついていないふわふわした様子で花園の中を歩いていた姿を見つけて、心底ほっとした。けれど、彼女の背後に近づく影に足を止めて姿を隠したのだ。
一部の女官や召使によく思われていないというのは、桜妃の侍女頭からひそかに伝えられていた。ただ、実際にその現場を目にしていないから行動に移せなかった。
――この僕のお気に入りに手を出す輩がいるなんて、思いもしなかった。
桃真の中で、桃花はしっかりと存在を確立しつつある。ただのお気に入りの舞い手だったのが、つい目で追って、ちょっかいをかけてしまいたくなる少女へとなっていた。
狐狸妖怪がはびこる朝廷で、気を遣わずに話せる相手は数少ない。鳳黎のほかにはひとりだけ。そのひとりは州官として紅州のあっちこっちを飛び回っている。必然的に、相談相手に選ばれた鳳黎は膝を叩いて大爆笑だった。ムカついたので後頭部をぶっ叩いたら「不敬であるぞ」と震えた声で言われた。威厳もクソもあったもんじゃない。
侍女の三人には見せしめとなってもらうつもりだ。うまくいけば、桃花への嫌がらせもなくなるだろう。……だというのに、どうしてこんなにも気持ちがあらぶっているのか、桃真自身にもわかっていなかった。
「――……怪我はないかい?」
「え、えぇ。桃真様がかばってくれたので」
「いつもあんなことが?」
「ぶたれそうになったのは今日が初めてですよ。いつもは嫌味とか、悪口とか。それもここ最近の話なので、別にどうってことはないです」
ムスッと口を結んだ桃花に、だんだんと腹が立ってきた。どうした頼ってくれないのか。そんなに僕は頼りないだろうか。
「桃真様のお手を煩わせるようなことじゃあ、」
「違うだろ、もっと他に、言うことがあるだろう」
「あ、助けてくださり、ありがとうございました。あのままでは、きっとぶたれていたでしょうから。内儀様に、顔に傷を作るなとキツく言われているので」
つまり、顔以外には傷があるということか。
感情の赴くままに、掴んでいた腕の袖をまくり上げる。
「ッ! これは」
「あ、えーっと、これは……転んだ時にぶつけて」
居心地悪そうに目を反らす桃花の白い腕には、複数の痣があった。赤く新しいものから、青紫に変色したものまで。
グッと奥歯をかみしめて、努めて冷静を装う。
「誰にやられたんだい?」
「誰っていうわけじゃ、本当に転んでできたので」
「君が躓いたり会談で転ぶような愚鈍だなんて、僕は初めて知ったよ。それで、誰にやられたんだ」
決めつける声、冷ややかな視線に、身震いして溜め息を吐く。
「名前は知りません。ひとりでいると、背中を押されたり、足をかけられたりすることがたまにあるんです」
「さっきの彼女たちか?」
「まぁ、そうですね」
絡まれる原因は貴方なんですけどね、と口には出さない。
だって桃真様はお役人様で、わたしはただの舞い手である。今は桜妃様に気に入られているが、何かあればすぐに胴体と首がおさらばしてしまう。御貴族様にとって、わたしは道端に生えた雑草と同様の命である。
「すまない。もっと早くに気づけていれば……」
痛ましく、麗しい
「大丈夫です。昔から怪我の治りが早いので。数日もすれば痕も綺麗になくなります」
それに、どうせ痛みを感じないのだ。
服に隠れて見えない場所なら、いくら怪我をしたってかまわなかった。
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