第13話 嫌がらせ


 桃花の一日は、基本的に桜妃の気分で決まる。

 舞が見たいと言われれば舞い踊り、散歩に出かけると仰れば連れて歩かれ、ほかの妃や姫との茶会に連れていかれたときは場違いすぎてお茶の味がわからなかった。それも、一か月が過ぎれば慣れてしまい、桜妃のほかにも数人の姫と顔を合わせれば会話をする仲になった。

 好意的な感情だけであればよいのだが、花街の遊女モドキが後宮に滞在していること事態許せないという過激な輩もいる。今のところは桜妃の影のおかげで被害に合うということはなかった。


「なんだか臭い臭いと思いましたら、卑しい売女がいるじゃあありませんか」


 気分転換にと思い、春桜宮の近くにある花園を散策していた桃花は、部屋から出なければよかったと後悔する。


「……御機嫌よう、皆さま」

「なぁにが御機嫌よう、よ。いくら取り繕ったって、その卑しい臭いはごまかせませんわ」

「桜妃様も、どうしたってこんなに臭い小娘を宮に置いているのかしら」

「あなたがいることで桜妃様の品も疑われてしまいますことよ」


 要約すれば、さっさと後宮から出ていけ、ということだろう。


「わたしがここにいるのは桜妃様のご要望です。文句があるなら桜妃様に直接ドーゾ」


 呆れを隠さない桃花の態度に、よその侍女たちが顔を赤くして憤慨する。

 彼女たちはそれなりに仲良くなった姫の侍女たちであると記憶している。お仕えする主が、花街の女と仲良くするのが許せないのだろう。ことあるごとにちょっかいをかけてきては嫌味を言われ、小突かれたりと地味な嫌がらせをしてくるのだ。

 くさぁい、とわざとらしく鼻をつまんで詰る侍女に「化粧が崩れてブスですよ」と思わず口から出てしまった。はじめのうちは姫に付き従う侍女だし、と態度も改めていたが、こう何度もつっかかられると猫を被るにも限界がある。


 カッと顔を赤くして、振り上げられた手のひらに、一発ぶたれておけば後から言い訳もできるかな、と冷静に考えて桃花は衝撃に備えて目を瞑った。もし爪で目を引っかかれて失明でもしたら堪らない。


「……?」


 しかし、いつまでたっても衝撃が訪れない。そっと目を開ければ、見慣れた蒼い衣が視界に映った。


「桃真様?」


 きょとり、と目を瞬かせて名前を呼ぶ。


「美しい花に、暴力は似合いませんよ」


 柔らかな声音に、困ったような笑み。

 優しい口調であるはずなのに、桃花にはそれがどうしてか後ろ寒く聞こえた。


「蒼様……!」

「こ、これは、その」

「違うんです! 彼女のほうから絡んできて!」

「――そうなのかい? 桃花?」


 肩越しに振り返った美貌は、笑みを浮かべているのに瞳は酷く凍えている。

 え、なんでこの人こんなに怒っているんだ。春だというのにも関わらず、背後が吹雪いて冷たい空気が漂っている。

 正直に話したとて彼は信じるだろうか。しかしここで嘘をつく必要性も感じられない。

 侍女三人組は顔を赤くしたり青くしたりと忙しない。美形イケメンだもんな、この人。


「わたしは、ただ散歩していたら彼女たちが突っかかってきたんです。売女が高貴な宮に相応しくない、桜妃様の品を疑ってしまう、と」

「なるほど。……これは立派な、桜妃様への侮辱と捉えてよろしいでしょうか? 貴女たちは……燕珠エンジュ姫の側仕えですね。宮官長にこのことを報告させていただきます」

「お、お待ちください! 蒼様は、わたくし共より、そこの女を信じると仰るのですか!?」


 泥沼の予感がする。花街にいれば、好いた惚れたの恋劇場に出くわすことなんてざらにあったが、後宮に来てまでそれに巻き込まれるとは思わなかった。

 はじめは、花街の一遊女である桃花がお仕えすべき姫と仲良くするのが気に入らないから突っかかってきていたのかと思いきや、そうではなかったようだ。

 手を振り上げた侍女その一の桃真を見る瞳は熱に浮かされ、完全に恋する乙女。王様を伴って、後宮を訪れることの多い桃真に彼女は恋をしていたのだ。


 家柄良し顔良しの独り身官吏である桃真は、外朝でも内廷でも人気の的だ。

 後宮を訪れれば必ず桃花にちょっかいをかけていく桃真に、彼女はやきもきしたことだろう。突然桜妃の賓客としてやってきた花街の小娘に、愛しい人が夢中なんて、姫に仕える由緒正しい家柄のお嬢さんには許せなかったのだ。


「僕はあくまで公平な立場から物を言わせてもらいますが、僕は彼女の人となりを知っています。彼女が意味もなく暴言を吐いたり、ましてや舞い踊ることが仕事の彼女が自ら体を傷つけるような暴力を振るったりするわけがありません。桃花が、貴女たちに暴力を振るわれそうになっているのを見たから間に入った、その事実だけで十分なんですよ」

「そんな……! わたくしは、そんなつもりじゃ……!」

「貴女たちは桜妃様の賓客に暴言を吐き、手を上げた。処罰は後ほど伝えます」


 ついには泣き出してしまった彼女たちを一瞥することなく、桃花を振り返った桃真は細い手首を掴み引いてさっさと歩き出す。そこに会話はなかった。ただただ気まずい雰囲気だ。

 手首を握る力は強く、触れる手のひらは冷たかった。


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