第12話 天女物語


 普段舞っている舞が見てみたいわ、と言ったのは桜妃様で、ここ数日はよほど気に入ったのか武闘会で披露した「志雄英伝」をねだられていた。

 剣舞をするなら、衣裳を整え、化粧を施し、髪を結わい、玄人プロとしての意地プライドがあった。衣装を整えて剣を持たなければうまく気持ちの切り替えができないのだ。

 いつもの如く、準備をしていた桃花は「主上がいらせられます」という言葉に愛剣を落としてしまいそうになった。

 化粧をしている最中で、盛大に頬を引き攣らせる。なんだって今日に限って王様がいらっしゃるんだ!


 荒ぶる心を落ち着かせながら、ひとまず化粧を終わらせて、姿見で衣装を確認する。射干玉ぬばたまの髪は一切結わえられずに背中を流れ、絹糸のようにさらりと地面に向かって落ちていく。白い衣装に合わせて、白絹の面布を慣れた手つきで付けてしまえば完成だ。

 剣を手に、部屋を出れば珀怜が待っていた。


「桃花様は素顔も可愛らしいですけれども、お化粧をしたお顔はとてもお美しいですね」

「……貴方たちのほうが綺麗だと思うけど」

「あら、嬉しい言葉ですね。さぁ、桜妃様と主上がお待ちです。行きましょう」


 心底行きたくない。

 桜妃様の前で舞い踊るのには慣れてしまったが、王様の前で舞うなんて緊張で手が震えてしまいそうだ。カシャン、カシャン、と剣が音を鳴らし、心臓が早鳴る。王様の前で失態なんてできない。


 当初の予定では、高貴な男に身分差の恋をした女の悲恋を舞うつもりだったが、王様が来るのなら別の題材にしよう。前者はお客にも人気だが、もっと見ごたえがあり人気な剣舞がある。

 人間の男に恋をした天女の物語――桃花の最も得意な舞だ。


「舞い手殿、ご機嫌はいかがかな」

「大変よろしゅうございます。桜妃様も、侍女の方々もとても優しく気を使ってくださり、とても居心地よく過ごさせていただいております。」


 王の斜め後ろにはいつもの色男が控えている。主上の側近なのだろうか。


「今日はどんな舞いを見せてくださるの?」

「――人間の男と恋をした、天女の物語でございます」


 くつを脱ぎ、庭へと降り立つ。ふわり、とうすぎぬが浮かび、細い肢体に絡みついた。


 子供の寝物語として語られる御伽噺のもとになった天女伝説だ。


 昔々、天女がいた。

 天女の一族は人里離れた山の高いところに住み、世俗とはかけ離れた生活をしていた。日々仙術の修行に明け暮れていた天女は、気まぐれに降りた人里でひとりの男と出会う。

 男はそこら一帯を治める豪族の息子だった。

 白い雪の肌に、煌めく宝石をはめ込んだ瞳、艶やかな髪をした、とても美しい天女に一目で恋をした。気まぐれに里に現れる天女を見かけるたびに声をかけ、贈り物をして、うたを詠んだ。

 恋だの愛だの、仙人の道に必要なしと切り捨てていた天女だったが、男の熱情こもった気持ちにしだいと絆され、指を絡めあう仲となる。

 ――しかし、天女は徒人ではなく、男は徒人。生きる世界が違えば、流れる時も違った。年月を重ね、成長し、老いていく男と、変わらぬ美しさを保つ天女。天女の息吹は花を咲かせ、天女の涙はあらゆる傷を癒す。けれど、時間の流れと老いには敵わなかった。

 豪族の跡取りの務めとして、一族を繁栄させるために子を成さねばらななかった男は天女に結婚を申し出る。しかし、天女は頷かなかった。否、頷けなかった。置いていかれて、独りぼっちになってしまうのが怖かった。酷く恐ろしかった。

 天女ではない女を娶り、子を成した男に会いに行く勇気なんてなかった。仙人の里で泣き暮れて、泣き喚いて――気づけば、男は死んでしまっていた。長い時を生きる天女は、人と結ばれることはない。天女は何よりも孤独を嫌う。どうせ独りになってしまうのならば、初めから独りでいればいい。

 ひとりの男の魂を送る鎮魂の舞を捧げた天女は、二度と人里へ降りることはなかった。――もしかしたら、その天女はいまもどこかで生きているかもしれない。


「なんて、悲しい舞だ」


 瞳を細めて、舞い踊る桃花を見る。

 しなやかな指先が宙をもがき、踏み出された足は桜の花びらを散らしながら石畳の上を駆ける。帯飾りの珠がぶつかり合い、足首にはめられた銀環がしゃらしゃらと奏でる音はまるで泣いているようだった。

 人里への好奇心、男との出会い、関係の変化、悲哀に暮れる慟哭、愛しい男を亡くした孤独。華国カコクで育った子ならば誰もが知っている御伽噺だ。


 独りぼっちになってしまった天女の慟哭が聞こえるようで、桃花が不意に消えてしまうかのような不安に駆られた。

 桜妃は悲恋の天女に涙を滲ませ、侍女の中には号泣している者もいた。それだけ、桃花の舞には感情がこもっており、見る者に訴えかける言葉があった。


「悲花天女物語、か」


 片足を軸にくるくる回り、ふらり、と大きく胸を反らして後ろへ倒れていく。花びらが舞い上がり、黒髪が扇状に広がって、まるで彼女を引きずり込む冥界の手に見えた。


「桃花!」


 思わず、駆け寄ったのは桃真であり、「あらあら」と桜妃は丸くした目を王と合わせる。


 ぼんやりと、宙をさ迷っていた蒼い瞳が、焦燥をあらわにする男の顔をとらえる。

 熱量で震える指先がすらりと細い頬を撫でて、言葉を紡ぐ。


「――お会いできてわたくしは嬉しゅうございますわ」

「桃、花?」

「あなた様の子を成せなかったこと、とても、とても後悔しておりました。あの時、あなた様の手を取っていれば――あなた様がいなくなってから、ずっと心が寒かったのです。長い長い年月を、ひとりで過ごし、天女としての自分を捨ててでも、あなた様のおそばにいればよかったと、何度後悔いたしましたでしょう」

「桃花、何を言って」

「嗚呼、様、わたくしはあなた様のことを一等愛しておりまする」


 蒼い瞳は、桃真ではなく、別の人物を映し出している。それがどうにも歯がゆくて、むしゃくしゃした。


 正気じゃない、浮世離れした雰囲気に呑まれかけていると、頬を撫でていた手が急激に力を失い、ダラリと地面に落ちる。


「桃花、桃花!?」

「――……聞こえています、桃真様。あまり大きな声を出さないでください」


 億劫に閉じた瞼を持ち上げて、支えられるように立ち上がる。


 ぽろぽろと涙を流す桜妃は大きく手を打ち鳴らし、それに続いて侍女たちが声を上げて泣き出してしまい、その場に崩れ落ちる者もいた。


「どうでしたか、わたしの演技パフォーマンスは?」

「演技……?」


 あれが、演技であったというのか。

 唖然とする桃真は、桃花が遠い存在に思えて、それこそ天女のように消えていなくなってしまうのではないかと思えてしまった。

 支える手に力がこもる。


「……あれは、僕以外にもやっているのか?」

「いいえ。今日が初めてです。だんだん、舞っている最中に気分が高揚してしまって、天女の気持ちが入り込んできて、気づいたら自然と言葉を紡いでいたんです、天女は身が焼き焦がれてしまうほどの恋をしていた。――まぁ、わたしは一目惚れとか信じていないんですけどね」


 ぐすぐすと鼻をすする集団に近づいて、改めて礼をする。


「いかがでしたでしょうか」

「素晴らしかった。武闘会のときも心を揺さ振られたが、今のはそれ以上に心を動かされた。素晴らしい舞と、舞い手殿に褒美を取らせよう」

「でしたら主上、桃花さんにお召し物を誂えていただきたいわ!」


 ぐす、と目元の涙を拭って声を上げる桜妃にぎょっとする。


「せっかくのお客様なのに、桃花さんったら余った侍女の服を着たり、持ってきた服を交互に着るばかりなんですのよ! せっかく綺麗で可愛らしいのにもったいないじゃあありませんか。それに、来月の御花園での茶会にはぜひ桃花さんにも参加していただこうと思っておりましたの!」

「嗚呼、それは良い。花の中で舞う姿はさぞ絵になることだろう。なぁ、桃真もそう思わないか?」

「……えぇ、そうですね」


 どこかぶすくれた声音にちらりと視線を持ち上げる。


「あら、蒼様ってば不貞腐れていらっしゃるの?」

「はは、愛しの舞姫が奪られそうで不機嫌なんだろう」


 愛しの、舞姫?

 ぱちくり、と目を瞬かせて桃真を見る。


「……酷い顔をしているから、見ないでもらえるかな」

「貴方、嫉妬とかするんですね」

「お気に入りの玩具おもちゃがとられて不満なんだよ」


 玩具じゃねーよ、とそっぽを向いた横っ面を引っ叩きたくなった。

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