第11話 碁


 ソウ桃真トウマの印象は、穏やかな気質のお坊ちゃんだ。

 礼節と外交を司る礼部に所属する一官吏で、礼部侍郎の補佐のような立ち位置であり、官吏となってからは本人の高い能力もあって出世街道をとんとん拍子でゆっくりと進んでいる。

 顔良し、性格良し、頭良しの三拍子そろった蒼青年には常日頃から膨大な量の釣書が届いている。


 パチ、パチ、と白と黒の石を打つ音が室内に響く。茶のお供は蒸し饅頭だ。


「随分と、あの娘に入れ込んでいるようだな」

「コロコロ変わる表情が小動物のようで可愛らしいんだ」

「あぁ、昔からお前、猫やら犬やら好きだったもんな」


 ふたりきりの室内で気安い会話が飛び交う。

 さらり、と肩から輝く銀髪を流し、切れ長の瞳にはどこかぼんやりとする桃真が映った。


「俺の妃も、熱を上げていて困っているのだがな」

「黄家は芸術家気質だからね。素人目から見ても、桃花の舞は素晴らしいんだ。目の肥えた梨李紗リリシャにしてみればそれ以上に素晴らしく見えるんだろう。まったく、桃花を見つけたのは僕なのに……」


 王の執務室の窓辺の卓子で碁を打つ桃真の相手は、この部屋の主である国王陛下その人であった。王とその配下だというのに緩やかに流れる時間と穏やかな雰囲気に、昨日今日の仲ではないのが伺える。


 桃真が殿試に受かったのは四年前、十五歳の時。生家の老害共にうんざりして、さっさと家を出るためになんとなく受けた国試に合格してしまい、その次の会試にも合格、果ては殿試に第二位の榜眼ぼうげんで合格。

 試験が簡単すぎたのか、それとも桃真が優秀すぎたのか。当時はこんなちゃらんぽらんが受かってしまって大丈夫なのかと自分自身で心配になった。

 王と――鳳黎ホウレイと出会ったのは国試の会場だった。不自然なほどに黒い髪を結わえたやたら顔の良い青年・鳳黎が受験者に絡まれているのを助けたところからの付き合いになる。当時はまさか鳳黎が次期国王陛下で、さらに三元(国試、会試、殿試のすべてで主席を取った者に送られる呼称)をかっさらっていくとは思いもしなかった。


「確かに、彼女の舞は素晴らしかった。まるで命を削るような舞だ。粗いところもあるが、洗練されており見る者を魅了する舞だ。もう一度彼女の舞を見たいと、一部の武官たちが遊郭に通い詰めているそうだぞ」

「当の本人は桜妃様に囲われてしまっているというのに」


 その声音はどこか残念そうだった。

 桃花を見つけたのは桃真である。お気に入りのおもちゃを取られた子供のような、拗ねた表情に鳳黎は片眉を上げて驚く。

 桃真という男は、飄々としていて、何にも執着をしない男だ。好きな食べ物は食べられる物であればなんでも。好みの女は、来るもの拒まず去るもの追わず。蒼家というだけで近づいてくる者は多い。それだけ、蒼家という氏は大きな影響力を持つ。

 礼部の机だけでなく、邸の卓子にも未開封の釣書が積み重なっている。


「なぁ、お前、いつになったら本気を出すんだ?」

「僕はいつでも全力だよ」

「お前が本気を出していたら、さっさと吏部侍郎にでもなっているだろう。寝言は寝てから言え。そしてさっさと昇進して俺の側近になれ」

「……またその話かい」


 指で挟んだ碁石をパチン、と打つ。


 若くして、桃真ほど優秀な官吏はいない。礼部の侍郎補佐としてくすぶっているのがもったいないと常日頃から鳳黎は思っているのだ。

 桃真の能力を活かすには人事を司る吏部や、司法を司る刑部がぴったりだろう。穏やかで綺麗な完璧すぎる笑みを浮かべた裏側は底なし沼のように闇が深い。

 切れ者と名高い吏部尚書か、合理主義の刑部尚書か、どちらが先に桃真を引っこ抜くだろうかとひそかに賭け事にされているのは当人の知らぬことである。鳳黎にしてみれば、いっそ中書省に来てくれた方が呼び出しやすくて良いのだが、きっと本人は拒否をするのだろう。


 飄々としていて、柔和な笑みが標準装備。容姿端麗で頭の回転も速く、女官だけでなく下吏からの人気も高い。ついでに家柄も高いトップクラス。意外と寂しがり屋で、物にも者にも執着はしない主義。――そんな桃真が、熱を上げている舞い手に、鳳黎がきょうみを引かれないわけがなかった。

 舞踏会の時に一度だけ顔を合わせたが、印象に残っているのは国宝にも勝る美しい蒼い瞳。見惚れてしまうのも頷ける美しさだった。

 一度挨拶に行くべきかと思案して、パチン、と石を打つ。


「……参りました」

「考え事などしながら俺の相手をするからだ」


 最後の饅頭を手に取って、さっさと立ち上がる。思い立ったらすぐに行動だ。今日の公務はもういいだろう。税を上げるべきだの、俸禄を上げるべきだのと阿呆な法案ばかり上がってくる。税を上げれば民から不満の声が上がる。

 幸なことに今年は米も野菜も豊作で、干ばつ被害もない。大きな水害に見舞われることなく、何事もないまま一年が過ぎて欲しいものだ。

 上着を手にした鳳黎を不思議な目で見る桃真にニヤリと口角を上げる。


「桃真の愛しい舞姫に会いに行こうじゃないか」


 完全に面白がっている王に深く溜め息を吐いた。


 桃真は王様に仕えているわけでも、国に、民に仕えて官吏をやっているわけでもない。ただ実家から抜け出したくて、自立しようと思い官吏になった。官吏になれば決まった額の俸禄が入るし、礼部侍郎補佐という立ち位置はそれなりに楽で気に入っている。

 こうして碁に付き合うのだって、自分自身の息抜きもあるが、紫鳳黎というおとこを気に入っているから付き合ってやっているのだ。

 行くぞ、という王様の言葉に僕は礼部の所属なんだけどなぁ、とぼやきながらも「はい、主上」と立ち上がった。

 進士たちには主上の側近と思われているが断固違うと拒否したいのに、周囲の扱いもだんだんそんな風になりつつある。そんな適当でいいのか。

 ただ、桃花に会いに行く口実が増えたのは喜ばしいことである。


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