手を引かれて
人は光に向かって進むと言う。
しかし、俺は昔からの性分からか暗闇を好むようで、自ら暗闇に向かうことを好む。むしろ光に当たると自分の醜さや愚かさが明るみに出るようでそういった日の当たる場所は避けて歩く。
今年三年間通っていた高校を卒業した俺は進学もしなければ就職もせず、ただぼぅっと街を散策する毎日を送っている。この街では冬川健治という俺の名前を知らなくても俺の顔を知らない者は少ないだろう。それほどに一日の大半をこの街で過ごしている。
いつものように家を出て、いつものように行きつけの喫茶店に入る。店員は顔なじみの客が来たというよりコーヒー一杯で夜まで居座る迷惑な客が来たかのような表情をした。実際その通りなのだから反論に困る。俺はいつも通りコーヒー一杯で夜まで居座り、会計を済ませて店を後にした。ごちそうさまと言ったが店員に反応はなかった。
時刻は午後六時。もう帰宅してもいい頃合いだ。しかし特に帰る気にもならず、俺は散策を続けた。
町は昼間と雰囲気が変わり、サラリーマンやOL、学生が目立つようになる。中にはガラの悪い輩もいるが、まあ俺もそれらと大差ないかもしれない。
俺はそれらから逃げるように路地裏へ入る。路地裏は閉鎖的で光が差さず、よくないものが潜んでいそうだ。こんなところにいたら的場に怒られるだろうな。
的場は高校時代の俺の後輩だ。的場 愛。今は高校三年生で今年受験生だ。見てくれは可愛らしいのにドが付くほどの真面目な奴で、真面目に授業を受けない俺によく怒っていた。
的場とは部活で知り合いそれからの腐れ縁になる。同じく部活繋がりで五十嵐 順、杉浦葉子先輩とも知り合うが割愛させてもらう。校舎裏で授業をサボるとき授業が終わるころいつも的場に見つかり、いつも手を引かれて教室に連れ戻されるのだ。どっちが先輩なのかわからないと五十嵐にからかわれたくらいだ。
いつも俺に腹を立てているくせに、俺に構って好き好んで世話をして、気が付けば近くにいた。遠くに行こうとしても離してくれず、的場がいたから闇の向こうへ行かなくて済むのかもしれない。
しかし、今や俺は学校を卒業し、的場は一人学校に残った。もう俺の手を引く者はいない。
だから、今ならこの闇の向こうへ行けるかもしれない。
「何してるんですか、先輩?」
路地裏の向こうへ行こうとしたとき、背後から女の声が聞こえた。
「愛か」
「的場です。そんな暗いところで何をしているんですか?」
背後には例の後輩、的場 愛がこちらを見ていた。俺はバツが悪そうな顔をして、平静を装うように振舞った。
「何、未だ存在し続ける俺の探求心がこの路地裏を求めてな」
俺は訳のわからない妄言を言った。なんだ探求心って。そんな前向きな感情が俺にあるわけがないだろ。
「馬鹿なこと言ってないでこっちに来てください」
「こっちに来てはいけない」
こちらに近寄ろうとする的場を制した。
「君はこちら側に来てはいけない、君はまだ青い果実のヤングなのだ。こちらはいわばアダルト、大人の世界なのだ」
「いや、定職に就いていないだめな大人に言われてもぜんっぜん説得力感じないんですけど」
「ぐふっ、なかなか痛いところを突いてくるね、おじさんびっくりだ」
これだから社会を知らない若者は困る。しかし悲しいことにこういう若者が多少挫折を覚えても最終的には社会に適応して結婚してそこそこ幸せに過ごすのだろう。社会不適合者の俺にはとても真似できない。
「とにかくこっちに来なさい!」
「きゃー、おそわれるー」
「誰が襲いますか、誰が!!」
そう言って的場は怒りながら俺の手を掴んで表通りまで引っ張りあげた。そのあとも手を離さず俺の手を引いて歩いた。
「もう離しても良いんじゃないか?」
「だめです。目を離したらどこかに行っちゃいそうですから」
そう言って彼女は最後まで手を離さなかった。
俺は彼女に見つからなかったら、あちら側に行けたのだろうか?
結局今日は行けなかった。それは良かったのか残念なのか、わからない。
*
「じゃあ私は帰りますが、先輩はちゃんとこのまま家に入ってくださいね」
結局俺は自宅まで的場に連れられてきた。何故彼女が俺の家を知っているのか恐くて訊けなかった。
「前みたいにいつも一緒にいられるわけじゃないんですから、あまり危ないところに行かないでください」
「あぁ、ところで前から疑問だったんだが、愛は俺のことが嫌いなのにどうしてそこまで世話を焼くんだ?」
すると的場は顔を赤らめて目を背けて言った。
「的場です。……私は、先輩のこと少なからず知ってますから」
「俺のことを?」
「先輩は、不真面目で授業もサボったり部活も真面目にやらないし、何事も投げやりに生きてますけど、そんな先輩でも先輩なりに頑張ってて、それでも頑張れないから自分をテキトーに扱って、あんな危ないところに行っちゃって、見ていて目が離せないんです」
的場は今にも泣きだすように言った。普通の人間ならそんな的場を愛おしく感じるのだろうか?自分のことを心配して、理解してくれて、寄り添ってくれる彼女を好きになるのだろうか?
「私は不真面目な人は嫌いですけど、先輩のことは好きですよ」
的場は俺の手を取って微笑んだ。それは愛らしき女の子の姿だった。
そんな彼女をなんとも思えないことが、俺に絶望を与えた。自分を好きだと言った女の子に何の感情も湧かないことが虚しかった。
それから的場と別れ自宅に戻った。暗闇の自室に入り電気もつけずベッドに座った。虚空の闇を見つめた。あのまま闇の向こうへ行けたらどうなっていただろう。
そんなことを考えている内に夕飯も食べずに眠りについた。
おわり
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