第29話 涙


 ようやく彼女の姿を見つける。


「――ごしゅじん」


 声をかけようとして、背を向けたままの彼女が俺の存在を言い当てる。

 

「なんで分かったんだ」


「ごしゅじんのこと分からないわけない。匂い、足音で絶対に分かる」


「そっか、俺は大分時間かかっちまったよ」


「ごしゅじんこそ、どうして?」


「街の外壁に居るとは思わなんだが……」


 見つからない訳だった。


 街には居るが、外壁に上っていたのだ。

 ここに来る時に俺たちを足止めした衛兵から、上っていったと聞けてようやくだった。


「俺たちは縁の鎖で繋がってる、だろ?」


 彼女が縁から降りてこちらを向く。


「……そう、私とごしゅじんはずっとこの鎖で繋がってる」


 胸に手を当てるリルの表情は俯いていて、よく見えない。

 いつもみたいに彼女の頭を撫でて落ち着かせようと、一歩足を出す。

 しかし、彼女の足が少し、俺から後退りしたのを捉えてしまった。


「何か、あったのか? 俺が何かしちゃったか?」


「……ううん。ごしゅじんは、悪くないの」


「じゃあ」


「悪いのは、私……あの時、私はごしゅじんを裏切った」


「裏切ったって……」


「ごしゅじんを庇った時、私は勝てないと思った。だから、ごしゅじんだけでもと思った」


 グレーターオーガがとどめを刺しに来る直前のことか。

 でも、あれのどこに裏切ることなんて。


「あのアーツを使ってくれた時、ごしゅじんの気持ちが痛いくらいに伝わった。絶対に諦めないって、私のことずっと信じて、大切に想ってくれてるって」


 <ブースト>を使う時に言っていた。俺の意思が伝わるのだと。


 彼女の言葉をきっかけに<限定解除>を編み出せたのであれば、当然、使用時に俺が考えていたこと、思っていたことが伝わったのだろう。


「それは当然――」


「――私は、心のどこかでごしゅじんをずっと疑ってた」


 らしくない、荒げられたリルの語気。

 そして、表を上げたその表情に言葉が詰まる。


「また会えてから今日まで、一緒に居られて、ご飯も食べれて、毛繕いも出来た、戦ってるところを見てもらえた。嬉しくて、暖かくて、幸せだった」


 彼女が両腕を掻き抱く。


「でも、ごしゅじんがまたどこかに居なくなるって話が頭から離れない、ううん、時間が立てば立つほど、一緒に居られれば居られるほど忘れられない」


 再契約する直前、俺が自殺を試みようとして灰色の狼――リルが防いだ時のことだ。


 あの時俺は限界を向かえていて、リルとは知らずに全てをぶちまけてしまっていた。


「だから、目を覚ますと必ずごしゅじんが居なくなっていないか心配になる、私のことなんてどうだっていいのかもしれない、って怖くなる」


「リル、俺は」


「でもっ、ごしゅじんはそんなこと考えてないって」


 ――どうして、そんな泣きそうな顔をして耐えてるんだよずっと。


「ボロボロになっても私のこと考えてくれてるって分かって……違う、ずっと分かってたのに、私、私っ」


 膝から崩れ落ちそうになった彼女の身体を抱きしめる。

 リルが腕の中で暴れ、離れようとしてくる。


「離してっ、私、悪い子だった」


「違う、そんなことない」


「ううん、ごしゅじんを信じられなかったっ、私に契約する資格なんて――」


 ――ああ、やっぱり俺には、今のリルはゲームの存在だと思うことができない。

 俺のために泣いてくれている、この感情剥き出しの姿を。


 だから、それから先の言葉は言ってほしくなかった。 

 彼女の顔を掴んで、俺の目を見させる。


「それ以上は、言わないでくれ。むしろ、資格がないのは俺なんだよ」


 気にしない、とあの時は言っていたけれど、ずっと彼女を苦しめることになっていた。


 当然だ。

 ずっと待っていた相手に忘れていたなんて言われたのなら。


「でも、お前はずっと怒らないで、それどころか自分のせいだと責めてる。リルは裏切ってなんかない、信じられなかった訳じゃない、優しいんだ」


 しかし、どれだけ邪険に扱われようと、瀕死になろうとも、俺のことを考えて行動し続けていた。

 

「ありがとう、リル。でも、もう無理はしなくていいんだよ」


 ライトグリーンの瞳が一際大きく見開かれ、涙が溢れる。

 

「辛かったら辛い、寂しいなら寂しいって、怒りたいなら怒っていいんだ」


 嗚咽。堰切ったように彼女は俺の肩を掴んで押し倒した。

 

「辛かったっ、お姉ちゃんたちも居ない、ごしゅじんも居なくて一人でっ! ずっと、ずっと、寂しかったんだよ!」


 彼女の腕が俺の胸を叩く。


「どうして忘れるの、忘れないでっ、覚えてて、ちゃんと私のこと見ててっ!」


 何度も何度も叩かれる。


「勝手に居なくならないでっ、抜け出した時怖かったっ、まだ怒ってるっ」


 堪えようとしても、リルはしゃくりあげる声や涙を止められない。

 

「もう二度と一人になりたくない、私はごしゅじんとずっと一緒に居たいよっ、私っ、もっと強くなるからっ、誰にも負けない、どんな奴でも狩ってみせるからっ、二度と諦めないからっ、だから――」


 爪が刺さるくらい強く肩を握られる。


「――絶対に私を置いていかないで、ごしゅじん……」


 それは無理だ、と頭のどこかで声がする。


「分かった、何があっても置いていかない」


 そんな声を俺は無視した。

 そうだ、その通りだ。

 本当は安請け合いなんてすべきじゃない。


 いつサーバーが落ちるかも、ログアウトするかも、という可能性は否定された訳じゃない。


 もし、仮にログアウト出来たとしたら、絶対にリルを何らかの形で現実世界にセーブできるようにする。


 金がかかるのならいくらだって払う。

 運営に頼み込む、会社に押し入ってもいい。

 何をしてでも、目の前の彼女を放ることはしない。したくない。


「本当に……?」


「約束する」


 これは覚悟だ。

 嘘にしないために、俺は覚悟を決める。


「だから、リル。勝手なことを言っているのは分かってるが……俺とまた旅を、契約を、してくれないか」


 改めて言わなければならない。

 リルの考えや想いを知ることが出来た今だからこそ。


「……私、もう、我慢しないよ」


「今がし過ぎなんだよ」


「ほっといたら噛むから」


「お手柔らかに頼む」


「ごしゅじんは私のものだって、ちゃんとマーキングしないと。だからだめ」


 リルが離れ、俺の手を引いて立ち上がらせる。


「縁の鎖朽ち尽きるまで、ううん、私とごしゅじんの鎖は絶対に朽ちさせない。何があっても。だから、ごしゅじん。私と旅を、契約を、してください」


 お互い見つめ合う。

 少し照れくさくなって視線を外そうとした時、彼女の手が俺の顔に伸びていた。


 一瞬の出来事――リルの顔が近づいたと思ったら唇が触れていた。


「ごしゅじんと私は番いだから。人間のやることはよく分からなかったけど、これは……良い」


「お前、こんなのどこで」


「……晩御飯の帰りにしてたの見つけた、ずっとやってみたかった、ふふ」


 泣き腫らした赤い瞼のまま、リルが屈託のない笑みを浮かべる。

 そうか、やっと彼女はちゃんと笑うことが出来るようになったのか。


 ああくそ、俺はなんて鈍感なんだろう。

 

 ふと、魔獣契約の詠唱句が頭に過った。


 縁の鎖朽ち尽きるまで、万難を打ち砕き、哀歓を共に。

 ――意味を考えると、まるでプロポーズの言葉だ。


 契約解除も出来ない理由が分かった気がする。

 あれは魔獣側にとって、非常に重い意味を持つ行為なのだろう。


「違うか、魔獣操師にとってもか……」

 

「何か言った?」


「ああ、いや何でもない」


「ごしゅじん、早く、ご飯食べよ。泣いたらお腹空いた」


「いきなり飯って、あっおい引っ張るな怪我してんだぞ」


「食べたらつきっきりで傍に居るから大丈夫、じゃあこうする」


 いつもよりも強い力、腕を絡められ組んだ状態で引っ張られる。

 強い風が俺たちに吹いてきた。


「良い風」


 リルが目を細めて風を感じる。

 その風を受けて、ひらひらと一枚の羽根が俺たちの方に流れてくる。

 

 既視感――羽根を駅で見つけたあの光景と重なる。

 

「その羽根がどうかしたの?」


「いや、前にもこんなことがあったんだよ」


 あの赤い羽根を見つけた時、俺はフィフスマギナに戻ることを決心した。それがきっかけで今ここに居る。


 落ちてきた羽根を前に、また俺はあることを決心した。


 もう数えきれなくなったゲーム内経過日数、魔獣再契約や限定解除といった仕様外のスキルとアーツの存在。


 そして、リルや街の人々の息遣い、生々しさ、感情。


 それらが伝えてくる全く別の可能性。


 俺が考えていることは、あまりにも荒唐無稽。


 しかし、ただ否定すれば目の前の彼女を否定することになる。

 そんなこと、俺は嫌だった。納得出来なかった。


 だから、俺はリルと一緒に旅を通じて確かめなければならない。



 

 もう一つの可能性――この世界が本当にゲームの中なのかどうか、を。

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