第28話 虚構のはずの現実感



「呼びつけておいてなんだが、もう傷はいいのか」


「歩くだけで折れた肋骨の辺りが痛いですけど、そういう訳にもいかんでしょう」


 生真面目だな、とアイザックは笑う。

 いつもの調子で、背中を叩くような真似は流石にしなかった。


「嬢ちゃんはどうした」


「ああ……ちょっと風に当たりたいって」


「そうか」


 ソファに腰掛ける。それだけで刺すような痛みが走る。

 HPは半分まで回復していた。

 しかし、肋骨二本と左腕合わせて三本骨折した身体はそんなにすぐに治らない。ゲージの半分から先は回復する様子がない。


 アイザックが棚から瓶とグラスを取り出す。


「いや、俺、酒は……」


「気付け、だ。このくらいじゃ酔わねえよ」


 ショットグラスのような小さい器二つへ、琥珀色の液体が注がれる。

 どんな酔い方をするのか分からなかったし、付き合いだけであまり酒を嗜む方ではないから避けていた。


 ウイスキーみたいな臭い。一息で呷る。

 燻したような風味が口に広がった途端、喉に熱が入る。

 結構強めの酒だった。


「いける口か、もう一杯どうだ」


「俺は酒を飲みに来たんじゃない」


 アイザックは押し黙って、自分のグラスを呷った。


「……血塗れの冒険者の一団が街の直前で倒れてるなんて聞いた時は、心臓が止まるかと思ったぞ」


「俺にも正直、どうやって街まで戻ってこれたのか記憶がなくて」


 ノウス森林を歩き、洞窟の奥でグレーターオーガを見つけ、そして、どうにか撃破して――以降の記憶は曖昧だ。


 気付いたら、ノウスにある診療所のベッドの上。

 医者によれば運び込まれて丸二日眠り込んでいたらしい。


「傷が浅かった奴から話は多少聞いたが、一から十まで聞ける状態の奴は多くねえ。聞けるのはハル、お前くらいだ。何があった」


「……きっとそいつが言っていたことは、俺が言うことと概ね同じだと思いますよ」


 ポーチの中に突っ込んでくしゃくしゃになった術符を机の上に置く。


 リーダーであったグレイが食われた時に見えた、オーガの口と零れた血。

 奴やその取り巻きのゴブリンゾンビに千切られ、殺されていく、冒険者たち。

 俺が口から吐き出した血。

 そして、この術符を染め上げる赤。


 赤色が印象としてこびりついている。

 あの洞窟で起きたことは正しく悪夢だった。


 いや、夢ならどれだけ良かったのか。

 あまりにも現実感のないことは、夢のように感じられるはずだった。


 しかし、それすら許してはくれない。傷や痛みが現実だと突きつけてくる。


「今回、三十二向かったうち、倒れていたのは十四。生き残ったのは、お前を入れて九人」


 話を聞き終えたアイザックが口を開く。


「俺は今の話を聞いて、上出来だと思った」


 最初何を言われたのか、理解できなかった。

 上出来? 上出来って何が、だ? 生き残ったことにか、それとも――。


「何言ってんだよ!」


 思考に出来た空白を激情が埋め尽くす。

 気が付いたら、アイザックに掴みかかっていた。

 テーブルの上のグラスが音を立てて割れた。

 

「上出来……ふざけるな、人がたくさん、沢山ッ、死んだんだぞ!」


 現実感が無かったのは戦闘中の方だった。

 無我夢中だった。だって、あんな魔獣が人を食う姿を見せつけられて、ゲームだからと、ただのイベントだから、なんて考えたり、割り切ることなどできるはずがない。


 アイザックはNPCだから、そんなことが言えるのか?

 いや、違う――あんな生々しい光景、ゲームであってたまるものか。

 奴が言ったことを、俺から虚構と片付けるな。


「見た目の割に、案外血気盛んなところもあるんだな」


「冗談も大概に――」


「――俺は冗談を言ってるつもりはねえぞ」


 すっと細められる視線に射竦められる。

 

「俺が依頼したのは、最深部の調査だ」


 責任はないと言いたいのか。何をいけしゃあしゃあと言ってやがる。

 焚きつけたのは、お前だろう。


「勿論、倒せるのなら、金は追加で出すとは言った。人手は多いほうがいい、ギルドとしても士気を高めて参加人数を増やすのは必要なことだ」


「だからって、アンタはあの時……!」


「だが、危険を判断するのも冒険者の仕事だ。魔獣と向かい合う時、必ず死と隣り合わせになる。絶対はない、どんな魔獣であろうとも」


「だったら、もっと高位の冒険者だって」


 駆け出しから気が生えた程度の九等、八等に判断がつくわけがない。

 そもそも国が依頼するくらいなら、兵士くらい行かせることだって。


「ゴブリン騒ぎで普通、国は動くほどじゃねぇ。ようやく説得出来てこれだ。ギルドだって高位の冒険者を送り込む妥当性がない、だから今回の調査だったんだ」


 握りしめた腕を掴まれた。

 

「極力出来る範囲でカタをつけるのが各支部の仕事で、そして、冒険者を育てて、このノウスを守るのも俺の仕事だ」


 掴む腕が震えているのに気付いて、もしも、と考えが過った。


 考えなしに煽った訳でも、報酬をちらつかせた訳でもなくて。


 ギリギリまで金を出すように交渉して、烏合の衆になろうとも頭数を増やして少しでも――。

 

「……アイザック、さん」


「てめえの言い分は分かってるし、俺の見立ての甘さもある」


 腕を振り払われる。


「明日また来い。報酬の準備が出来てねえし、嬢ちゃんも連れてこい」


 今日は何も言うことはない、と彼は背を向けた。

 俺もそれ以上言うことも出来ず、無言で部屋を後にする。


「ハル、今回はよくやった」


 

 人気の少なくなってしまったギルドを後にする。


「……リルは、居ないか」


 アイザックには少し風に当たりたいから、と誤魔化したが、目覚めてからずっとリルとちゃんと話が出来ていない。


 俺が意識を戻した時までは付きっきりで看ていてくれていたようだったが、ギルドに行こうとした時にはもう、リルの姿は無かった。先に行ったのかと思ったくらいだった。


 煙のように消えてしまった。

 しかし、彼女が健在であることはHUD上の表示が教えてくれていた。


「歩き辛……」


 怪我した身体では、広くないと思っていた街が随分と広いと感じてしまう。

 人々の様子を窺いながら進む。

 ノウス森林で起きたことは街で特に噂になることもなく、何かが変わるということはない。


 冒険者が怪我をしたり、死んでしまうようなことは当たり前のこと。

 事件や事故のニュースを聞いて、大半の人の行動に変化が起きるわけでもない。

 それと同じ。嫌なリアリティが感じられた。

 

「……リアル、ね」


 リアル。ログインしてずっと考えさせられてきた。

 その言葉に、俺は段々陳腐なものを感じ始めている。

 

「今はリルを探すことに集中しよう」


 頭を振る。

 印象的なのは、グレーターオーガを撃破した直後の彼女の表情。

 随分と思いつめた顔だった。


 あの時負傷してしまったから、というのはない。

 HUDが正しければ、もう今の彼女は全快しているし、そういう感じでもない。

 凄惨な戦いだったから少し思うところがあったのか。

 考えても答えが出ない。

 

「……全然見つからない」


 尋ねながらリルを探すも、全く手掛かりがない。

 街をくまなく探したつもりなのにどこにもいない。


 どれくらいの時間が経っただろう。

 ギルドに向かったのが大体昼過ぎ。まだ夕方にはなっていないけれど、そろそろ空に赤みが差しかける頃だ。


 こういう時どう探したら――目につく、右手の契約印。


「縁の鎖、朽ち尽きるまで……」


 魔獣契約のフレーズ。リルとは鎖で繋がっている。パスとも呼べる代物。

 <魔獣再契約>といい、<限定解除>といい、この鎖の謎は深まるばかりだが、契約が生き続けている限り鎖は互いの間に存在している。


 だから、お互いの鎖を辿ることが出来れば――右手の印が青く輝く。

 勘が当たった。


 なんとなく、彼女の存在を感じられるような気がした。

 より感じられる方向へ歩みを進める。

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