第22話 発想の転換
パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない――。
かつてマリー・アントワネットはそう言ったらしい。
当時の情勢を踏まえると、随分空気の読めない発言のように思える。
しかし実際は菓子パンだとか、パンの中でも程度の低いパンを指していたとかなんとか。
またまたさらには言ったかどうかも怪しいらしい。
俺にとってこの話の本質的なところはそこではない。
重要なのは、発想の転換だ。
早朝。
ぐっすり寝入っているリルを起こさないようにこっそりと部屋を抜け出し、宿屋の裏手へ。
リルの背中を流した水場があって、そして大きな木にひもが吊るされている。
日中は洗濯ものを干すスペースなんだろう。
しかし、まだ日は昇りたて。遮るものは何もない。
「……よし、行くぞ」
アーツが使えないなら使えるようにすればいい――つまり、レベルによる受動的な習得ではなく、能動的な取得。
ゲームシステムとして習得できるものは組み込まれているが、こと現実世界において習得できる内容が予め組み込まれているというのはあり得ない。
それだったら実生活の色々で困っちゃいない。
今のフィフスマギナは、リアルを模倣することに仕様が傾けられている。
ちゃんと振るえるのにバットのようなもの一本、武器として扱えない方が現実的ではない。
「MPはどのロールにもあって、一番多いのは魔獣操師……!」
剣士でも派生ロールの騎士とか名前まんまの魔法剣士にならずとも、範囲は狭小だが魔術系アーツを習得できた。
剣士に出来て、魔法職の分類の魔獣操師に出来ないことはない。
「出来るさ……」
手を前方へ。
村長を思い出せ。
フレア・バレットのアーツ名だけで詠唱はしていなかった。
やるのは、中級のジェミ系、上級のトライ系じゃない。
発動条件は極めて緩い。
待機時間と発動するアーツを意識すれば、アーツは起動する。
狙え。地面からせり出した岩に照準を定める。
「フレア・バレット」
手を突き出したまま、待機時間を耐える。
いつまで耐えればいい。
しかし、一向に手からは出てこない。
あれ、魔術系って杖とか必要だっけ。
いや、俺の<チェーン・バインド>が使えたし、そんなことはない。
手の形を変えたり、イントネーションを変えたり、ポーズを変えたり、何通りか試してみる。
やはり発動しない。
「一から覚える訳だからやっぱ詠唱要るのかな……」
当然か。
しかし、これでへこたれるくらいで魔獣操師はやっていけない。
もっと苦労するのだ。
苦労は、マゾ御用達の魔獣操師の本領。
詠唱句は魔獣契約しかはっきりと覚えていない。
通常のアーツを詠唱すると、威力にボーナスがかかるから対人相手だと詠唱する奴も結構居た。
おぼろげな記憶を引っ張り出して、確かフレーズは……。
「我、ハルの名において理に誓う、火の、精霊よ……その力を火球に換え……敵を焼き、尽くせ――フレア・バレット!」
ハルは呪文を唱えた!
しかし、何も起こらなかった。
「……いや、今のは俺が恥ずかしがったからだな、あっつ」
二十八歳独身一般男性の広瀬陽之に、詠唱は厳しい。
顔が熱くなるし、かあっと全身が一気に温度を上げる。
しかし、今の俺は、魔獣操師のハル。
そして、ここでのリアル志向とは。
きっと魔術師とか魔法使いっぽいらしさをちゃんと守るということ――!
「ええと……願うは炎、火の精霊よ、その力を火球に換え、敵を焼き尽くせ――フレア・バレット!」
決まった。
これは完璧にハマった詠唱。
これなら行けるだろ――しかし、待てど暮らせど火花一つ出やしない。嘘だろ。
「ああいや、これの方がいいかな……願うは炎、火の精霊よ、紅蓮の如き力を――」
「――何、してるの?」
「ひっ」
きゅっと気道が締まる感覚。
声の方向に構えた手を向ける。
そこには、目をしぱしぱさせて眠たげなリルの姿。
ああ、大分寝相が悪くて着崩れてしまっている――そうじゃなくて。
「あ、あ、あっ……いや、その……リル……いつから?」
「……変な踊りしてるところ、から?」
取り戻しかけた思春期の心へ、深々とナイフが刺さった思いだった。
「ごしゅじん、元気出して?」
「あ、ああ……うん、俺は元気だよ」
「……でも、なんか今朝から」
「頼むからそれ以上言わないで」
それ以上の追及を防ぐべく、露店で買った林檎でリルの口を塞ぐ。
むぐ、と口に突っ込まれたリルが目をまんまるにするが、すぐにしゃくしゃくと齧り始めた。
「ぜ、絶対もうしないんだからねっ……」
俺は誰に言っているのか。
やや錯乱するくらいにはしばらくトラウマになりそう。
二度と詠唱なんてしない。絶対にしない。
魔獣再契約の時を除いて、絶対に。
身内に知られることほどダメージの大きいものはない。
黒歴史の生まれた瞬間である。
リルが言いふらしたりとかするようなタイプではないからまだ救いは……いや、ネタに出来ないのもキツイか。
「で、今日は狩り、しないの?」
「したいんだけど、ちょっと探し物をしてからにしようと思って」
「探し物?」
アーツの自力習得は正直な話無理だった、と冷静になった今反省している。とても反省している。
無から有は作れないのだ。
知識を得るにも素が必要になる。例えば本とか。
「魔導屋、だ」
正確に言えば、呪文書を探している。
スキルを含んだレベルアップ以外で魔術系アーツを習得するには、イベントで教わるか、あるいは呪文書を消費する。
そういうのが置いてあるのは魔導屋になる。
ギルドでそれとなく聞いてみたら、魔導屋はあるとのことだったので場所を教えてもらった。
魔法職が使う物品は武器屋にはなく、魔導屋に置いてあるからないわけがないとは思っていた。
大通り沿いの杖のマークの店。
剣っぽいのが武器屋で、盾っぽいのが防具屋で、剣とペンがギルド。
そのような感じでフィフスマギナは店のアイコンが共有だから助かる。
そういや文字もいい加減覚えないとだよな。
結構細かいのか識字率の概念もあって、読めない人向けのサービスがあったのはギルドで冒険者登録した時に驚いた。金取られたけど。
「む……変な臭い」
店内に入るとすぐ、独特な香りが鼻をつつく。薬屋とも違う臭いだった。
リルもなんだか難しそうな顔をしている。
よくわからない瓶詰だったり、杖だったり、ビーカー等の調合器具と思われるものまで所狭しと置いてあった。
そんなテンプレの内装に期待が持てる。
しかし、店主は至って普通の格好をした男性だった。
ちょっと気難しそう。
「ご用件は」
「あー……えっと、アーツを使えるようになりたくて、呪文書とか……」
いきなり鼻で笑われた。
「冷やかしなら帰ってくれ。呪文書なんて高額なもの取り扱ってるわけないだろう」
確かにそこそこ値の貼るものだが、初級アーツくらいなら今の手持ちと相場感から推量しても買えそうなものなのに。
しかし、無いというのなら仕方がない。
「じゃあ、
「……ウチにあるのは初級の火属性と水属性。一番安いので銅貨三十枚くらいだ」
高っ。思わず声に出しそうになった。
銅貨三十枚って。最低限の武器と防具一式買えるわ。
初級の火属性と水属性って、どうせバレット系か期待を込めてどうにかボルト系。
それが一発使い切りで銅貨三十枚。
コスパが劣悪すぎる。
「当たり前だろう、貴重な魔石を削ってインクにして作ってるんだから」
顔に出てしまっていたのか俺の反応に対して、呆れたような表情を隠さず出されてしまった。
「アーツを使える奴は限られてるんだ、これでもウチは安くしてる方だけどね」
完全に冷やかし客と認識されてしまったらしい。強めの口調で咎められる。
リルが食ってかかりそうな雰囲気を出していた気がするので、手で制しつつ一言謝って仕方ないのでマナポーションを二本買っておく。これも高かった。
「ごしゅじん、何で止めたの」
「殴りかかる気だったのか?」
「いいや、そんなんじゃ足りない腕の一つ――きゃう」
軽めに拳骨を落としておく。
「こら」
「でも、でも、ごしゅじんを侮辱した」
「癪に障る言い方だったのは確かになんだけど……そんなんでやりあってたらキリがないだろ、俺もしくじったし」
どうどう。興奮気味のリルを宥める。
仮にリルが暴れてみろ、弁償を求められて破産する。銀貨行くぞ、死んでしまう。
あの言い方からすると、俺たちの方が分かっていない側。
本当に相場はあれくらいなんだろう。
武器や防具、食事の相場と全く違う体系ということが分かった。
流行り廃りみたいな感じで、販売される品物の価格が時期やイベントの影響で変動することはままあった。
しかし、あんな値段にはならない。そうなる前にそもそも販売しなくなる。
アップデートで魔法関係の物品は高めに修正が入ったのか?
しかし、それでは魔法職が困るし、呪文書で覚えられるアーツは中級が限界。そこまでゲームバランスに影響するものでも無いと思うのだが……。
「これで第二、第三の当ても外れ……」
第一の当てはなかったことにするとして、自力習得は難しい、術符で急場しのぎも駄目。
術符は割と現実的な策だった。
ソロや俺たちみたいに頭数少ないパーティは保険で持っておくこともあって、ウォーキングプラントみたいな相手に対して牽制に使うのだ。
このレベル帯なら牽制ではなく撃破に使えるので、レベリングも平行できる……そんな算段だったのが、あの価格では使うたび赤字、破産する。富豪プレイだ。
「困ったなぁ」
素直な感想だった。人間困るとそう言うしかない。
今すぐ困るわけではないんだけど、見えてしまっている課題を先送りにするのはちょっと気持ちが悪いし、旅のためには避けて通れないってのが――。
「何、ギルドの前で唸ってんだ?」
「どぅわっ、アイザックさん……」
眼前におっさん――アイザックがいきなり現れてびっくりした。
「どぅわっ、って随分だな」
「すみません……」
ギルドに辿り着いて、出ていくところに丁度出くわした形だったようだ。
「調子は良さそうって聞いていたんだが、そういうわけでもなさそうだな」
「実は……」
かいつまんで状況を説明すると、彼は口ひげを揉む。
「なるほどね、ありがちな悩みだな」
「そうなんですか?」
「何せ魔術師は国で――おっと、細かい話をしている時間はねぇんだった」
そういえば、出ていくところだったものな。
「引き留めちゃってすみません」
「妙なゴブリンの件も含めて会議だ、まったく……ま、アーツの適性くらいならギルドで調べられるから、細けえところは職員ひっ捕まえて聞いとけ」
ばしん。背中を叩かれるのが恒例になっている。
「あだっ」
「ゴブリンの依頼、受けるならランクの件多少色付けるからな!」
それだけ言って、アイザックは足早に行ってしまった。
適当に言った話、耳に入ったのか。言ってみるもんだ。
「……またごしゅじんを叩いた。そろそろ罰が必要」
「いや、ああいうコミュニケーションだから」
一応、恩人だぞ。大目に見てやれ。
「会議か」
「かいぎ?」
「話し合いだよ」
別に会議自体はどこでもやるもんだから気にならないが、ゴブリンの件も含めてと言っていたし結構大事になりつつあるのか……?
「ふうん……ごしゅじん、いこ」
興味のなさそうなリルに手を引かれてギルドの中へ。
本題を忘れていた。今はアーツだ。
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