第17話 冒険者としての日常


 ――鈍い衝突音。左腕にずっしりと来る痺れ。

 しかし、ダメージ自体は軽微。

 装備した円状の小盾はしっかりとその仕事を果たしている。


「――頼んだ、リル!」


 そのまま弾き返す。

 デカいと言えどウサギの範疇の話だ。宙にホーンラビットが吹き飛ばされる。


 後ろに控えていたリルが一気に踏み込む。


 一閃。

 逆手に持った双剣の一方が白い毛皮を切り裂き、切り返しでもう一方の双剣が縦に両断する。軌跡が見えるほどの美しい二連撃。


 しかし、見惚れていられない。

 今度はワイルドボアが背骨を折らんと背後から迫ってくる。

 真正面から受ければ、ステータス負けしている俺は吹っ飛ばされかねない。


 タイミングを見て――今。

 奴のこめかみ辺りをメイスで振り抜く。

 スナップを利かせた右手首に衝撃。手ごたえはあった。


 ぴぎゅっと悲鳴を上げた猪は駆け寄った勢いのまま横に転がってしまう。

 直進に向いた身体で急に止まったり、曲がったりは出来ないのだ。


 メイスからぽたぽたと滴る赤い血がダメージの深さを教えてくれていた。

 横転してしまったワイルドボアはじたばたともがくが、立て直す時間など与える余裕なんてない。


 やらなきゃやられる。それはもう、村での戦闘で理解している。

 せめて楽に、と中途半端にするのではなく、全力の一撃を振り下ろす。


「……どうしてこう、リアルに作られてるのかね」


 メイスを引き抜く。

 ワイルドボアから流れ出る、大量の血液。

 頭蓋骨が完全に割れてしまったらしい。 

 慣れつつあるが、当然不愉快な気持ちになるのは変わらず。


 周りを見れば、魔獣たちの死体が転がっていた。

 ホーンラビットが三、ワイルドボアが二。

 戦闘時間は体感五分ほど。


 安全策としてレベルの低い相手を狩ることに専念していたが、この調子ならもう少し強い奴相手でも行けるかもしれない。


「リル、怪我はないか」


「ん、大丈夫」


 リルは何度か剣を振って付着した魔獣の血を振り払い、納刀する。

  

「大分慣れてきたんじゃないか」


 リルが人間態での初戦闘で辛酸を舐めさせられてから四日ほど。

 アイザックの依頼を無事にこなして、見事俺たちは冒険者になることができ、十等から地道にキャリアを積み上げることとなった。


「……まだしっくり来ない、軽い」


 とんとん、とその場でステップしながら、飾り気のない無骨な双剣を何度か振ったリル。

 浮かばない表情。納得いかない様子だった。


 しかし、それはあくまでも彼女基準での話。

 初日で身体の使い方はマスターし、扱ったことのない双剣をちゃんと振るえるようになっているのは、はっきり言って異常だと思う。


 俺が始めたての頃はへっぴり腰で、やあぁあああ、とか間延びした声で振りかぶるのが関の山。

 しばらくアシストなしで武器を扱うことは出来なかった。黒歴史に近い。

 

「ごしゅじんは、その棒……どう?」


「棒って……」


 手に握りしめたショートメイスのグリップ。

 見た目は、バットをもう少し太くしたもの。


 刺したり切ったりする剣に比べて、速度は出ないが使いやすいしそれなりに威力が出る。

 村でどさくさに紛れて貰うことになったショートソードは、残念ながらこれを買う代金に充当してしまった。


 本来魔獣操師が装備できるのは、短剣か杖などのアーツを補助するもの。

 戦闘は契約魔獣に任せるというロール設定を反映している。


 だから、メイスは制限に引っかかって装備出来ない。剣も駄目。

 レベルによる契約条件を課せられながら、自身のレベリングすら楽にさせてくれないのはマゾ御用達との評判も致し方ないと思う。


 しかし、レイドファングとやり合った時に剣を使えたこと、剣の武器熟練スキルが解禁されたことを思い出し、もしかして、と思って試したら使えてしまった。


 リアル志向、魔獣態のMP消費と散々俺を苦しめてきた仕様変更がここに来て、改悪ではなく改良となったのは非常にありがたかった。


 当然、他のゲームと同様にステータスに依る装備条件はしっかりある。

 よって、これ以上デカい奴、重い奴は装備できない。


「剣より全然使いやすいよ」


 扱えなくはないが、考えなしに振るってある程度質量で誤魔化せるメイスのようなものの方が良いと思ったのだ。


 それに痛覚が生きたままのこの世界。

 技量を要求される武器は、俺には無理だと思った。


 そして、剣は刃こぼれする。

 雑に使えるくらいがちょうどよかったりする。


「ごしゅじんちょっと貸して」


 リルが俺のメイスを握り、何度か振るう。

 結構軽々と振るっているが、手首をしならせて広範囲を抉るようなちょっと怖い振り方だ。


「重いけど……これだったらこっちの方がいい」


 そして、返される。

 お眼鏡には適わなかったらしい。

 

「さて……問題は、解体なんだよな」


 頭を掻く。そよ風に乗って新鮮な血の鉄臭い臭いが漂う。

 村に居た時でもずっと思っていたが、死体が消えないのはまだ違和感がある。


 サーバーに負荷をかけるだけだから。腐食の概念なんて演算の無駄だろう。


 ああ、ドロップ一覧が恋しい。

 そうは言ってもやらなければならない。

 牙、皮、肉、骨その他諸々、魔獣の素材は全てお金になるのだから。


「うう……もう少し質感をどうにかしてくれ」


 斬撃武器より打撃武器が良いと思ったのは、血が出にくいから。

 結局頭をカチ割ってしまえば同じことだが、量的な問題で考えれば大分違う。

 俺が倒したワイルドボアの頭部は悲惨なことになっているものの、全体的にはまだ大丈夫。


「はっ、はぁっ、ああ……ぬくい……」


 腹の辺りを触る。

 まだ温かい。一気に大丈夫じゃなくなる。


「いけるいけるいけるいけるいけるだろ、陽之……頑張れ陽之……!」


 自己暗示をかけつつ、意を決して解体用ナイフをその毛皮へあてがう。

 草を刈っていた時のそれよりも遥かに鋭いそれ。

 皮の先の肉へ容易く刃先は通っていく。


「う、ううううう……」


 ギルドで教わった解体方法を実践するようになってもう二桁回ほど。

 戦闘で怯むことは無くなった。

 しかし、解体となると話は別。胃の辺りがむかむかしてきて吐き気がせり上がってくる。


 それでも必死に堪えて、必要な部分の解体に成功する。

 肉は臭いがきついから草で包んで縛る。

 モツ系も油にしたり肥料にしたり用途は多岐に渡るそうなのだが……無理。

 

「大丈夫、ごしゅじん?」


 成人男性がおよそ上げていいものではない声を心配したのか、リルが声をかけてくる。


「リル、心配してくれるのはありがたいんだが……そう言うならお前も解体を……」


 これだけでは終わらない。

 リルが狩った分もやらなければならない。

 本当なら、責任もって自分でやってほしい。せめて手伝ってほしい。


 しかし、彼女の場合。

 あれだけ華麗な剣裁きを披露したにも関わらず、解体となると、そりゃあもうぐっちゃぐちゃの駄目にしてしまう。


 そういえば。

 俺が解体している間、リルは一体何をしていたんだろう?

 振り返って――固まる。


「それにしても人間の身体は不便」


 もっちゃもっちゃ。


 美少女が兎に毛皮ごと齧りついている。

 目の前の光景を理解するのに、しばらく時間がかかってしまっていた。


「……え?」


「牙がちっちゃくて上手く噛めないし、食べにくい。お腹が空いてもこれだと……むう」


 ぽたっ、ぽたっ。ぱたたっ。


「毛とか口の中でごわごわ――どうかした? ごしゅじん、顔色悪いよ?」


「――それ以上は頼むから……うっ」


 首を傾げながら、リルが頭を噛みちぎった。


 ゴア表現で有名なゲームを思い出した。

 かけられるのであれば、自分自身の視界にモザイクをかけたくなった。


 手と口を真っ赤に染めたリルの姿を見て、一生懸命耐えていたものが決壊してしまう。



「ふふ、ふふふふ、うふふふふふ」


 それから持ちきれるくらいの素材を集め終わったところでギルドに戻る。

 素材の換金を終えた頃には、置時計は二時を指していた。


 素材の一部――ワイルドボアの肉を換金用ではなく、食材として使ってもらったステーキを前にリルのテンションは妙な上振れを起こしていた。


 ぶん、ぶんっ、と尻尾が左右に触れてぐるんと一回転している。


「食べていい? ごしゅじん食べていい?」


「いいぞ、ちゃんとフォーク使ってな」


 その口ぶりからすると俺も食べられてしまうのではないか、そんな一抹の不安が過る。

 かつん、と鉄板を貫かん勢いでフォークを肉に突き刺したリル。

 塊肉のようなステーキを一気に頬張らんと齧りつく。

 

「おいおい、そういうのは切らないと駄目だろう」


 見ていられなかった。

 一旦皿をこちら側に寄せて、食べやすいように切ってやる。


「ほら」


 一切れにした肉にフォークを刺しなおして、彼女の前に差し出す。


 ぱくっと肉を咥えたリルはもぐもぐと咀嚼し、顔を綻ばせる。

 口の端に汁がついているから拭ってやる。

 こういう表情や仕草は可愛らしいんだけどなあ――。


「やっぱり肉は血が滴るくらいが美味しい」


「……はあ」


 溜め息しか出てこない――ばりむしゃあと文字通り生食していたリルの姿がまだ脳裏に焼き付いている。

 戻ったのは、俺が限界を迎えてしまったことにもある。


「食べないの?」


 頭を振ってフラッシュバックする光景を追い出す。

 きっとあんなことはもう起きないはずだ。

 注意したら不服そうではあったけれど、もうしないと約束してくれたし。本来は獣なのだから彼女としては当然なんだろうが。


 彼女がステーキを頼んでおいて、俺が何も頼まないというわけにもいかない気がしたので、ミルク粥を頼んだ。


 一口啜る。

 優しい甘味が荒んだ心を癒してくれるかのようだった。

 

「おう、お前ら調子はどうだ」


 振り返る。

 外から戻ってきたらしいアイザックが俺たちに声をかけてきていた。


「アイザックさん、どうも」


「さん付けはいいっての……まあいいや。狩り終わったところか」


「ええ、今日は七体くらいですかね」


「ほう。正直、あんななりしてたもんだから怪しかったが、すっかり冒険者として魔獣退治に精を出してるみたいだな!」


 背中をバシバシ叩かれる。痛い。あと大声でうるさい。

 リルがものすごく不機嫌そうな眼でアイザックを睨んでいる。

 しかし、ステーキを頬張るその口と手の動きは止まらない。


「とはいえ、お前らも気を付けろよ。狩場近くのノウス森林でゴブリンらしき魔獣がいくらか見つかってる」


「ゴブリン?」


「亜人だよ。そこまで強いわけじゃねぇが、数が多いと厄介だ。西の山岳地帯でよく見かけてたが、ノウス近くでは初めてだ」


 ゴブリン自体は勿論知っている。

 レベル的には出てくる相手だから。


 ただ、記憶の通りだとアイザックの言う通り、山岳とか洞窟とかに住処を作っているから、森にいるというのは覚えがない。

 

「魔獣の活性化の影響か、あるいは住処を変えてきたのか。とにかく今後増えると厄介だ、見つけたら無理のない範囲で殺せ」


 気を付けろと無理のない範囲は、社会人生活の経験上両立しないような気もするが、とりあえず頷いておく。

 俺の返答に満足したのか、再び背中を叩いて二階に引っ込んでしまった。


「それにしても魔獣の活性化、か」


 また活性化だ。

 ヨルム村でも聞いたし、ここでも聞いて二回目。


 不定期のイベントで特定の魔獣の出現率が増えるというものはあった。それのことを指しているのだろうか。


 しかし、今更イベントというのは。

 いや、今更と考えているそのものが今更なのではないか?


「……リル?」


 ふと、視線を感じ、その主を確かめる。

 がじがじとフォークを噛んで俺をじっと見つめていた。


「ごしゅじんとご飯、邪魔された」


 かちかちかち。


「いや、邪魔って……」


 かちかちかちかちかちかちかち。


「気に入らない、気に入らない、気に入らない……」


 かちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかちかち。


 口の端からきらっと鋭い犬歯がちらついた。

 金属製のフォークがなんだかどんどん歪んでいっているように見えるのは気のせいのはず。

 ただの行儀の悪い噛み癖に対して、俺は若干の恐怖を覚える。


「……お、おかわり要るか?」


「要る。口直し」


 ステーキを口直しとは言わないと思う。


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