第9話 もう一匹の狼
狼の咆哮。
それは、目の前で弱っているあいつのものではなかった。
「なんだ……?」
ギムリの鉈が寸でのところで止まる。
今度はあちこちから遠吠えのような物が聞こえてくる。
まるで咆哮に呼応しているかのように、いや、合唱しているかのように。
程なくあちらこちらから無数の影が迫ってくる。ギムリが警戒する。
そして、それらが松明の光に暴かれた。
「レイドファング……?」
よく見かけるレイドファングそのものだった。
しかしその数が尋常ではない。
二十、三十……見えている範囲でそれくらいは居る。
「お前ら、複数で囲めば怖いものではない! クソっ、こんな隠し玉を持っていやがったか」
ギムリが俺を睨みつけながら、最正面のレイドファングに対峙する。
俺には心当たりはない。
そもそも遠吠えがレイドファングのものだとして、今の咆哮は誰のものなのか。
一際大きな影が木々の合間から現れ、ギムリの前に立った。
「なっ――」
炎に照らされたその黒い巨大な体躯は見覚えがあった。
グリムファング。黒い巨大な狼。
レイドファングの上位種。
ボスとして立ちはだかることにもなる、Lv.20以上推奨の魔獣。
何でそんな奴がこんなところに居る。
「仲間の仇ってことか……まあいい、お前らだってそんなことをしてみろ、こいつと同じように――」
違う。奴は勘違いしている。
あの狼に仲間なんて居ない。
むしろ、レイドファングたちにとってあの狼こそ仇なのだ。
そのボスであるグリムファングは――。
グルル、と奴は大きな口を笑みで歪ませた。
再びの咆哮。
レイドファングが子犬に見えるほどのプレッシャー。
それを皮切りに、レイドファングたちが村人に襲い掛かる。
村人もそれなりにいるが戦い慣れしていない彼らにとって、集団かつ素早い動きをしてくるレイドファングは脅威でしかない。
複数で囲めとギムリは言ったが、それ以上の数でレイドファングが一人、また一人と噛みついて村人たちを襲う。
メインディッシュは後でということなのか、タゲは村人に向くばかりで狼に向いていないがこのままだと時間の問題だ。
「クソっ、この縄だけでも解ければ……!」
手首の縄はかなりきっちり縛ってあった。びくともしない。
どうにか立ち上がり、使えるものはないか探す。
時間が惜しい。早く切らないと、切らなければ――松明に目が向く。
リアル寄りなら、これが麻縄だとして。
「があっ、はっ、っああっ……!」
火に手を近づける。
熱いと通り越して痛みに変わる。
じゅうっ、と焼ける音。
歯を食いしばって悲鳴を堪える。
HPは減っているが、ゼロになるほどじゃない。だったらどうにかなる。
手の感覚が無くなりかけるギリギリのところで縄に引火し、どうにか引き千切ることに成功する。
見るも無残な状態だった。
焼け爛れていて、水ぶくれどころではなかった。
「おい、しっかりしろっ」
狼に駆け寄って、手の痛みを堪えながらその身体を揺する。
「お前だけでも早く逃げろ」
何か言いたげに口が動くが、吐息だけで何も聞こえてはこない。無茶しやがって。
引きずろうにも重すぎて動かない。
そして、村人を突破してきたレイドファングの一体がこちらに迫ってくる。
思わず目を閉じる。
「――フレア・バレット!」
いつかの時のように、炎弾がレイドファングの身体を叩いた。
「ハルさん、大丈夫ですか!」
村長がこちらに駆け寄ってくる。
「ええ、なんとか。そのアーツ後何回使えますか」
「十回ほどが限度です」
「まだ戦えそうな奴の近くのレイドファングにお願いします!」
それだけ言って、俺は近くの村人だったものの手にあったショートソードと
彼の傷口は直視できるものではなかった。
酷い火傷の割にまだ手の力は残っている。痛むがピークは超えていた。
走る。
そして、一番近いところで今まさに怯えた村人を食わんとしていたレイドファングのその頭を叩き切る。
「早く武器持って固まれ! 死ぬぞ!」
身を守れるし、距離を取れるという点で盾と槍持ちはまだ動けそうだが、それ以外は正直動きが悪すぎる。
ショウとサミーンと言ったか、あいつらがまだちゃんと動けているくらい。
しかし、そいつらを気にしている余裕はない。
今の攻撃でヘイトが溜まって、タゲが向いたらしい。
二体のレイドファングが襲い掛かってくる。
一体は左腕の盾で。もう一体は飛び込んできたところを剣先で貫く。
「……一応、前衛の戦闘も経験してんだよ!」
受け止め切ったもう一体を弾き返して、返す刀でその腹に剣を突き立てる。二体分のXPが入る。
次々に迫ってくるレイドファングを構わず切り裂いていく。
一回じゃ切れないなら、二回、二回で駄目なら三回。
一回でもミスれば袋叩きにされる。
しかし、ナイフ一本に比べたら圧倒的に良い装備。
何より今は痛みでアドレナリンが馬鹿みたいに出て、頭が脈打つ。
恐怖、痛み、忌避感――余計なことは頭から消えていた。
ようやく現役時代の勘が戻ってくる。
フィフスマギナはレベルが絶対じゃない。
仮想とはいえ己の身体を使う以上、工夫の余地がある。
スタートからハンデと揶揄される魔獣操師で当時のレベルキャップまでやり込むには、腕も必要だった。
押されていた村人も村長の指示でようやく落ち着きを取り戻し、防衛戦という形に動きが整う。後は――。
「くそっ、何で当たらねぇんだ!」
ギムリとグリムファングの戦闘は続いていた。
しかし、戦闘というにはあまりにも一方的。
ギムリの身体には無数の傷があるがグリムファングには傷一つ付いていない。
鉈を何度も何度も振るが、軽々とその巨躯は飛び退き、ひらりひらりと躱していく。
すれ違いざまに爪で引っ掻き、また傷を増やしていく。
完全に遊ばれている。文字通りレベルが違い過ぎるのだ。
しかし、頭に血が上ったギムリはそれを理解出来ていない。
「どうする……?」
加勢したくないのは内心あるが、そうも言っていられない。
放っておくなど不可能だ。
しかし、手がない。
十体近くレイドファングを倒したお陰でLV.4になった。
だが、だからどうなるというステータス。
<武器熟練・剣>スキルを習得しただけで、アーツは何一つ覚えちゃいない。
村長のアーツはフレア・バレットのみと想定して、奴の黒い毛皮は火属性の耐性がある。効き目が薄い。
可能性としてはあの狼だが――万全ならともかく、今動ける状態ではない。
「――くそおおおおおお!!」
業を煮やしたギムリの鉈が一際大振りになる。
大上段からの一撃必殺狙い。
俺から見ても胴ががら空きで、力を込めようと逆にモーション自体遅くなっているのが分かった。
グリムファングはあえて受けようという素振りを見せる。
ようやくスタミナ切れをしたのか、とギムリの口角が僅かに引き上がる。
「ギムリ、よせ!」
獰猛な笑みが、間違いなく黒狼の顎にあった。
刃先がその鼻先を捉えたかと思った次の瞬間、グリムファングの姿はもうなく、地面に突き刺さるのみ。
「何――?」
奴の視界から完全に掻き消えたように見えたようで、ギムリが一瞬呆ける。
見上げた時にはもうグリムファングの顎が迫っていた。
ばくん、と断末魔すら許さずギムリの首から上が口の中に収まり、引き千切られる。
首を失った身体はびくびくと痙攣しながら飛沫を上げ、その場に崩れる。
そして。その黄色い瞳が、今度は俺を捉えた。
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