第8話 狩人の罠
――パチパチ、と何かが音を立てているのが聞こえた。
顔が暖かい。いや、熱い。それに眩しい。目を開ける。
すぐ近くで火が
目を開けているのも辛いくらいの熱量、逃げようとして自分の手足が縛られていることに気付く。
「――目が覚めたか、裏切者」
「ギムリ……!」
奴の顔を見て頭に響く鈍痛と共に、今に至るまでの経緯を思い出す。
あの狼と一旦別れ、村から出ようとそしてアイツが俺を後ろから殴って――ここは、ヨルム村なのか?
ギムリだけじゃない、村に居た人々が転がされた俺を見ていた。
睨み、恐れ、軽蔑――どの目にも険しいものが浮かんでいる。
「いきなり何を」
「それはこちらの台詞だ。俺はずっと怪しいと思っていたが、尻尾を出すのが遅すぎる」
腹を蹴られる。爪先がめり込み、呼吸することすらままならない。
「……さっきから、何を……」
「しらばっくれるな!」
また、蹴られる。
「俺はこの眼で見ていたぞ!」
足が何度も俺の腹に刺さる。
意識が薄れかけては、痛みで揺り戻される。
血が勝手に口から吐き出される。
「お前が――」
「――何をしているッ!」
そして、また一発が入る寸前、誰かの声。
揺れる視界に村長の姿を見止めた。よかった、これで俺は。
「そうだった、村長! アンタにも聞いてほしい話がある!」
ギムリは村長の到来をむしろ待っていましたかと言わんばかりに迎えた。
村長は、奴の味方ではなかったはず。何故。
「俺は見た。こいつが、あの巨大な狼と会っているのを、何かの話をしているところを確かに!」
見られていたのか。
しかし、ギムリの心証は悪い。それだけで納得はしないはずだ。
「何を馬鹿なことを」
「ショウやサミーンの奴も今日は同行していた。奴らも証人だ」
火の光に照らされた二人の男の顔。
一人は見覚えがあった。この村で村長とギムリと会った時に居た男だ。
それぞれがギムリの意見に賛同する。俺が狼と会っていたのだと。
「そんな口裏……うぐぅっ」
「お前は黙ってろ。……それで村長、勿論俺だってこれくらいで黙る訳じゃない。他にも証拠はある」
「証拠だと?」
「こいつが来てから魔獣の死骸が増えている」
「魔獣の縄張り争いが活発になっているとはお前が言っていただろう」
「確かにな。問題は場所だ。大体が薬草のとれる場所だった。食い殺された死骸だ――」
随分と勿体ぶったような言い方をして奴はほくそ笑む。
「考えろ、村長。こいつは見ての通りの姿で、ナイフ一本しか持っていなかった、しかもボロボロの。およそ魔獣なんて殺せやしない。辛うじてホーンラビットくらいだろう」
気付いてしまう。
そうだ。あの狼が来る時は大抵薬草を採っている最中、森から出てきた魔獣に遭遇してしまった時だ。
確かにあのナイフでは、兎一匹を相手取るのが限界。
「こいつが魔獣を殺したとは考えにくいし、その周りには大体大きな足跡が残されてる。噛み傷も随分と大きい。こいつの回りに奴が居ることは間違いない」
足跡に噛み傷。そこまで考えが至っていなかった。
リアル寄りになっているということなら、そういう痕跡もまた必ず残される。
奴はあくまでも狩人としての役目から見た事実とそこからの推測で、村長に進言しているのだ。
村長だって、そう言われてしまえば疑わざるを得ない。
彼の眼はみるみるうちに険しくなる。
「万が一こいつがあの狼と関わりが無いとしても……だ。逆にこいつはナイフ以外の術で魔獣を屠ることが出来る。それはそれで危険なんじゃないのか。我々に隠し事をしていることになる、村に嘘を吐いていることになる」
「そんな俺は――」
「――じゃあ、お前はどうやってあの魔獣の数から生き残れる?」
どう答えても逃げ道がない。
「村の皆だって、恐ろしいだろう。得体の知れない人間に寝首を掻かれたら!」
ギムリがここに居るものの不安を焚きつけているのは、明らかだった。
誰も宥めない。宥めることは出来ない。
「村長、俺は村を思って言っているんだ。まさかここまで言っても聞き入れないというのはないだろうな」
視線が村長に集中する。
なんてことだ。奴は俺だけじゃなく、村長すら場合によっては追い詰めようとしている。
ここでもし俺を庇うようなことをすれば、村民からの信頼は損なわれかねない。
村長は外から来た側の人間、数年かけ村社会にようやく馴染んだ異物。
「――俺が出ていけばいい、ということだろう! だったら今すぐにでも出ていく!」
「ハル殿……!」
そんなことは絶対にさせられない。
元々明日には出ていくつもりだった。
明日が今日になるだけ、準備が出来なかっただけ。まだどうにかなる。
しかし、ギムリはその言葉に頭を振る。
「いや、お前が出ていったところで俺たちの不安は解消されるわけじゃない」
「何……?」
「害獣は駆除してこそ、だ。そのためにお前は餌になってもらう」
噛みしめた奥歯が軋んだ。
ギムリが何を言わんとしているか――奴は俺を使って、あの狼をおびき寄せようとしているのだ。
「妙な真似をしたら、すぐに殺す」
村から少し歩いた目と鼻の先の場所。
ギムリ率いる武装した村人の一団は陣取る。
担ぐには装備の邪魔になるからと足だけは自由になったが、後ろ手に縛られたまま。
ちらりと後ろを見る。
村長と戦えない村人たちが門の前で俺たちを見つめていた。
「狼が来ても来なくても、お前はどちらにしても死ぬがな。なるべく来てほしいものだ」
これは実験。
俺が狼と何らかの関わりがあるのならば、必ず来ると踏んでいる。
それでおびき寄せる。逆に来ないのであれば、それはそれとして俺を殺すと。
ギムリは狼を狩るだけではなく、村に狼の存在証明と恐怖を植えつけたいらしい。
「……村の前で格好つけて村長の座にでも納まるって魂胆か」
分かりやすいくらいギムリの表情が引き攣る。しかし、すぐに戻る。
「あのジジイ余計なことを……だが、その通りだ。元々この村は俺のものだ。だが、奴が来たせいで台無しだ。だから俺はあの狼を狩って誰が相応しいか証明する。領主様も見直してくださるだろう」
奴は短絡的であまりにも危うすぎる、という村長の言葉は間違いなく事実だった。
こいつは力の誇示しか考えていない。自己顕示欲と名誉欲だけ。
即席で松明台が作られ、夜間でもある程度光量が確保され見通しが良くなる。
準備が整ったらしい。
「さて……火も十分に焚いた。やるか」
畜生、こんな奴にあの狼が、あいつが傷つけられたくない。しかも、それが俺のせいで招いたことでなんて。
ギムリの検証と推論で、俺もはっきりしたことがある。
あいつはきっと近くで身を潜めている。
毎回毎回どこからともなく現れてはいたものの、俺の危険に対してタイミングが良すぎたのだ。
ずっと近くで見守っていたのだろう。
ここに来て自分の鈍感さに呆れ、あの狼の律義さに驚愕する。
だから、来ないという可能性はない。
きっとこの様子だって見ているはずなのだ。
俺に出来るのは――ただ一つ。
「狼よ――」
「絶対来るな! 何があっても来る――ぐはっ」
ギムリの膝が入る。蹲ったところに背中を足蹴にされる。
「いいのか! お前の仲間はこう言っているが、俺は本気だぞ。別に来ようと来まいとどの道殺してやる」
何度か蹴られたのち、首を掴まれ立ち上がらされる。
来るな、絶対に来るんじゃない。
「怖気付いたか? さあ来い!」
虚空に響くギムリの声。
俺の首元に鉈が添えられる。
頼むから、来るな。
「来ないのであれば仕方がない――」
刃先が徐々に皮膚に食い込んで、そして、ぷつっと皮膚を切り裂いた。
俺の血が滴るその瞬間、風が吹く。吹いてしまう。
灰色の狼が俺たちの目の前に現れる。
そして、ギムリを睨みつけたまま咆哮する。
「くく、あははっあはははっ!!」
怯える一団の中で、唯一ギムリは笑っていた。
狼は犬歯を剥き出しにして、一歩踏み出す。
しかし、ギムリが鉈を奴にちらつかせる。
「おっと、妙な真似をするなよ。お前が襲い掛かるのが先か、こいつの首を斬るのが先か、分からない頭ではないんだろう?」
奴の言葉に狼は躊躇してしまう。
その様子を見て、ギムリは更に笑う。
「こんな魔獣初めてだ。これを狩ることが出来れば間違いなく俺は……!」
「くそっ、俺のことはいい! どうせ殺される! だから、お前だけでも逃げろ!」
「無駄だ、奴は相当お前のことを気に入っているらしいぞ」
ギムリの言う通り、狼はその場から離れようとしない。
「じっとしていれば、こいつは助かるかもしれん――お前ら、奴を弱らせろ」
「止めろ!」
ギムリの指示で村人たちが武器を構え、そして、まず一人が槍で狼を突いた。
呻く狼。そして、反撃しようと牙を向けるが、ギムリが俺の首に鉈を再び添える。
狼は反撃することを止めてしまう。
「そうだ、その調子だ。分かってるじゃないか」
狼が反撃してこないと分かるや否や怯えていたはずの村人たちが一斉に襲い掛かる。
巨大な魔獣といえど、抵抗できなければ一方的な蹂躙。
罵声を浴びせられながら、狼の身体に傷と血が増えていく。
「止めてくれ……もう止めてくれ」
目を閉じることも出来ず、嬲られる様を焼き付けさせられ、肉を撃ちつけられた水っぽい音が耳に響く。
狼は苦悶の声をあげるが、それでも全く逃げようともせず、されるがままに耐えていた。
「どうしてそこまで……お前は……」
懐かれる、という話ではなかった。
身の危険すら顧みず、俺のために身を投げ出している。
分からない。
何でそこまで、お前は俺を庇おうとする。尽くそうとするんだ。
「あ……」
ついに、村人の攻撃に耐えきれず、足が崩れその場に倒れ込んでしまう。
立ち上がろうとするが、もうその力すら残っていないのか起き上がれない。
「お前ら、後は俺がやる」
ギムリが俺を突き飛ばして、狼にゆっくりと近づく。
這ってでも、奴のブーツに噛みついてそれを阻止する。
しかし、もう一方の足が俺の頭を蹴り飛ばし、堪らず口を離してしまう。
「早く……逃げろ……」
狼と視線が合う。
俺を見るなり、弱弱しい物だったが、その目から少しだけ険しさが薄れる。
まるで俺が解放されたことに安堵しているような目だった。
――それを見た途端、悔しさと怒りが込み上げてくる。
何でこんなことになる。
何で俺がこんな目に遭わなきゃならない。
何であいつがあんな目に遭わなきゃならない。
「これでとどめ、だ」
ギムリが鉈を振りかぶる。
「止めろぉおおおおおおおおお!!!」
振り下ろされるその寸前――俺の絶叫を掻き消すように、また狼の咆哮が聞こえた。
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